第21話「電子天体観測」

 以前こんな時間に妹と出かけたのは夏祭りの日が最後だっただろうか? あの頃は太陽が沈んだだけで不安が襲ってきたものだった。今ではすっかり夜を恐れることもなくなったが、時折夜に巡回しているという警察と教師はやはり少し怖いな。


 幽霊などというものを信じなくなって久しいが、それでもやはり怖い物はある、例えば人間とかな。悪魔だの優麗だのを信じるのはとっくにやめたが、その分治安の悪さも体感してきている。そう考えればこんな事はさっさと終わらせるに限る。


「ねえねえ、どこかに寄って飲み物でも買っていきませんか?」


「やだよ、こんな時間に中学生が二人で行ったら怪しまれるだろうが」


 コイツは考え無しだが、一応忠告すれば聞いてくれるので、一々無言了解だろうと安心したりはできない。結局、俺たちみたいな連中は少ない方がいいし、その方が健全なのだろうと思う。


 瀬々里も一応は納得したのかソワソワとするようなことはなかったのだが、少し歩くと道の脇に引っ張られた。


「せっかくなのでジュースを買っていきましょうよ、私はコークにしますがお兄ちゃんは何がいいです? 大丈夫、自販機は通報したりしませんよ」


 確かにそうだな、自販機に治安維持を求めていたら立派なディストピアになるだろう。メーカーだってそんな面倒な機能を実装したりはしないからな。


「そうだな……サイダーを頼む」


 妹が財布を出しているので俺はポケットに入っている携帯に気付かれないように気をつける。この自販機はNFC対応なのでスマホ一つで奢らされる可能性がある。幸い瀬々里は現金で買うようなので俺が払う理由は無いだろう。


 ガタンゴトンと落ちてきたボトルを二本取りだした瀬々里は一本を俺に手渡した。サイダーとしか言っていなかったので何が来るかは分からなかったが、妹の常識というものに頼ったが、無事にキワモノではなく普通のサイダーだった。もっとも、瀬々里の持っているコークのボトルは黄色をしていて限定企画で出ているものであることを物語っていた。


 二人して飲みながら歩いて行く、行儀が悪いなどと説教をする人はいるはずもないので少しずつ飲みながら町外れに向かっていった。


「なあ、よく写真を撮るためだけにあそこまで行こうなんて思ったな」


「私たちは無限の人生を生きられるわけではありませんからね。その時のベストを尽くすのは当たり前だと思いますよ」


「そうかい」


 それなりでいいだろうにとは思うのだが、瀬々里は毎日を後悔しないように生きているようだし、それを俺が止めることはできないな。俺はきっといつ死んでも何か後悔をするような生き方をしている、コイツみたいに毎日を必死に生きていたりはしない。それに妹に冷たくするのは気が重いというのもあるんだがな。


 俺は右手に、瀬々里は左手に飲み物を持って二人で手を繋ぎ歩く。瀬々里はこんな事をしていても明日死んで後悔しないような生き方をしているのだろうか? 人間というのは兄妹でそこまで中が良いものではないような気がするのだが、瀬々里が特例なだけだろう。


「お兄ちゃん、星空の下のデートっていいと思いませんか? 絶対映えますよね?」


「そうか? と言うかこの明るさじゃ星なんて見えないだろ。今じゃ天文学者でさえコンピュータに頼る時代だぞ」


 俺が現実的なことを言うと当たり前のように瀬々里は不満そうな顔をする。生憎俺はお世辞だのきれい事だのがあまり好きではないんだよ。そりゃ実現すればいいなあ位には思っているが、それが実現しないで有ろう事は現実の世界が証明している。


「お兄ちゃんはもっとロマンを持ってくださいよ。そんな夢の無いことばかり言っていたら現実的な人生しか生きられませんよ?」


「俺は現実で納得してるんだよ、理想を追い求めるのは趣味じゃない」


 ロマンね……そんなものが役に立つかどうかは明らかだ。そういうものはそれを追い求めているやつに夢を売るのが一番稼げるだろう。残念だが夢追い人なんて大抵カモられるものだ。


 瀬々里は不満そうにしたまま俺の手を握る力を強めた。万力のようにガチガチに締め上げてくるので、これは愛情表現ではなく俺への戒めではないだろうか。その程度には痛い締め上げ力だった。


 そのまま二人で飲みながら歩いていると坂道が見えてきた。ここを登れば展望台か、もう少しアクセスしやすい場所に作ってくれない物だろうか? ほら、フィクションで軌道エレベーターとかあるじゃん、あのくらい気軽に巨大建造物を作ってくれない物だろうか。


 くだらないと思いながらも坂を歩いて行こうとしたところで手を引き戻された。


「お兄ちゃん、サイダーちょうだい……暑くて……水分が」


 見ると瀬々里のもっていたペットボトルはすっかり空になっていた。清涼飲料は水分を補給するには向かないと思うのだが、とはいえ他にないので半分ほど残っていたサイダーを渡したら、平気で空っぽのペットボトルを押しつけてきた、それは自分で持てよ。


 そんなことを思ったが展望台はしっかりゴミ箱が設置されているのでそこに捨てればいいか。瀬々里はと言えば『生き返るわー!』とか言っているので案外余裕があったのではないかと思う。


 二人で坂道を上っていくと展望台が見えてきた。なんでも景気の良かった時代に予算消化のために作った物だそうなので利便性はお察しだ。しかしここなら待ちの光があっても瀬々里の希望の写真は撮れるだろう。


 展望台には特に天文学の機材も無く、ただ空が見えるだけだった。しかし、町と反対方向の空には僅かに明るい星が見えた。多分ここが星が見える場所と見えない場所の境界なのだろう。


「じゃあお兄ちゃん、星空をバックに二人で撮りましょうか!」


 生き生きとした声で言う瀬々里に俺は残酷な真実を告げた。


「そのスマホの夜景モード、インカメラは対応してないからな」


「ふぇっ!?!?!?」


 瀬々里は一枚自撮りをしてからそれをチェックして、おそらく星が一個も写っていないことに気がついたのだろう、露骨に肩を落としていた。


「まあそう落ち込むな、アウトカメラなら普通に星空が撮れるぞ」


「そういう問題ではないんですよ! うぅ……お兄ちゃんとの雰囲気溢れる景色が……」


 何やら落ち込んでいるが、分からんでもない、人が映り込んでいなければ広いものの写真と判断出来ないからな。


「俺が夜空をバックに撮ってやるからそう落ち込むなよ」


 すると小さな火が燃え上がるかの如く瀬々里は俺に文句を言い始めた。


「お兄ちゃんと一緒がいいんですよ……そんな一人で夜景をバックにしたら寂しい人みたいじゃないですか、私は富名声栄誉、全てが欲しいんですよ」


「お前はどこぞの海賊か? 撮るのか撮らないのかハッキリ決めろよ」


 そう言うと瀬々里は地上からの光の反射にやや白んでいる空に向けてアウトカメラを向けた。そして少しだけ露光してからその写真を悲しげに見ている。何が悲しいのやら、目的は十分達成しただろうに、自分も写真に入りたいなら撮ってやると言っているのにそれを断っておいて理不尽なことだ。


 俺は数枚瀬々里が写真を撮っている間にベンチにおいてあるペットボトルをゴミ箱に捨てておいた。ここで買った物でもないのにここに捨てるのはマナーがよくないかもしれないが、ポイ捨てするよりはよほどマシだろう。


 カコンと音を立ててゴミ箱にぶち込まれた空ボトルが音を立てたところで瀬々里がこっちに寄ってきた。


「お兄ちゃん、写真も撮れましたし帰りましょうか」


「いいのか? 俺が撮ってやるぞ?」


「いいんですよ! そんな一人きりで写真に写るなんて寂しい人みたいじゃないですか!」


 細かいことを気にしすぎのような気がするがなあ本人が満足ならそれでいいか。おそらくここの夜景に対して瀬々里は自分という異物が入らない方がいいとでも思ったのだろう。人間がおよばない自然に敬意を払うのは悪い事じゃない。


「別にいいじゃないか、信念があるのはいいことだぞ?」


「私はそんなものよりいいねとリポストが欲しいんですよ!」


 このSNS廃人め、よくまあそこまで顔の見えない相手の評価が気になるものだ。物好きというかなんというか、とにかく好きなように生きていると言っていいだろう、俺が口を出すような話じゃないな。


「星空は撮れたか?」


 俺がそう訊ねると瀬々里はスマホのディスプレイを見せてきた。そこには現実では町の光に塗りつぶされている空の様子が映っていた。


「撮影も上手くいったし、帰るか」


 俺がそう言うと、瀬々里は俺の手を握りしめてから展望台の出口に向かって引っ張ってきた。相変わらず手が痛い。


「そういうところですよ、お兄ちゃん。まあ今回はこれでいいとしましょうか。じゃあ一緒に帰りますよ」


 そう言って俺の手を引く瀬々里の顔は、やや赤らんで、どこか悲しそうだった。

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