第2話

 バラックの中にまで引いた女性に中にいた別のだれかが声をかける。

「どうかしましたか?」それはしとやかさと知性を感じさせる言葉遣い。されど声には子供くささが多分に残っていた。

「いえ。異様な風体の男と子供がいましたので少し。火をほしがってましたが何をするつもりやら。」警戒の色鋭いまま女性は答えた。

「異様な風体。家の者ではなくて?」女性に傅かれている子供は真っ先に気になったことを尋ねた。

「おそらくは違うかと。服も持ち物も全く見たことがなく近辺の者ですらないと思われます。」喜一を監視していた短い髪の女は丁寧な口調で返す。それを聞いた子供は黙ったまま金色の髪を一度こねる。

「……火をほしがっていたといいましたね。ならばそこから種火を取って渡しなさい。そして、確認なさい。いかな者たちかを。」主は従者に下知を下す。

「承知いたしました。」




「んー。火をつけれそうなものはねぇなぁ。しゃぁない、木を擦って火を起こすのやってみるか。」喜一きいちはリュックの中にめぼしいものがないことに頭を掻いた。

「おい、お前。」

「はい?」喜一に呼びかける声のする方には先ほどの髪の短い女性が立っていた。・

「火をほしがっていたな。ほら、これでいいか?」キッとした強さのある彼女の声は実に男らしかった。

「おお!分けてくれるんですか?ありがとうございます。」喜一はもらった種火を大事に火口に移し、作った竈の焚口へと差し込み徐々に焚き付けを足して火を大きく育てていく。

「手慣れているな。」女性は喜一の素性、目的を調べるための話のタネに彼の火おこしのスムーズさを話題にした。

「ええ、まぁ火の扱いと料理はそれなりに。うん。大丈夫だなちゃんと上ってる。さて、これで少ししたら焼けるかな。」

「焼く? 料理をするのか? 貴様。ここで」

「ええ、日持ちしないものは食べたほうがいいでしょう?ああ、どうです?俺たちだけじゃ食いきれないだろうから一緒に食べません?」喜一は手鍋にザッとホットケーキミックスを入れながら言う。

「何をつくるんだ?」

「ホットケーキですよ。」喜一はこれまた慣れた手つきで卵を割り牛乳を注ぐ。

「っと。えーっとキャルだっけか?お前落ち着いたか?じゃぁ、これをしっかり混ぜてくれ。ダマにならないようしっかりだぞ。」

「う、うん。」キャルは渡された鍋とお玉を抱えてせっせとかき混ぜる。

「なぁ、君は誰なんだ。」河原にいきなり現れて即料理と言うなんとも奇妙なことを始めた喜一に対して女性はもう単刀直入に問うことにした

「ああ、名前言ってませんでしたね。俺は米一丸喜一って言います。」

「ヨネイチマルキイチ聴いたことのない響きだな。」髪の短い女性はその聞いたことのない名前から少年は明らかにここらのものではないと確信した。

「はは。でしょうね。そりゃそうだ。よそからここに連れてこられたんだから。さて、どうかな。ある程度火が落ち着いてくれりゃいいんだけど。」喜一はかまどの中の焚き物を確認しながら答えた。

「おーい。混ぜ終わったか―?」

「こんな感じでいい?」キャルが出してきた鍋の中では生地が綺麗に出来上がっていた。

「おう、上等上等!。さ、焼こうか……って焼いたもの置いとく皿がねぇな。」喜一は頭を掻く。

「皿なら貸そう。」そう言って女性はバラックへと戻っていった。

「何から何までありがとうございます。」喜一は彼女の言葉に頭を軽く下げる。


「じゃ、油、油っと。」喜一きいちはフライ返しでバターを削りピンとフライパンへ飛ばして落とす。

 バターが溶けた頃合いを見て鍋から一掬いタネを取るとスーッと中心へ落とし込む。

 ふつっふつっと穴が開いたころ合いで慣れた手つきで生地をひっくり返すと小麦色の面が顔を出す。甘さと焦げの混じった香ばしい香りが漂い出すとみるみる内に膨れ盛り上がる。

「なんだそれは!?」木皿を手に戻ってきた女性はその膨らむ様子を見てとても驚いた様子だった。

「だからホットケーキですって。さて、そろそろかな。皿、出してください。」

 女性が両手で支える木皿に喜一はそれをポンと乗せ、フライ返しで割る。そこから揚がる蒸気に乗る甘い香りがブワリと彼女の鼻をくすぐっていく。喜一は出来を確かめる様に割った欠片をヘラで掬い上げ自らの口に放り込む。

「うん、ちゃんと焼けてる。竈でやるのは初めてだったけどやれるもんだなこれ。あぁフォークもなんもないんで手づかみで食べることになるんでちょっと冷まさないとですね。」

「あ、ぁ、フォークならある。待ってろ。」女性はホットケーキが乗った皿を手に持ったままふらふらとバラックへと消えていった。




「どうでしたか?ラティーナ。」しとやかな声の持ち主はバラックに戻ってきた女の名をそう呼んだ。

「いえ、その料理をしているだけでした。このようなホットケーキなるものを。」木皿の上には多少欠けた焼かれた平たいものが乗っていた。

「これが食べ物なの?確かに似たものは知っているけれどこんなに膨れたものは見たことがないわ。それにこれほどの素晴らしく強い、乱暴と言っていいような芳香なんて初めてよ。」

「はい、少年はこれを何の躊躇もなく食べていたので食べ物であることには間違いないかと。し、心配でしたら私が先に一口。」ラティーナと呼ばれた女性は食の誘惑にごくりと喉が鳴るのを止められなかった。

「まちなさい。あなたに倒れられては私は生きてはいけないのよ。よくよく考えなさい。」ラティーナを止めようとする少女の方も香りの誘惑に掻き立てられる食べたいという衝動を抑えるのに精いっぱいだった。

 掲げられるようにある木皿のホットケーキを挟んで二人の少女は葛藤していた。食べるべきか食べざるべきかの逡巡。それはひとえに毒を気にしてのことだった。


「お皿お皿!何やってんですか!早くしないと2枚目焦げちゃいますよ!!」そんな葛藤のバラックへフライパン片手に件の少年、喜一が現れる。それに驚いた二つの腹がぐぅとなる。

「あら?もう一人いたんですか。遅かったのってだからですか。どうです?一緒に食べましょうよ。お腹空いてませんか?」喜一の誘いに答えるようにもう二つぐぅとなる。

「貴方はいったい何者なのです?なぜ料理などをしているのです?」子供は喜一に詰問をする。

「いやぁ連れてこられたばっかだしここがよくわかんないし、ほかにすることもないし日持ちしないものは食べないともったいないでしょ。食べないと、ね。」喜一は程よく冷めた皿の上のホットケーキを引きちぎって自分の口へと運び込み、うまいと一言言った後、その上にドカンと焼きたてを積み重ねる。

「こっちにある皿、借りていきますよ。まだまだどんどん焼かなきゃいけないんで。あぁ、お代わりほしかったら取りに来てください。じゃ!」喜一は手近にあった別の皿をいくつかおっとってバラックから出ていった。

「お嬢様。恥ずかしいことに私もう我慢ができませぬ。失礼!」ラティーナは食べかけの一枚を引き出しがぶりと食らいつく。

「う、う。う、」モムモムと口を動かしたラティーナはだぁっと涙を流す。

「大丈夫!?出しなさい!早く!。」肩を揺らされる中、ラティーナはごくりと飲み込んだ。

「ばか!苦しいのになんで!」

「お嬢様…非常においしゅうございます。かようなものを食べたのは初めてにございまする。」

 お嬢様と呼ばれた少女は、ふぅっと一つ覚悟の吐息をつくと残った焼きたての一枚へ手を伸ばした。

「あっつ。ん。本当においしいわ。甘くて、芳ばしくて綿のようにふわっとしてるのにしっとりとしてて私も食べたのは初めてです。」

「お嬢様…。」

「もし、これが毒の場合あなただけ死んでは私が困るの。それならばわたくしも死にます。あなたと共に死にます。死なばもろともです。ですが以後、このような軽率なことは控えなさい!」頬を赤く膨らませながら主は従者をしかりつける。




 喜一が戻った竈のそばにはまた見知らぬ誰かがいた。

 頭の上から下まですっぽりとローブで隠れていて人相は全くわからない。キャルは遠巻きにその人影を警戒している。

「だれだろな。見た目からすると浮浪者かね?」キャル同様警戒すべきか喜一も少し考えるがとりあえず声をかけることにした。

「ん?どうかしましたか?河原で火を使うのはまずかったですかね?」喜一はその人影に気さく目の声をかけた。

「いや、なにしてるのかなって思って。」ぼろぼろのローブをまといフードを目深にかぶった人影は少女の声を発した。

「料理です料理。どうです、一緒に食べませんか?余ったら困るんで。どうぞ。」

「でもお金ない。それに……」その少女は深くかぶったフードの奥で首を振る。その動きに合わせてフードの奥から紅い髪の房がちらッちらと揺れていた。

「お金なんていらないですよ。腐るだけだともったいないから作ってるだけで、おいしく食べてくれたらそれでいいんです。ちょっと待っててください。」喜一はニカッと笑って素直に言う。

「私、怖くないの?」少女は喜一の一連の反応にきょとんとした声を出す。

「何がです?最初はそのぼろぼろの服装にちょっとドキッとしましたけど。かわいい声してるとは思っても怖いとは思えませんね。っと。生地がなくなりそうだな。また粉混ぜてくれ。もうその牛乳がなくなるまでさっきくらいの感じで作ってくれ。あ、卵が先で1個ずつだぞ!」キャルにそう頼んだ喜一は竈を覗く。最初に喜一が集めた焚き付けはもう燃える気力をなくしているらしくその火は調理に満足いくものでなくなっていた。それを見て喜一はローブの少女に頼みごとをすることにした。

「ああ、ちょっと焚き付け取ってきてもらえませんか。俺、見てのとおり手が離せなくて。」喜一は何か頼んだ方がローブの彼女も気が楽だろうと考えてのことだった。

「うん。」ローブの少女はそれが何かうれしかったのか声を弾ませそう言うと、周りから手ごろな木を集め始める。消えかけた焚口は少女が集めてくれた薪で活力を得て調理は続く。

「いょっと。」喜一は3枚目の焼きたてをポンと皿へ放り込む。

「はい、どうぞ。」

「おう、キャルごめんな。お前の分が一番後回しになって。今焼くから。」

 4枚目を焼き上げキャルに手渡すとバラックから髪の短い女性が出てきた。

「ああ、お代わりですか?今から焼きますからちょっと待っててください。」

「そのなんだ、もう一人いた彼女がお前に礼を言いたいと言っていてな。ちょっと来てくれ。」

「礼なんていいですよ。」喜一は鼻を少し掻きながら返す

「いや、せなば彼女の気が収まらぬ。」

「じゃぁ、えっと。ちょっとだけ。」再度入ったバラックの中ではさっき見たもうひとりの少女が座を正し、子供らしからぬきりっとした顔で座っていた。さっきもちらっとだけ見えていた金色の整った髪。バラックの隙間から差し込む光にキラキラと輝くそれは彼女に歳不相応ともいえる威厳を与えていた。

「御馳走様でした。あなたからの饗応に対して支払える対価を恥ずかしながら今の私たちは持ちませぬ。ですから、ラティーナ。」お嬢様と呼ばれた少女は従者らしきあの女性をラティーナと呼び目配せを一つする

「饗応だなんて大仰な。別に必要ないですよ。礼なんてそんなもの。俺はやりたいからやってるんです。」大仰な物言いに喜一はしり込みする。

「それでは私もお嬢様も気が収まらんのだ。だから、お前に私の体を使ってほしい。これしか、これしかもう私にもお嬢さまにももうないのだ。」短髪の女性がしゅるりと服を脱ぎ柔肌をあらわにさらし始める。

「なぁ!?いいですって必要ないですから!!服着てください。」

「あれほどのものをタダでなど許されぬ!それとも私では不満なのか!?」品を定めろとばかりにあけっぴろげに両手を広げて見せつける。

「許されるんですって!!それに不満とか何とか俺にはわかんないですから!もう!!」喜一は顔を手で覆ってバラックから飛び出し河原へとダッと駆けだした。

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