第2話 誘い


「……は?」


 私は絶句した。

 聞き違いかと思った。

 聞き違いであって欲しいと思った。

 今夜は久しぶりに落ち着いていた。

 それもこれも月夜のおかげだった。

 幻聴も幻視も怒りも嘆きも呻きもなにも無かった。

 冷たい夜風と月のおかげで普通の女子になれていた。

 それなのに。

 台無しだ。


「だから、死ぬ前に、1回俺とセックスしようぜって誘いに来たんだよ」

「……なにそれ。意味わかんない」

「いや分かるだろ。俺は高梨とセックスしたいってこと」

「私はしたくない」

「そう言わずに。頼むよ。1回で良いから」


 水川は困ったように眉を下げ、懇願した。

 そして猿みたいにキキッと笑った。

 馬鹿みたい。

 そう思ったが、その姿には不思議な愛嬌があった。

 滅茶苦茶なやつだけど、すぐに追い返す気にはならなかった。


「なんでそんなにしたいの。水川君、私のこと好きなの」

 

 わざとそんな風に聞いた。

 そんなわけはないと思っていた。

 この男は単にセックスが好きなだけで、私のことなんかどうでも良いに違いなかった。

 けれど、口では上手いこと言ってくるだろうと思った。

 私を"その気"にさせるために。


「別に好きじゃないよ」

 しかし、水川はそう言った。

「つか俺、彼女いるし。3人いるし。彼女っぽい子もいれたらもっといるし。水川のことも嫌いじゃねーけど、けど、俺はヤれればそれでいいし」


 私は顔を顰めた。

 なにこいつ。

 巫山戯てんの。

 男女の駆け引きとかそんなの分かんないけど。

 こういう時は嘘でも君が好きだとかいうでしょ。

 言うべきでしょ。

 それが礼儀でしょ。


「怒んなって」


 水川はキキッと笑った。

 

「俺、嘘は嫌いなんだよ。だから正直に言ってるだけ」

「あっそ。悪いけど、私は嫌だから」

「そう言わずに。だってよ、勿体ねーじゃん」

「勿体ない?」

「そ。まだセックス出来るのに死ぬなんて。死んだらセックス出来ねーぞ」

「別にしたくないし」

「嘘吐けよ。セックスそのものはしてーはずだ。俺とはしたくないかもしんねーけど」

「したくない。嘘じゃない。そんなの、したくない」


 マジで? と、水川君は目と口を丸くした。


「セックス、したくないの?」

「しつこい。マジで興味ない。そういうの、どうでも良い」


 私は水川から目を逸らした。

 半分は嘘だった。

 もちろん、興味はあった。

 頭に鬼を飼っているだけで、私も普通の女子だ。

 興味がないわけがない。


 けど、したいわけではない。

 それも本当だ。

 というよりも、もう、そういうのもどうでも良い。

 そんなことよりも現実が辛すぎて。

 頭の中の修羅が苛烈すぎて。

 男とか女とか。

 彼女とか彼氏とか。

 そんなことはもうどうでも良くなっているのだ。


「どうでも良いならしようぜ」

 水川はやけに並びのいい白い歯を見せてニカっと笑った。

「どうせ死ぬんだろ? なら、ヤってもヤらなくても同じじゃん。ヤって死んでもヤらずに死んでも同じことだろ? なら、どうでも良いんなら、ヤればいいじゃん?」


 なにその理屈。

 意味わかんない。

 マジで意味不明。

 超身勝手。

 自己中。

 私を女だと思ってない。

 性処理の道具としか見てない。

 最悪人間。

 最低男。

 猿野郎。

 常識知らず。

 どんな倫理観してんだ。

 どんな道徳観学んできたんだ。

 ゴミ。

 クズ。

 ダニ。

 私の頭にありとあらゆる罵詈雑言が思い浮かんだ。


 前言撤回。

 ちょっとでも可愛げがあるなんて思った私が馬鹿だった。

 この男は本物の猿だ。

 

「ところでさ」


 私が心のなかで毒づいていると、水川が言った。


「高梨の部屋の壁、なんでこんなにボコボコに穴が開いてるわけ」


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