第4話 水川


「お、おい、なに泣いてんだよ」


 私の涙を見て、水川は急に慌てた。

 そして乱暴にぶんと頭を下げた。


「ご、ごめんな。なんかよく分かんないけど言い過ぎた。多分、言い過ぎたんだな。だから謝るよ。本当にすまねえ。俺、無理やりとか悲しい想いさせるのとか、そういうのは絶対にイヤだからよ。そういうのは絶対しないようにしてるから。避妊も完璧にする。ああ、こういう話ももう嫌だよな。ごめんな。よく分からねえけど、俺、お前を傷付けたんだよな。ごめん。本当にごめん」


 水川は泣き続ける私にとにかく謝り続けた。

 私は鼻をぐずとすすり、バレないように俯いたままくすりと微笑んだ。

 

「俺、帰るよ。だから泣き止んでくれ。もう2度と来ないから。2度と高梨の前に姿を見せないから」


 水川はそう言うと、窓サッシから手を離し、身体を反転させた。

 それからこちらを見ないまま、もう一度「ごめん」と言った。


「待って」


 私は思わず声をかけた。


「なに?」


 水川はもう一度、こちらを見た。


「水川君、本当にヤりたいだけなの」

「そ、そうだけど」

「相手は誰でもいいの?」

「うん」

「好みとかないわけ」

「ない。ヤらせてくれるなら誰でも良い。あ、もちろん、女限定ね」

「じゃあなんで私のところに来たの」

「どういう意味?」

「水川君って、顔も悪くないし、彼女いるんだし、セフレとかもいるんだし、わざわざ私のところになんて来なくても」

「別に高梨に拘ってるわけじゃねーよ」


 水川はあっけらかんと言った。


「俺、学校の女子には全員に頼んでるから。高梨だけじゃなく、全員にね。同級にも後輩にも先輩にも、時々、先生にも。高梨、学校にほとんど来ねーから知らねえだろうけど。俺はみんなにヤらせてくれってお願いしてる。そのせいで学校中から嫌われてる。3回停学にもなってる。警察沙汰にもなってる。多分、あと一回バレたら退学になる」

「そりゃそうでしょうね」


 私は思わず苦笑した。

 こいつ。

 思った以上にイカれてる。


「んで、99.9%は拒否される。時々ビンタされる。親にチクられてひどい目に合う。けど中にはやっぱ物好きがいてよ。オッケーしてくれるのよ」

「ふーん」


 私は短く数回、頷いた。

 正直、信じられない、とは思わなかった。

 むしろその反対。

 そうだろうなと思った。

 水川は最低だしクズだし人間としてどうかと思うけど。

 こいつを気に入るやつは、多分、いる。

 すごいマイノリティーだと思うけど。

 水川とセックスしてもいいと思う女子は、いるだろう。

 

「嫌じゃないの」


 と、私は聞いた。


「嫌?」

「嫌われ者になること。人から変なやつって言われること」

「別に。もう慣れたし」


 その時。

 微かに水川の目が揺れるのが見えた。

 ここに至り、初めて水川が揺れた。


「慣れた? ってことは、最初は嫌だったんだ」


 私は言葉尻をあげつらった。

 すると水川は「お前嫌なとこついてくるな」と苦笑いした。


「そりゃよ。最初は嫌だった。学校で誰も話してくれなくなったし。先生にも無視されるようになったし。親にも死ぬほど怒られた」

「それでも、止めなかったんだ」

「うん」

「なんで」

「ヤりかたったから」


 こいつはそれしかないのか。

 いや、こいつにはそれしかないんだ。


「そしたらよ。途中からどうでもよくなって来たんだ。いくら嫌われても、別に大したこたねえなと思って」

「大したことあるでしょ。誰も話してくんなくなったんだから」

「大したことねーよ。ネットに潜りゃいくらでも話相手はいるしな。学校なんてマジでこの世の一部でしかねー」

「そういうもん?」

「そういうもん。無視されたからって、こっちから追いかける価値なんてないね。これはマジで断言できる。何かを我慢してまで縋るもんじゃねえ。どうせ卒業したらなんの縁もなくなる奴らだ」

「そうかしら。思春期の友達は一生ものじゃないの」

「んなわきゃねーだろ。古い漫画の読み過ぎだ」


 水川は苦笑した。

 そうかもしれない、と思った。

 そしてその時はたと気付いた。

 それが当たり前だと思ってたけど。

 そもそも、なんでそんな風に思ってたんだろう。

 思い込んでたんだろう。

 学校のクラスメートなんてろくなやついなかったのに。

 大して魅力のない奴らばっかだったのに。

 つまんねー奴しかいなかったのに。

 けど、あいつらと上手くやらなきゃいけないと思い込んでた。

 それが出来なきゃいけないんだと。

 そう思い込んでた。


「んでよ、そしたらよ、これが不思議なもんで。その内、裏でコソコソ話しかけてくるやつが現れたのよ。学校では目も合わせねーんだけど、外では普通にマックとか行ってる。だから俺、今は意外と友達いんだよね。男だけじゃなく、女子もな。おっと、その女子はセフレとかじゃねーぞ。普通の友達だ」


 へへ、と水川は鼻の下を擦った。

 私は月を見上げた。

 歪な形の月には、筆の遊びのような雲が張り付いていた。

 水川の話を聞いたあとの自分の感情が意外だった。

 私は悔しかった。

 水川に嫉妬した。

 この男が羨ましかった。

 もしかしたら。

 もしかしたら、私にも、生きる道があったんじゃないか。

 そんな風に感じた。

 それはきっと錯覚だ。

 それとこれとは別の話だ。

 私が死ぬことと、水川の話したことには何の関係もないことなんだけど。

 そんなことはわかってるんだけど。

 

「そんじゃあな」


 水川はそう言うと、再び背中を向けた。


「待って」


 私はその背に声をかけた。


「なに」


 水川が首だけ振り返る。

 私は唾を呑み込んだ。

 そして少し緊張しながら、言った。


「水川。明日も、ここに来てくんない」


 頭の片隅で、未練が産まれていた。


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ヤリチン男と安楽死志願ガール 山田 マイク @maiku-yamada

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