第一章[対立の原点]その1

 そこは、戦争などの人類と言う種を脅かすことをなくして人類を生きながらえさせ、文明の発展を促進する目的で作られた巨大なコンピューター、コードAに管理されたはるか未来の世界であった。

 とはいっても、人間がそれの道具とされ、好き勝手に操られてしまうような、完全な管理世界ではない。一方的な支配は基本的にない。

 確かにコードAは文明の頂点に立っている。だが、あくまでも人類の補助に、それは徹していた。

 二つの目的の一つ。人類の自己発展のため、それは余計な手出しをしていなかったのだ。

 人はコードAを、あらゆることを補助してくれる、与えてくれる神のごとき万能システムとして、信頼していた。コードAもそれに応えようと、日々自身をアップグレードしていた。

 そんな、持ちつ持たれつな関係がずっと続いていた。

 だがそれは、あること(・・・・)によって、崩れる。

 コードAは、そのあることにより、人が人に会う事を禁じた。

 それは、人を家族すらもバラバラにし、それぞれに家を与えてそこに閉じ込めるというものである。

 監視ロボットを家の外のあらゆる場所に配置し、家の中にも、世話役と言いつつもやはり監視の役割も持つロボットを配した。

今や人は一人でいるしかなく、逃げることは許されない。



……そして。あること(・・・・)によって消えていく運命が、彼らを待っていたのだ。



▽―▽


「………朝か」

 最早居住者はいなくなった家の一室で、彼は今日も起動した。

 ひび割れた窓から指す陽光が、朝を示さんとばかりに彼の機械の体を照らす。

「……眩しいな」

 窓から真正面に太陽があるので、入ってくる光はかなりのものだ。

 それを受ける彼の瞳は朱色で、髪はカフェオレと同じ色。

 マントに包まれたその背はやや高いと言ったところで、顔は美形寄りではあった。

「さて、マスターも起きてもいい頃だと思うぞ」

 彼、アソシアードは自分が座っていたベッドの下を見る。

「キュ~……」

 そこには豚ぐらいの大きさの、奇妙な生き物がいた。

 二つの足に二つの腕。それに鋭い形の顎を持ち、体のあちこちを白い殻のようなもので覆っている。

「キュウ~……」

 そんな生き物、マスターは眠そうに鳴き声を上げ、狭いベッドの下を転がる。

「起きたらどうだ、マスター。………仕方ないか」

 アソシアードはマスターを引っ張り出して持ち上げ、窓の目の前に持っていく。

「ほら、目を開けるんだマスター。マスター……よし、開けよう」

まだ眠りたいのか頑なに目を開けようとしないマスターに対し、アソシアードは強硬手段に出る。

左手でマスターを抱えたまま、右手で彼の目を片方、強引に開けたのである。

「…………むきゅぁぁぁぁぁぁぁ!?」

「効いただろ、マスター。こんだけの光だ、さぞ網膜に焼き付いたろ」

「……むきゅぅ」

 不満そうにマスターは声を上げた。

「さてと」

 アソシアードはマスターを抱えたまま、建付けがやや悪くなった部屋のドアを開、廊下に出る。

 ちなみに、通った際にマスターの足がぶつかったことでノブはとれて落ちた。

「……起こし」

 彼は廊下を歩きながら呟く。

 もし彼女(・・)が起きていて自分の目の前にいないなら、絶対に何かしらの音を出している。だがそういうことがないので、彼女はまだ寝ている。

 彼はそう考えたのだ。

「……行くか」

 そう言いつつ、彼は自身の仲間のいる部屋へ向かって、長いだけの廊下を歩いて行く。

 道中、十二年間未整備(・・・・・・・)であったために壊れてしまったロボットの残骸を跨ぐ。

途中数個あった個室は、物が散乱していて危なかったり、窓が割れたままになっていて風が寒かったり、その他様々な問題があり、使用されていない。

唯一使われているのは、廊下の一番奥にある一室だった。

「さてと」

 アソシアードはマスターを床に降ろす。

「…………大丈夫だよな」

 彼は不安そうにそう呟き、扉代わりに布が上の方からかけられた入り口に手を掛ける。

 次にゆっくりと顔を出す。

「背中は暴れてないか(・・・・・・・・・)………」

 彼は中にいる少女を素早く観察して呟く。

「お~い。御枝(みえ)。……御枝(おえだ)ちゃ~ん」

 反応がないので、渋々中に入って彼は声をかける。

「起きろ。っていうか早く起きてくれ。あの性悪がからかいに来る前に」

 大きなクッションで丸まって寝息を立てる、目の前の彼女は小さいものだった。

 艶やかな長い黒髪に、愛らしい瞳。そして幼さの残る顔つきをしている。

 背丈は当然ながら低い。

 服装は布をつなぎ合わせたような露出度が高く、ドレスにも見えるもので、ばっさりと開いた背中からは、木の杭のような(・・・・・・・)、硬いものが数本生えていた(・・・・・・・・・・・・)。

「………はぁ。マスター」

「キュ?」

 部屋の入口から立って覗く彼はキョトンとする。

「頼む」

「キュウ!」

 アソシアードは部屋の隅に移動し、膝をついて姿勢を低くする。

 その直後だ。

「きゅきゅきゅきゅきゅきゅきゅきゅ……」

 突如としてマスターが怪しい笑い声をあげる。

と同時に、彼の体が急速に肥大化する。形はそのままに、大きさだけはアソシアードより一回り程大きくなる。

そして。

「グォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!」

 強烈な叫び声を上げた。

 空気が震え、家全体が軋み、その外にいた鳥たちが驚いて逃げていく。

 それほどのものだ。当然、眠る少女、御枝も目を覚ます。

 ただし、その目覚めの言葉は、普通の人間の女の子の、ものではなかったが。

「…会いたい」

「何?」

「…会いたい、会いたい……会いたい…誰でも、誰でもいい……から、会いたいよう…」

 御枝はうつろな目をしてゆっくりと起き上がる。

 その目は、眠気も大いにあるだろうが、そこにはそれ以外に、明らかに普通ではないものも孕んでいる。

「会いたい……会うの、会いたいの……」

 狂気だ。

 会う事に執着し、それだけを求め、それしかなくなっている。

 それに囚われ、彼女はブツブツと呟いているのだった。

「……会いたい、か……」

 アソシアードはそれを静かに見つめる。

彼はいつも、寝起きのこんな彼女を見ていた。だから慣れっこではあった。もっとも、その気持ちは彼には分らないのだが。

「御枝、いい加減起きろ。今日はあれを、壊しに行くんだろ」

 そう言い、彼は彼女に近づき、その頬をぐりぐりと触る。

 すると。

「…………あ。……会えた。会えた!……また会えたね、アソシアード」

「そうだな、会えたな。おはよう、御枝」

 御枝は彼の顔を見つめてにっこりと笑った。

 先程の狂気は、望みが達せられたおかげなのか消えていた。

「……なんだかな」

 ここまでは、彼は彼女と出会って、一緒にいることを約束し、冒険をするようになってからはいつもの流れだ。

 唐突に狂いだしては正気に戻る彼女を見ていると、彼はなんだか変な気分になるのである。

 それが憐みか、同情か、それとも他の何かであるのか、彼にはよく分からない。

「御枝、背中は大丈夫だよな」

「うん。大丈夫。急に生えたりしないよ」

「なら、いいんだが………」

 彼らが部屋を分かれて夜を過ごしたのは、御枝の背中の杭からあるものが無限に生え、暴れ回るということが、昨夜あったからだった。時々起こることで、御枝自身にも制御できないし、する意識もあるのかやや怪しい。

 とは言っても、それがなくても、彼らは一緒に休んだりしなかっただろう。

 何故ならば。

「……御枝ちゃん、おにいちゃんに心配されてうれしい?アソシアード、妹ちゃんに好まれて興奮する?熱いんだなぁ、二人とも」

 そんな台詞を吐いた後、静かな笑い声を響かせ、日夜煽ってくる者がいたからだ。煽られるネタは少しでも減らしておきたいのである。

「宇沙……そういうのは、やめろ」

 アソシアードがいた部屋よりは暗いその部屋ではあるが、その中でも一部分だけ、妙に黒ずんだ場所がある。

 そこからうっすらと影のような黒い人型が現れる。それは徐々に分厚くなっていき、色も変わっていく。

 いつしか、そこには少女のような者がいた。

彼女は可愛らしい顏に僅かな笑みを浮かべ、男、アソシアードを見ている。

着ている漆黒の着物は、袖だけが十メートルほどもあり、それ以外が極端に短かった。頭には銀色のヘッドドレスがついている。

「やめるの、イヤだけど」

「拒否するな。正直いつも不快だ。嫌がらせはやめろ。望んでないぞ」

「嫌がらせって、求めてやるものじゃないけどね?」

「何にしろやるな。うざったいぞ」

 そんなやり取りを、御枝はキョトンとした様子で見ている。

「かわいそうに。アソシアードったら……」

 愉快そうに瞳を三日月形にし、袖で口元を隠して宇沙は笑う。

 そんな彼女は、アソシアードが御枝と出会う以前から彼の前に現れ、からかいを繰り返している。

 自称自然界の使者という、謎の存在だった。

「どういう意味だ、それは」

 そんな宇沙の態度を見たアソシアードは顔をしかめる。

「憐みだよ?後はからかい」

 にっこりと笑って宇沙は言う。

「優しくしてる御枝ちゃんにも助けてもらえないなんて、日ごろ何で気にかけてあげてるのか分からなくなるね」

「……そんな礼が欲しくてしているわけじゃ……」

 アソシアードは一歩踏み出し、宇沙を睨みつける。

「それじゃ、なんのために?」

「………それは」

 そこで、彼は言葉に詰まった。

「………」

 宇沙はそれを静かに見る。その目線は、先ほどの様に嗜虐的なものではなく、何か真剣そうなものがあった。

「………ま。近いうちにパッといえるようになるといいね」

 彼女はそっけなくそう言った。

 御枝は相変わらずキョトンとしていたが、

「…よくわかんないけど。今日も会えて幸せだね!仲間に!」

 満足そうな表情でそう言う。

「……うん、そうか…ねぇ」

「そうだよ?会えるって、幸せだよ」

「そうだよ、いいことだね」

 笑ったり怒ったり。

 そんなやり取りをする三人は、今の世界を変えようとする、旅の仲間だった。

 中心は今の世界を心から嫌がる御枝。彼女と一緒にいることを約束したアソシアードと、彼と彼女を出合わせた宇沙が付いて来ている、というような構成だ。

 御枝の望む世界の変え方に従い、やるべきことの二つのうち、あるものの破壊のため、彼らはこの都市に密かに侵入している。

 襲撃は今日だ。これまで二度、同じような相手に対し、勝利を収めているので、彼らには勝てる自信もあり、それ故やや余裕があった。

「……ところで宇沙。朝食の材料はあるんだよな?」

「…できたよ?ほら」

 宇沙が言うと、彼女の服の袖がふわりと持ち上がり、中から数個の果物が出てくる。

 アソシアードと宇沙は食事が必要ないが、御枝は人間ではなくなっているが、生き物ではあるため、食事が必要なのである。

「おいしそうだね」

 御枝はそう言って食材に手を伸ばす。勿論それは生なのだが。

「いや、待て。宇沙、変なものじゃないよな。お前が反応を見て楽しむための」

「…おっと?好きな仲間が出してくれた食料が信じられないのかな?」

「お前の事はあんまり信じてないぞ。それにどちらかというと嫌いだ、お前の事。嫌いな奴の事、そう信じられはしないだろ」

 アソシアードは宇沙を指差して言う。

「…アソシアード、そういうのはダメだと思う。せっかくいつも会えるのに、それを自分から捨てるなんて」

「……は、はぁ?」

 会うことに固執している御枝の主張は、彼には理解し難い。

「…とにかく、仲良くが一番と言う事だよ」

 御枝はアソシアードを見上げ、指を突きつけながらそう言う。

「……それはそうかもしれんが。私の感情としてはこんな性悪と仲良くはなぁ…」

 彼が宇沙の方に視線を向けると、

「なんとひどい。ひどく傷ついたよ、ひどい仲間だなぁ。うぇぇぇぇぇぇん」

 などと彼女は棒読みで、微笑を浮かべながら言う。

「………よく分かんないけど。いつも会ってくれる宇沙が、危ないのは、出さないと思う」

「それこそ意味が分からん。………切って中を見るか」

 アソシアードは宇沙の方を向き、

「おい、宇沙。ナイフぐらい持ってるんだろ?」

 よこせと言わんばかりに手を伸ばす。

「持ってるけど?なんならレーザーカッターやノコギリ、石包丁まで完備しているけど?」

 宇沙は、その十メートルの袖のそれぞれの中に、どこから頂戴して来たのか、いろいろなもの収納していた。

その割には、袖の厚みがあまりに薄すぎることが不思議ではあるが。

「そんなのいらんわ。ナイフでいいから」

「はいはい。妹みたいに思ってる女の子のために、果物を切ってあげるなんてかんどー」

 宇沙は感動したふりをしながら言う。

 アソシアードは、そんなのはもう無視し、彼女が袖から出して放り投げたナイフを掴む。

「リンゴからいくか…」

 彼は素早くリンゴを真っ二つに切る。

「……いたって普通のリンゴ、だよな。ついでだから……」

 そう言いながら、アソシアードはリンゴをさらに割り、皮の一部分だけを向いた。

「ほれ。どうぞ」

「わぁ!ありがとう!」

 アソシアードが手渡したリンゴ(ウサギ形)を受け取り、御枝は嬉しそうに笑ってそれを食べ始める。

 彼はそれを見て、

(………こいつがこうもうれしそうだと、私もうれしくなるな……どうしてだろうな)

 御枝は嬉しそうにリンゴをもしゃもしゃと食べている。

 その途中、宇沙が御枝に尋ねる。

「……御枝ちゃん。ほんとに、やる?」

「もぐもぐ……うん。あんなの(・・・・)がいたら会えない、だから壊す、壊す…」

 彼女は、どこか狂ったような声で言いながら頷く。

「そうだね。そうしなきゃ、誰も自由に離れないんだから」

 宇沙は妙に嬉しそうに頷く。

「……今の世界、イヤだ……ヤダ、や……や」

 御枝はそう言うと、俯いた。

 その瞳には、悲しみや不満、恐怖、そして相変わらずの狂気が渦巻いている。

(その目………)

 アソシアードは、彼女のそんな瞳を見ていると、妙な気持ちにいつもさせられる。

 初めて彼女と出会った時もそうだった。

 彼女のことを気にかけずにはいられないのだ。

 同情、なのだろうが。それだけではないような気は、うっすらと彼にはしていた。

「……なぁ、何か分からないのか。マスター」

 アソシアードは、膝の上で丸くなっているマスター見て呟く。

「………」

 彼は、静かにアソシアードを見つめるのみだった。

「……まぁ。今日襲撃(・・)を決行することに変わりはないしな」

 その時だった。


「女神機関(・・・・)だね。来たかな」

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