第三章[彼女の思い」その5
「……うぅ」
薄暗く、錆び臭い港の倉庫内で、御枝は目を覚ましていた。
(…何?ナニ?なに?)
彼女はぼんやりと辺りを見回す。思考は纏まらず(普段も、もともに纏まっているとは言い難いかもしれないが)、視線は目的もなく彷徨う。
かなり大きな倉庫内には丸木舟とオール、その他竿やバケツ、ホースなど、ゴミも含めて様々なものが、奥の方に転がっている。彼女がいる真ん中辺りは不自然に何もなく、まるで彼女のためにどかされたようだった。
「……私。あれに掴まって?どうして………?ああ、会える世界のために、自然王に……だっけ……?うん、そうだね」
言いながら、彼女はゆっくりと顔を上げる。出血は既に止まっていた。既に額に流れた血は、拭き取られたのか綺麗になくなっている。
「……うんしょ、うんしょ」
彼女は上半身を起こし、そこで息をつく。海に流されていたことで体力が消耗していたのだ。そんな彼女には、寒さで体調を崩さないためか、乾いた毛布がまかれていた。
「………ええと」
僅かに開いた倉庫の入口からは、激しく降る雨の様子が見て取れた。先程より強まっているようだ。恐らく、海も荒れている事だろう。今この時に外に出るのは危険以外の何物でもなかった。
「……行かなきゃ」
そんな状況でも、彼女は行こうとする。誰にでも、いつでも会える世界にするために。もう、こんな世界は嫌だと三年前に思ってから、ずっとこうだった。
アフレダになり、体が変貌し、心が、自身を変えた情動だけに支配されていく中、必死に考え、出した思いに従って。彼女はただ、そうするしかない。
「……行かなきゃ」
今を嫌がる。否定する。恐怖する。アフレダになるまでの九年で味わったこと、その以前に味わったこと。その苦しみの記憶とそれに起因する衝動が、彼女を突き動かす。
「行くの」
立ち上がる。彼女は毛布を落としながら、歩いていく。それをくれた彼の思いなど、考えることもできず。理解することもできず。
「………もう、二度と。あんなのは……」
いつの間にか、倉庫の入口に辿り着いていた彼女は、外に出ようとした。
だが。
「待て」
「え?」
いつの間にか、アソシアードが目の前に立っていた。ずぶ濡れの彼は、マントの中に大きめの毛布をいくつか持っていた。どれも端の方しか濡れておらず、少し乾かせば十分に使えそうだった。
「……戻れ!御枝!」
髪が濡れ、目元が隠れて見えない彼は、今までにないぐらい強い口調で言った。
「…うん?」
「戻るんだよ!」
いう事を理解できずに首を傾げる彼女を、アソシアードは。
「戻れ!」
思い切り、突き飛ばした。
「………!?」
御枝の小さい体は、彼の体当たりでも十分に転がっていき、元々いた位置に戻る。
「………あ。くそ」
舌打ちに近いものをしながら、彼は倉庫の扉を閉める。
先程の行動は、衝動的なものだったらしい。
「………?……?」
さすがにアソシアードに突き飛ばされた……攻撃されるようなことは、理性の大半がない御枝にとっても、混乱するに足るものだった。
ずっと、彼女の思いを肯定し、大切にしてくれた彼がどうして、と。
「………やめろ。行くんじゃない!外の天候は見ただろ!危険なんだよ!」
彼はずんずんと彼女の方に歩いてくる。その一歩一歩は荒々しく、彼が平静ではないことは、容易に感じ取れる。彼女には、できなかったが。
「ここで大人しくしていろ!新しい毛布も持ってきた。これ被ってじっとしておけ!」
そう言い、彼はマントの下から毛布を御枝に放り投げる。
しかし、彼女はそれを、受け取らなかった。
「……御枝」
彼女は、投げられたそれを、腕ではらった。
「………こんな状況で、行くなんて許さないぞ。さっきまで、お前は具合が悪かった。天候も最悪だ。例え連中に先を越されたとしても………仕方がない」
「!」
御枝は、弾かれたかのように勢い良く立ち上がった。
「…邪魔、するの!?私は行くの!邪魔なんてしないで!」
彼女が理解したのは、自分の行いを、アソシアードが邪魔するという事だけだった。
「……御枝!」
濡れた髪の下で、彼は叫ぶ。
「どうして!?私の思い、あんなに!」
「……」
「邪魔を……するなぁ!」
御枝の背中から、腕がいくつも生え、彼に襲い掛かる。だが、彼女が病み上がりなせいか、その威力はかなり弱く、常人と変わらない耐久力の彼でも、耐えられるものだった。
「ぐ……」
受けた衝撃でよろめきこそしたものの、彼は体勢を立て直し、御枝に向き直る。
「……こんのぉぉ!!」
混乱と敵意。それらが入り混じる中、彼女は邪魔者をどかそうと、バランス感覚も怪しい中、彼に向かって無理に走っていく。
背中の腕をまとめ、一つの拳となす。唸らないし、さほどの強度もなさそうに、弱くまとまったそれを、彼女は。
「私は行くの!会える世界にするの!いつでも会えるようにするの!なんで、邪魔するのぉ!どいてぇ!」
表情を醜く歪めながら、目の前の彼に対して、打ち込んだ。
「………」
雷鳴が、鳴った。その光は、倉庫の窓から倉庫内に差し込んだ。
「……御枝」
髪から飛び散った水滴が、宙を舞う。
光は、打撃の衝撃で跳ね上がる髪の下の、彼の表情をさらけ出した。
「……………そんなに、会えることが大事か!」
彼は怒っていた。心の底から。だから、視線は相当に鋭く、瞳は熱く、そして冷たかった。
「いい加減にしろ!」
彼はそう叫び、御枝の腕を勢いよく掴んだ。
「な、なに…」
さらに驚き、たじろぐ彼女。
「どうしてお前はそんなに無理をする!どうして自分の身を顧みない!どうしてお前はそうなんだ!私がどれだけ言っても、いつもそうだ!お前は、いつも危ない橋を渡る!さっきなんて、危うくお前は死ぬところだったんだぞ!」
気圧されていた、彼女は。
「そんなに大事か、人に会えることは!そこまでする価値があるのか!?いい加減にしろ!このままじゃお前はいつ死んでもおかしくない!自然王の話を聞いて終わりじゃない!その後もお前は、女神機関と戦う!そのときに、お前は……!」
彼の叫びは過熱し、間髪入れずに言葉が叩きつけられ、彼はさらに感情を溢れさせる。
そして、その言葉を、彼は行った。
「……たかが誰かに会えることが(・・・・・・・・・・・・)、そんなに大事なのか!」
「!」
それを聞いた時、御枝は顔を真っ赤にして叫んだ。
「あるよ!ある、の……会えることって言うのは………!」
「なんだよ!命を懸けてまで、やるのかよ!そんなに大事な事か!?死ぬ可能性がある事をするぐらいなら、止めた方がましだ!」
「そんなわけない!私は会えるようにするの!それができるならなんでもいいの!どうなってもいいの!会う、会う、会うの!」
「…お前は!いつも!」
アソシアードは顔を赤くしながら言う。
「どうして自分の身を顧みないんだよ!この馬鹿が!」
彼は、怒りに燃えていた。今は、決して、彼女の行動を肯定してはくれそうになかった。
「……………アソシアードぉ」
二人は、睨み合っていた。
「……今だってまたアソシアードに、会えるのは………たかが、なんて、言わないでよ!」
俯き、彼女が震える、外の天候は一層悪化していた。雷は回数を増し、風は相当に強まり、雨量は尋常ではなくなっていた。
「私は、会いたいの!誰にだって、いつでも!永遠に!ずっと!だから、いかせてよぉぉぉぉ!!」
御枝は勢いに任せ、背中の腕がほどけるのも構わず振るう。
「ぐっ!?」
偶然にもその一撃は、アソシアードの足を絡めとり、バランスを崩させた。
「な……御枝!」
彼が勢いよく転倒し、起き上がった時には彼女は倉庫の扉の方に走っていっていた。
いつの間にか、背中の腕には、丸木舟とオールが握られている。体力はさほど残っていないはずだが、怒りと気合でどうにかしたのだろうか。
「……会う事は、会えることは、大事な、大切な事なの!ベーだ!」
御枝はその細腕で扉を頑張って開き、自分がギリギリ通れるぐらいまで開いたところで、
アソシアードの方に下を出す。目元に涙を溜めて。
そして躊躇なく、豪雨の中に飛び込んでいった。
「御枝!」
その叫びは、雷の光にかき消された。
「………くそ。あいつ。………勝手に、しろ……」
残された彼は、悪態をつきながら、乱雑に倉庫の床に座った。
そうしているうちに、意外にもすぐに雨は止んでしまった。相変わらず辺りは暗かったが、波も落ち着き、渡れるようになっていた。
「………」
彼は、黙って座っている。
(御枝…………泣いてた、な…)
心配故の不満。蓄積されたそれは、先のフェリーの一件がきっかけでついに爆発してしまった。そうなれば、根本に直情的なところがある彼は、落ち着いて話などできず、ただ感情に任せて叫ぶしかなかったのだ。
それ故に、御枝を傷つけることまでつい、言ってしまった。
「なに………してるんだろうな……」
彼はため息をつく。
心配しているのに彼女が注意を聞き流し続けたからといって、大切に思う相手を傷つける行為は良い行為とはとても思えない。彼女に申し訳なく思う。
だが、こんなにいつも心配しているのに、彼女は常に危険な行為を繰り返している。一度、誰にも助けてもらえずに痛い目に逢うのもいい薬だ、と考える自分もいる。
それら大まかに分けて二つの感情がぶつかり合うことで、彼はどうするべきか悩み、そこにいるままだったのだ。
「……けど、アイツを一人にするのは……」
そんな状態の彼であったが、たまに立ち上がっては数歩歩き、また座ることを繰り返している。御枝のことが心配で、つい助けに行きたくなる。だが、反対側の考えが浮かんできて止めてしまう。それがひたすら何度も、だ。
(……けど、アイツは。私がこれだけ心配しているのに……)
立ち上がる、立ち止まる、座る。立ち上がる、立ち止まる、座る。
ずっとそんな状態で少しずつ、彼は倉庫の入口に近づいて行った。
彼は、悩み続けた。どうするべきか。彼女に痛い目を合わせるため、このまま放って置くのか。今度こそ死んでしまう、なんてことが起きないように後を追うのか。
双方ともに、彼女を心配に思う故。それなのに、二つの思いは相反し、彼を悩ませ続けた。
考えて、呟いて、歩いて、止まって、考えて、呟いて、歩いて、止まって。
そんなある時、雲の隙間から、一瞬だけ太陽の光が見えた。
(眩しい……)
そう思い、同じところを繰り返す思考が中断されたその時、彼はふと疑問に思った。
「………。私は、どうして御枝のことを……こんなに心配して……アイツの事を大事に思うんだ………?」
その疑問に、以前花枝から言われたことを思い出す彼。
彼のその気持ちは、決して同情だけではない。ならば。
「………どうしてだ……」
その理由を何となく考えた時、あるものが浮かんできたことで、彼の思考は加速した。
その浮かんできたものとは…………御枝の、笑顔だった。
数か月前、彼が彼女と出会った時。彼女はそれを、とてもうれしがっていた。その笑顔は、とても満ち足りたものだった。
「アイツの……」
彼はさらに思い返す。彼女が笑った時のことを。
そして、その笑顔が大切だと、自然と感じられた。何度も、いつも、見て居たいとも。
御枝の笑顔が、いくつも脳裏をよぎった。
(私は………)
それを見たとき、幸せになることを思い出す。
「どうして………」
同情心……哀れに思う、以外の部分。不明な部分。それは………。
「私は………」
また、笑顔が、よぎった。それが消えることは、見られなくなることは、嫌に思った。
彼女を気にかけ、大切に思い、その笑顔を見たいと望む、その理由は……。
「私は…………御枝の」
彼女の満ち足りたその表情が。無垢で、純粋なそれが。自分がしたことで、彼女が見せてくれたそれが。
「御枝の笑顔が好きだったんだ……」
彼の彼女への思いの根源は、それだった。
その笑顔が好きな彼女の思いを、行動を否定したくない。だから、村での話し合い場では真剣に挑んだ。
大好きな笑顔を浮かべる彼女が傷つくのが、耐えがたい。だからこそ、危険な行為をする彼女に不満を募らせ、怒ってしまった。
二度と、あの笑顔を見られない。その笑顔を浮かべる彼女に会えないと。
それは嫌で、絶対に避けたくて。
だから、怒った。
「……そう、だったのか」
花枝がふざけて言ったことは、あながち間違いでもなかったのかもしれない。
「……」
そしてその気持ちを自覚すると、不満がまた湧いてきた。
好きな御枝の思いは、行動は尊重したい。だが、危険なことをして欲しくない。なのに、する。
彼女はどうして………。
「会うことに固執してるんだ…………。…そんなに、大切なのか」
その問いを再び彼は発した。
好きな彼女の思いを、理解できないと感じる苦しみも生まれてきてしまって。
……けれど。彼にはもう、全ては言わずともある程度、分かっているはずだった。今はそれに、気づいていないだけで。
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