第10話「お昼のラーメンドカ食い」

 瀬々里に手を引かれたままラーメン屋に入った。俺は手を離して流れるように食券機へ向かった。ここはやはりマシマシで頼むべきだろうか? ニンニク臭くなるので間違いなくデートで食べるようなものではないが、隣にいるのは他ならぬ妹だ。妹にそこまで気をつかう必要は無いだろう。


 俺は少しだけ迷って中盛りの野菜ニンニクアブラマシマシを選んだ、体に悪いこと請負だし、病気の人が医者にこんなものを食べたと知られたら医者からキレられそうなものだ、塩分と油分と炭水化物でどう考えてもあの世へ近づくことができるような料理だ。


 しかし、俺と一緒に来たのは他ならぬ妹だ。数少ない友人でさえニンニクを大量に入れるのは躊躇するほどの匂いがするが、家族であれば多少のことは大目に見てくれるだろう。


 そして俺が券売機から離れると、瀬々里は何の迷いも無く大盛りのアブラもニンニクももやしも大量に入ったものを選んだ。冗談でもなんでもなく一切迷わずに選びやがった。大盛りは朝から何も食べていない腹にも厳しいというのに、それに追加で全部マシだ、正気の沙汰とは到底思えない。


 俺と瀬々里は隣同士の席に座って食券を差し出す、淡々と受け取られラーメンがドンドンと茹でられていく様子を見ていた。


 この店にはとにかく食べ終わっても話したりくつろいだりする人はいない、全員が大量のもやしと麺をかき込んで、麺がなくなったら、あるいはスープまで完飲したら迷うことなく出て行く。そんな人たちを眺めながら、隣の瀬々里に尋ねてみた。


「なあ瀬々里、大盛りにしてたけど本当に食べられるのか? この店で出てくる量は知ってるよな? 小盛りで普通のラーメン位あるし、中盛りでも普通のラーメン屋の大盛りより多いくらいだぞ、残すのは感心しないんだが写真写りがいいからって頼んだわけじゃないんだよな?」


 念のためだ、瀬々里は料理を被写体として扱うことがよくあるが、それを残すことはほとんど無い。あまり美味しくないものだろうが、量が少なかろうが多かろうが残さず食べているので俺もあまりうるさく言うことはない。瀬々里は自分の胃袋の容量を把握していないはずがないと信じている。


「お兄ちゃんは心配性ですね。確かに大盛りの方が迫力はありますし、Tで映えるラーメンであることは確かですけど、ちゃんと食べられる量ですよ」


「そうか? ならいいんだが」


「それにのんびり食べればお兄ちゃんとの外出時間が延びますしね」


「なんだそれ?」


「なんでもないです、気にしないでください」


 何を言っているのやら、雰囲気でも気にしているのだろうか? 残念ながらここではニンニクの匂いが支配しているのでさっさと食べて出て行くのが正しい場所だ。大盛りでも多少粘れるだろうが、それでも麺がのびたりスープが冷めたりといった料理としての限界はある。もちろんのこと俺がいくら待とうと麺とスープは待ってくれない。


「中盛りになります」


「あ、はい」


 俺はカウンターに置かれたラーメンを自分の前に置いて、その量に圧倒される。食べられる量だろうか? 少し不安になったのだが、そのすぐ後にそれは来た。


「大盛りになります」


「はーい!」


 こちらは必死にラーメンを食べているのであまり気にする余裕も無いのだが、なみなみと盛られたラーメンの丼が瀬々里の前にあり、軽く数枚写真を撮っていた。その量で食べきることが出来れば確かに映えるだろうなと思える迫力のドカ盛りだ。


 カシャカシャ数枚撮影してから瀬々里もラーメンに手を付けた。俺は普通に食べている瀬々里の方を気遣う余裕も無く、自分の中盛りがのびきる前にドンドン太麺をすすっていく。もやしも多めにしたので結構な量がのっている。確かにスーパーなどでももやしは安いのだが、安いからといってこれだけ入れるのかと思ってしまう。中盛りでもおそらくもやしだけでちょっとした食事になる程のせる必要があったのだろうか。


 なんとか食べきる目処がついたあたりで隣で黙々と食べている妹の方を見た。信じがたいことだが瀬々里の前の丼からもう既にもやしがなくなり麺をすすっていた、それも結構な勢いだ。


 このペースで食べていると瀬々里の方が早く食べ終わりそうに思えたので自分の分も食べるペースを上げた。この際体に悪いとか言うご丁寧な正論は無視してドカ食いを続けた。ニンニクのペーストが舌を刺激して食べ終わった後に口臭が大変になりそうだと危惧したが、そもそも口臭を気にするならこんなところに来ないと思い直した。


 刺激と満腹感と闘いながらも俺は麺の最後の一本まで完食をした。丼を置いて瀬々里の方を見ると、豪快に丼を口に付けて傾け、スープをゴクゴクと飲んでいた。いや、この店のスープは完飲するようなものではないと思うし、麺を残さないでくださいという注意書きはあるがスープを残すななどとはどこにも書いていない、多分作っている方だって完飲はしないだろうと思って作っているだろう。


「プハァ! たまにニンニクをキメると気持ちいいですね!」


 そう豪快にスープを飲み干してから丼を置いた瀬々里は言った。常連かと思われるほどの豪快な食べっぷりだ。すごいとは思うが真似はしたくない、それと妹の寿命が縮むようなことは出来ればやめて欲しいなと思う。完食した俺が言うのもなんだが、完飲はレベルが違うぞ。


 二人してほぼ同時に完食したので一杯水を飲んで店を出た。


「美味しかったな」


 瀬々里も満足そうなので思わずそう言った。


「そうですね、食べ応えがある上に写真をアップしたら食べている間にスマホが何度も震えましたよ」


 きちんとTにあの写真を上げていたらしい。しかしアレにいいねが大量に付くというのがなかなかTがどういう層に支持されているか分かってしまうというものだ。イソスタに上げたらそんなにいいねが来るはずは無かっただろうな。


「ところで完飲してたけど腹は大丈夫か?」


 端から見ていてかなりの無茶をしたんじゃないかと心配している。瀬々里は俺より年下ということを考慮してもあの量が入るとは思い難い、写真を撮りたいからと言うのは相当無理があるし、寿命を縮めるような真似をしてまでいいねが欲しいのだろうか?


 そんなことを聞いたのに瀬々里はニンニクの香りも気にすることなくあっさり答えが返ってきた。


「当然ですよ、私は出された料理は食べても問題無いものならきちんと食べる主義ですよ、食べ残しなんてするはずないでしょう」


 立派なことを言っているが、俺もかなり一杯一杯だったのに、あの量をよく食べられたものだと思う、俺では感触はギリギリ出来るかもしれないが、完飲は流石に無理だと思う。


 そうして二人で家路を歩いているのだが、帰り道では瀬々里が抱きついてきたり、手を繋いできたりはしなかった。理由は言うまでもないことだろうが、あまりにも臭いニンニクの匂いのせいだろう。多少は食べるときに飛び散ったアブラも理由の一つだろう。


 隣で瀬々里がスマホを見てニマニマしていたのでどのくらいいいねが付いたのか聞いてみるか。


「あんなラーメンの写真がそんなに評価されたのか?」


 正直意識低いとは思うし、たしかにT向けの料理ではあるが、俺の撮った写真はあまりいいねが付いたことはない。やはり『何を』言ったかではなく『誰が』言ったかが重要なのだろう。ハッキリ言ってアイドルなら日常のツイートにも反応があるからな。もちろん一般人がただの日常を書いたところでいいねなどお義理で付くだけだ。


「そうですよ、私も普段はもっと綺麗な投稿をしていますけどね、やはり時々は俗っぽい食べ物の画像を上げるのがコツですね」


「美少女のガワを被って滅茶苦茶なことを書いてる連中も結構居るがな、そういうユーザーになりたいのか?」


 本人の自由と言えば確かにその通りなんだがな、それでもフォロワーの機嫌を伺いながら写真を撮影するのが楽しいとは思えない。いいねが付いたところで料理の味が変わるわけでもないしな。悲しいことを言うならSNSは総じて美少女の方がいいねが付きやすいもんな、とりあえず可愛い女の子のアイコンにしておくというのは中の人がなんであれ多少有効だ。


 だから瀬々里のように顔こそ映していないものの、女の人であるのが理解でき、アイコンが拾いものでないと判断されれば多少有利だ。


「ガワを被るとは面白いことを言いますね、お兄ちゃんはもしかして、私がガワを被らないといけないような見た目に見えるんですか? どう考えてもよほど可愛いガワを被っても素顔には勝てないと思いますよ?」


 すごい自信だな……結構なことだ。とはいえ、兄の贔屓目に見てもその言葉は確かだと思えてしまう見た目をしている。


「うん、そうだな。認めたくはないが確かにお前なら必要無いんだろうな」


「でしょう! 私はガワなんてなくても可愛いんですよ、お兄ちゃんももっと素直にどんどん褒めて崇め奉ってくれていいんですよ?」


「調子に乗りすぎだろ……」


「私の可愛さならそのくらい調子に乗っても何も不自然ではないでしょう!」


 まったく、自信があるというのは悪いことではないが、それにしたって自分が可愛いと理解している美少女の扱いというのは困ったものだ。もしも今がラーメンを食べた直後でお互いニンニク臭を出していなければ少しはドギマギしたかもな。


「とりあえず帰って歯を磨こうか、洗口液も使えよ?」


「確かにニンニクはドラマチックともロマンティックとも言えませんね。あの手のラーメン屋さんは店内に使い捨て歯ブラシを売っていてもいいと思いますね」


 実際歯磨きなんてしようとも限界はあるのだが、ないよりマシという意味ではあると気休めにはなるのかもしれない。


 ピコン


 そんな時に通知音が鳴った、瀬々里がすかさずスマホを取り出して確認していた。あまり楽しそうにしていないのでいい知らせではなかったのだろう。


「どうしたんだよ? いいねが来たんじゃないのか?」


「いえ……依怙さんが『デブ活やってんの?』とメッセンジャーで送ってこられました」


 うん、言い方はともかくアレは間違いなく太るな。その意味では依怙の言葉は正しいと思う、しかし依怙がそんな真実を告げたところで誰も幸せにならないと言うことも理解してほしいものだ。


 とりとめもなく考えていると、瀬々里は迷うことなくスマホを操作して返信をしていた。送り終わったようなので『なんて返したんだ?』と訊いてみた。


「私、食べても太らない体質なんですと返しておきました。依怙さんもイラッとしたのか返信がピタリと止まりました」


「気持ちは分かるが喧嘩は控えめにしろよ?」


 やるなとは言わないが、人間関係が破綻しない程度の配慮はするべきだろう。


「ところでお兄ちゃん、私……なんだか少し眠いんですけど」


「どう考えても食べ過ぎで血糖値スパイクが起きたんだろう、だから程々にしておけよ。あそこのラーメンの量は知ってたんだろ? そりゃ大盛りをあの勢いで食べたらそうもなるよ。帰ったら先に歯磨きしていいから大人しく寝とけ」


 所謂ドカ食い気絶部というやつだろう。単品を食べただけで起きることはあまり無いが、あのラーメンを大盛りで食べるならそうもなるだろうという料理だった。


 少しだけ歩調を速めて、俺たち二人は家路を少しだけ早めにたどっていった。

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