第25話「瀬々里、承認欲求と向き合う」

 俺が休日に惰眠を貪っていると、俺の部屋のドアがコンコンと叩かれた。両親ともに仕事に行っているし、この音を立てているのは一人しかいない。


 昨日瀬々里には『今日は休みだからたっぷり寝る』と宣言していたのでそのノックは丁重に無視することにした。


 ドンドン


 うるさいなぁ……


 ドドドドドン!


 寝かせろって言っただろうが! しつこすぎるぞ!


 俺は耳栓を装着して布団を被った。せっかくの休みに時間に追われるような生活はしたくない。悪いが瀬々里には去ってもらうことにしよう。幸い耳栓を通って聞こえてくるノック音は蚊が耳の側を飛ぶ程度まで小さくなった。


 一度は半ば目が覚めたものの、完全に目が覚めたわけではないので布団を被るとぼんやりと意識にベールがかかって眠気がすぐに戻ってきた。


 まったく、休日に朝から忙しいことはしたくないんだよ、そのくらい瀬々里だって分かっているだろうに。


 そのまま音を無視して意識が落ちかかったところでふわりとした柔らかな感触が背中に伝わってきた。何か妙に温かみを感じるものがあたっている。それは次第に俺の背中から首筋に伝わり……流石の俺も目が覚めた。


「何やってんだよ瀬々里! 今何時だと思ってるんだ!」


 寝起きのせいで布団に入ってきたことよりも起こされたことにキレてしまった。そこは大した問題ではないと思うのだが、自分でも訳の分からないことを言っていた。


「もう十時で

 すよ、お兄ちゃんがなかなか起きないのが悪いんです」


「俺は休みだから寝るって言ったよな?」


 そう、『まだ』十時だ、そんなにたたき起こされる時間ではないだろう。


「休みの日はお兄ちゃんと過ごしたいじゃないですか、それに私はお兄ちゃんを起こしてなんかいませんよ? ただ同じ布団に入っただけです、お兄ちゃんが勝手に慌てて起きただけですよ」


 屁理屈だがたしかに起きろとは言われていない。しかし俺の言いつけ以前に常識に反しているのではないだろうか? 昔の人は『常識とは偏見である』と言ったらしいが、それでもやはり人々の共通認識というものがあるのではないだろうか、ルール無視をすると自分が痛い目に遭うというのは必要なことではないかと思う。道徳を神などという人の作ったものに頼れば神がいなければ何をやってもヨシという世界になってしまう。


「で、何の用があって俺をたたき起こしたんだ? また何かくだらないことを思いついたんだろ?」


「くだらないとはなんですか! 私のフォロワーを増やすためにお洒落な朝食を二人で食べる写真を撮るのがそんなにくだらないことですか!」


「いや、普通にどうでもいいし、一人で食べてもいいんじゃないか?」


「嫌です! そんなのぼっちの可哀想な人じゃないですか」


「料理を作ってくれるのは助かるけどさあ……たまには俺の料理を作った料理にしないか?」


 すると瀬々里は何が気に障ったのか激高した。


「お兄ちゃんが料理すると化調をふんだんに使ってレンジに入れただけのものを料理と言い張るじゃないですか! あんなものをイソスタに上げたらフォロワーが減っちゃうでしょう、私はキラキラ女子で通しているんですからね?」


「現実を見た方がいいんじゃないか?」


 SNSで輝くために苦労して『演出』をするのはおすすめしないけどなぁ、それに俺の料理だってTならそれなりにいいねが付くだろう、それの何が不満だというのか。瀬々里が言いたいのはオーガニックだとかそういう味とは何の影響も関係無い部分で『良いもの』を食べたいといいたいのだろう。どんなものを食べようが自由だが窮屈ではないのだろうか?


「さあお兄ちゃん! 私謹製の手料理を食べましょうか!」


「分かったよ……お洒落な格好をして食べればいいのか?」


 写真写りのいい服に着替えるのって地味に面倒なんだよな、汚したら洗濯機で洗えないものも多いしさ。


「いえ、お兄ちゃんは半袖を着てきてください、お兄ちゃんの服のセンスより腕の皮膚の方がよほど信用出来ますから」


「お前……妹だからって何言っても許されると思うなよ?」


 なんで写真を撮るのに俺の服のセンスをディスられなければならないのか、理不尽にも程があるだろう。罵倒こそしていないものの、なんというか、遠回しな嫌味を言われていてとても気に食わない。


「じゃあお先にテーブルで待ってますね!」


 言うが早いか瀬々里はダイニングの方へ向かってパタパタ走っていった。朝っぱらから結構な服を着ていたが、朝食さえも写真写りを気にするなんて面倒くさいな。


 せいぜいTではパックご飯にバターと醤油をかけたものがあがって『こういうのでいいんだよ』と言われるような界隈だというのに、イソスタはお洒落でなくてはならないのか……俺には住みにくそうな界隈だな。


 適当に半袖の服をクローゼットから出して着る。細かいことはどうでもいい、どうせアイツは顔も身体も映さず手元だけしか写さないんだろうしな。


 新しい服に着替えると下はジャージのままダイニングに行くと、朝から野菜たっぷりな彩り豊かな料理ができていた。サラダ多くね?


 そんな疑問を持っていると瀬々里に『早く席に着いてください』と言われてしまった。テーブルの対面に座り二人で食べようと食器を持って写真タイムを待つ。案の定瀬々里はスマホを取り出して、全ての料理と二人の手が写るようにアングルを考えている。広角レンズも活躍してさぞや満足していることだろう。


 しばしスマホを動かしてから、いいポジションが見つかったのだろう『動かないでくださいね』と言って、相当無理のある姿勢で自分のスマホを持っていない方の手が写り込む場所まで動かしてカシャリと撮ったようだ。


「ふぅ……なかなか手強いですね、品目は少し減らした方が撮りやすいですね」


 俺は瀬々里に身も蓋もない事を言うことにした。


「なあ、サラダばっかこんなに作ってどうするんだ? 本気で美味しいと思ってるのか? ドレッシングだってまだかけてないし美味しくないだろう?」


 しかし俺の言葉に何も考える様子も無く返答する。


「これからドレッシングじゃぶじゃぶかけるに決まってるじゃないですか。生野菜を好き好んで食べたりしませんよ」


 じゃあ何故作った? そう訊きたかったが、朝から炊き上がったご飯に化調と醤油と卵を混ぜてかけたものは映えないのだろう、俺はそういったお手軽な料理が好きなんだがな。


 そして写真をアップロードしてすぐに瀬々里は冷蔵庫からドレッシングを数本取りだしてドバドバとサラダにかけていった。これで素材の味なんて軽く消え去ったな、ドレッシングの味がほとんどだろう。それが悪いわけではないが、素直にドレッシングをかけてから写真を撮ってもよかったのではないだろうか? 多分タグに『天然素材』とでも入れているのではないだろうか。


「お兄ちゃん、ちゃんと食べてください、私だけだとキツい量ですし、一人で食べると体重が増えるでしょうが」


「分かったよ」


 俺は名前も知らない葉物野菜とマッシュポテトが入ったサラダから取り分けて口に入れてみた。普通にドレッシングの味が濃すぎて野菜成分は食感以外に無かった。


「なあ瀬々里、一つ訊いていいか?」


「なんですか?」


「結構な量だが、本当にサラダが食べたかったのか?」


 その質問に対する回答はシンプルなものだった。


「そんなわけないでしょう、私だって肉を焼いてニンニクがたくさん入ったタレに漬けて食べたいですよ! でもそれじゃあいいねが稼げないでしょう?」


 正直なやつだな、感心はしないがきちんと全部食べようとする姿勢は評価出来る。しかし食事は心にとっても重要なものではないだろうか? 美味しいものを食べたときの幸福感を捨ててまでいいねを稼ぐべきなのだろうか?


「もう少し自分に正直になったらどうだ?」


 そう言ったところで聞くはずもないのは知っているが、一応言っておく。


「お兄ちゃんは分かってないのかも知れませんが、全人類が自分に正直だったら今頃核ミサイルがポンポン飛んでいますよ」


「そういう闘争本能的な意味じゃないんだがなぁ……」


 あきれながら俺はドレッシング――これはサラダではなくドレッシングと呼ぶのが正しいだろう――を食べていく、瀬々里はカロリーを考えながら食べているのか、油多めのドレッシングをかけたものは少なく、ノンオイルのものをメインで食べている。


 そうしてようやく食べ終わったところで俺は『ごちそうさま』と言って食事を終え、食器を洗っていく。わざわざあんなにたくさんの食器に分けなくても幾種類かまとめて一つの皿に盛れば洗い物も減っただろうと思う、しかしそういったものは瀬々里として見栄えが悪いのだろう。トンカツがキャベツの千切りの上に乗っていても気にしないが、瀬々里のやつは気にするのかもしれないな。


 片付け終えたところで一杯のオレンジジュースをグラスに入れてソファに座った。瀬々里は退屈そうにスマホを眺めている。時々広角があがるのはきっといいねが付いたからだろう。


「あーあ、この家に隕石でも降ってきませんかねえ……」


「物騒なことをいきなり言うなよ、なんだ? 地球人の粛清でもしたいのか?」


 某なんとか戦士が思い浮かんだ、あっちで落としたのは隕石ではなくコロニーだったが。


「そんなわけないでしょ、庭に隕石が落ちたらいい感じにいいねが付きそうな写真をたくさん撮れるじゃないですか、それも他の人が撮れない写真を、です!」


「隕石が落ちたらタダじゃ済まないと思うんだが……へたしたらこの辺一帯が吹き飛ぶぞ」


「ものの例えじゃないですか、私が言いたいのは棚からぼた餅が落ちてこないかなって事です」


 棚の上に置かれていたぼた餅なんて雑菌が繁殖していそうだが、あのことわざを思いついた時代にはそんな概念は無かったんだろうな。牧歌的というかなんというか……


「せっかくの休みですし、ちょっと足を伸ばして遊園地にでも行きますか? 結構映えそうじゃないですか?」


「お前ここから一番近い遊園地が何か分かって言ってる? 老朽化しても人が来ないから廃墟みたいってTで時々話題になるところだぞ? 間違ってもイソスタにアップロードするような写真は撮れないっての」


 ああ素晴らしきバブル時代、俺たちの生まれる前には随分と経済に勢いがあった時代があったものだ、そこでさえオープン当初は賑わっていたらしいし黒地だったそうだからな。あるいは再びバブル経済に突入すれば……ないか。


「あそこを基準にするのもどうかと思いますよ? 素直にネズミがいるあそこあたりに行きましょうよ」


「お前な……ここからどうやって行く気だ? 日帰りなんて不可能だぞ、たとえ飛行機や新幹線を使おうとな」


 あの某ランドはあまりにも遠すぎるんだよな、もっとも、あそこが写真を撮るのに非常にいい場所であることは否定しないが。


「じゃあ私とお泊まりで一緒に行きますか? お金ならなんとかなりますよ」


「お前の得体の知れない財布から金をもらうのは後が怖いから嫌だね」


 コイツが先物だのショートだのロングだのと行っているのを時々聞くが、そういう稼ぎ方は本当にやめて欲しいと思うよ。金が無いなら無いでSNSの戦略はあるだろうに……


「そもそも瀬々里はなんでそんなにいいねが欲しいんだ? 直接金になるわけでもないだろう?」


「愚問ですね、有名になれば向こうから案件が来るかもしれないじゃないですか、ステマだって私はウェルカムですよ!」


「頼むから炎上したあげく自宅凸とかにならないようにしてくれよ……」


 瀬々里はコクリと頷き、テーブルに置いたオレンジジュースを飲み干した、俺の飲みかけだったんだがな。


「私はお兄ちゃんが一緒なら大炎上したって平気ですよ?」


「だからそういうことをするから炎上に気をつけろって言ってるんだよ」


 俺は妹の承認欲求の強さにあきれつつ、長距離の旅行をしても平気な資産があるなら別にそれで承認欲求は満たされるんじゃないだろうかと心の中に疑問が湧いた。

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