第2話「『映える』写真」

 窓のカーテンの隙間から陽光が差し込んでくるころ、俺はなんとなく目を覚ました。その日は普通の日曜日だったが、何故か不安を覚えたのだ。それは理論ではなく感覚で覚えたものだ。


 微妙に料理の香りが漂ってきている。今までならあり得ないことだ、ラップに包まれた料理からは部屋まで香りが届くことはない。そして両親は現在仕事中だ。となると作っているのは……


 キッチンに行くと俺の朝食である白ご飯がテーブルの脇に追いやられ、彩りのいいサラダとフレンチトーストという、それなりにカロリーが高いんじゃないだろうかと思える料理が並んでいた。


 俺は端に寄せられた茶碗を手に取ってラップを剥がす、乗田までもかければ立派な朝飯だろう、目の前のものと比べなければ、ではあるもののな。


「あ、お兄ちゃん、ちょっとフレームから外れてもらえますか」


 前に座っている瀬々里が俺に声をかけた。別に嫌っているような声音ではない、ただ淡々と俺にカメラのフレームから出るように言っている。


 俺はそっと茶碗を持って脇にそれ、いかにもな朝食を撮影しようとしている瀬々里を眺める。


「うーん……色味がいまいち……角度はどの方向がいいでしょうか……」


「早速スマホを活用しているようで何より、アップロードするときは気をつけろよ」


 瀬々里は必死に写真写りを気にしている。朝食なんてそんな素敵なものである必要は欠片もないと思うのだが、価値は人それぞれだろう。しかし家庭内の写真をあまり撮って欲しくはないな。キッチンでも感心はしないが、俺の部屋の中を取られたわけではないのだし、カリカリすることもないか……


「え? こんなテーブルの上の写真だけで何か問題があるんですか?」


 分かっていない瀬々里に説明をする。


「世の中には床の木目から特定をするような奴もいるんだよ、目立たなきゃほとんど気にもされないが気をつけろよ?」


「怖い世の中ですね」


 呆れ顔の瀬々里はそう言って続けた。


「でも、クラスメイトは一通りフォローしましたけど、誰も気にしていませんよ」


 まあそうだろうな、スマホでそれほど危険な界隈に近寄ることはあまり無い。わざわざ面倒な手順を踏まないとダークウェブに潜ることすら出来ないからな。そんなものを知ったところでメリットなんてほぼ無いし、それもまた当然といえる。


 最近の子供はまったく……とはいえ俺もそう違いはないか、結局、ネットに触れた時間が長いか短いかだけの差だからな。


「ところで一つ訊きたいんだが……」


「なんですか?」


「クラスメイトに自分のアカウントをフォローされるって嫌じゃないのか?」


 その言葉にポカンとした顔を浮かべる瀬々里は心底不思議そうな顔をしている。まるで俺が何か言っただろうかと勘違いしそうなほどだ。俺は多分おかしいことを言っていないと思うんだがな。


 リアルの知り合いにアカウントを教えることさえ気が引けるというのにフォローだって? そんなのネット上が窮屈になるだけじゃないのか? それとも女子の間ではそう言うのが普通なのだろうか?


「ちなみにこれはイソスタにでも上げるのか?」


 そう訊くと瀬々里は我が意を得たりといったドヤ顔で頷いた。


「そうです! 朝からお洒落な朝食を食べている人って憧れるでしょう?」


 そうかな? そうかも?


 好きにすればいいんだけどさ、そう言う脚色が良いものかどうかは分からないぞ。


「その人が二十四時間三百六十五日まともな食事をしているかどうかはとっても怪しいところだと思うぞ」


「お兄ちゃん、いいですか? 『実態』は関係無いんですよ、『どう見えるか』が全てなんです」


 妹が屁理屈を言うようになったのですがどうすればいいでしょうか? そんな思いつきで匿名掲示板に書き込みたくなるような理屈を言われた、開き直りじゃないか?


 しかし、それで畑田の見栄っ張りになってしまうのではないかと思うのだが、それで本当にいいのだろうか?


 俺は行儀も何もなく、ふりかけご飯を立ち食いしていた。新しいおもちゃを手に入れて、それに入れ込む様というのは案外微笑ましいな。ずっとこの調子だと困りものだが、新しいガジェットを手に入れた人間の性だろう。


 何で俺はただの朝食を立ち食いしているのだろうか? ご飯が半分になってもまだどこから移すかをチェックしている。そこまで拘る必要も無いだろうに。


「よし! ここにします!」


「決まったか、それは何より」


 瀬々里の納得がいくアングルが決まったので写真写りがいいようにカメラアプリの調節をしているようだ。そこまでするんだったらカメラを買った方がいいんじゃないかとは言わない、高いし沼るからな……あそこは。


 カチャン


 結局俺の食事が終わって、ようやく一枚の満足いく写真を撮れたようだ。日曜の朝からご苦労なことだとは思う。中学デビューは華やかにした方がいいのだろう。俺のようなぼっち勢には理解不能な心理だが、人と人とは繋がっていたいらしい、その割にマウントを取り合うのだからご苦労なものだ。


「満足いったか?」


 俺はシンクで自分の茶碗を洗いながらそう訊ねると『はい!』と元気のいい返事が返ってきた。


 そして冷めたご飯をモグモグと食べている瀬々里に『美味しいか?』と訊いてみた。


「お兄ちゃんは分かってないですね、綺麗な食事って味は割と度外視してるんですよ」


 そんな食事という概念を置き去って行ったような言葉を聞きつつ食器をしまった。


「お兄ちゃん、グリーンスムージーをどうぞ」


 俺はあまり美味しくない飲み物を飲みながら言う。


「さすがに食べられないものを写真に入れるために用意するってのはどうかと思うぞ?」


「お兄ちゃんが食べたからセーフですよ」


 屁理屈をこねる奴だ。それでいいのか? 人としてはどうかと思うぞ。というか人を残飯処理にするな、肉ばかり食いやがって、ヴィーガンが助走つけて殴りに来るぞ。


 俺はパック入りのスムージーをゴクリと飲んでゴミ箱に空容器を放り込んだ。


「あんまり飯を粗末にするなよ?」


「だから一番良い写真が撮れるように努力したじゃないですか」


「食べ物は食べるものであって撮影のために作られたものじゃないんだよなあ……」


 そんなことを言っても無駄だろう。それでも苦手なもの以外はちゃんと食べているだけでも立派なことなのかもしれないな、食べずに捨てるような連中もいるらしいから、大体食べているだけマシなのだろう。


 それでも何とか食べ終わった瀬々里、シンクに食器を持っていき洗い始めた。当然のようにこのような地味な場面は撮らないようだ、見る方もつまんないと思うからだろうな。


「なあ瀬々里、イソスタもいいが、たまには外にも出ろよ?」


「当然じゃないですか! 撮影していいねが付きそうなものがあれば喜んで出て行きますよ!」


 そこじゃないんだよなぁ……たまにはスマホを放っておけと言う話なんだが、本人にはまったくそのつもりはないらしい。いいね中毒なのではないだろうか? いや、そんなに早く中毒になる物質なんて聞いたことがないし、多分本人の承認欲求が強いだけだろう。まあ……うん……自由にすれば良いんじゃないかな。


 ペアレンタルコントロールをもっと強力にしようかとも思ったのだが、規制はデバイスに紐付けられているので、何かの手段で手に入れたスマホにSIMを差し替えられるのがオチだろう。そんな事態は避けなければならない。


「さて、後は何がいいでしょうかね、そういえば近くに割と有名な山がありましたよね? あそこの山頂からの写真はさぞ綺麗でしょう」


「行っておくが俺はついて行かんぞ、大体あの山ロープウェイで登れる観光地だからたくさん撮っている人がいると思うがな?」


「それは一理ありますね……他人の後追いはバズりませんからね」


 そんな理由で諦めるのか……人より先んじていたなら喜んで登山したんだろうなと思う。人生の使い方は自由だけれど、エフェクトを酷使して盛りまくった画像をアップロードして得るものがどれほどあるというのだろうか?


「うん……それはまあ……お好きなように」


 あきれつつそう答えた。何を言っても無駄っぽいな。イソスタのいいねにそこまで一喜一憂するのは分からないけれど、いいねが付いて悲しいということはないのだろう。だったら本日の朝食は成功だったというわけだ、味の方が多少犠牲になったような気がするが、そこは度外視なのだろう。


 食品サンプルとか需要ありそうだな……そんなくだらないことが思い浮かんだ。


 瀬々里はそれから、何故か食器棚から茶碗を取りだし、炊飯器に残っているご飯をよそって、それにガーリックバターを乗せ、レンジでいくらか加熱した。


 それに僅かに醤油を垂らしてから、スマホを向けて写真を撮り、がっつきながら食べた。


「一応聞いておくが……そっちがメインのご飯なのか?」


「当然でしょう? 見た目全振りのご飯でお腹が満足するわけないじゃないですか」


 当たり前のようにそんなことを言う、要するにさっきの手の込んだ朝食は大した栄養がないということらしい。端から見ても今のガリバタ醤油ご飯の方が美味しそうに見える。無理はよくないし、体にも悪いのだろうが、それはそれとしてバターとニンニクの香り煮は惹かれるものがある。


「あ、お兄ちゃんも欲しくなりましたか? 材料はまだあるので欲しければご自分でどうぞ」


「いや、俺は普通の朝飯を食べたからいいよ。それにしてもそっちの方も写真はやっぱり撮るんだな?」


 別にふりかけご飯でも朝食としては成立しているそんなことは問題ではない。


「こっちはTにアップロードする朝食の写真ですね、イソスタには上げませんよ。いいですか? 棲み分けという言葉を理解してくださいね?」


 棲み分けねえ……好きにすればいいがどうせフォロワーは知り合いなんだから誤魔化すことも出来ないだろうと思うがな。


「いいのか? イソスタで見た友達がTの画像を見たらおかしく思わないのか?」


「何言ってるんですか? 普通にみんなやってますよ、いいねはたくさん欲しいじゃないですか、有名な言葉があるでしょう『ローマにおいてはローマっぽく』ってね」


「相当意訳しているし、すなおに『郷に入っては郷に従う』ということわざが日本にはあるだろ」


 瀬々里のいった方の言葉も確かに歴史は長い言葉だけどさ、ここは日本なのだから日本流で良いだろ。


「以外と今時の中学生は割り切ってるんだな……」


「お兄ちゃんと私は一歳しか違いませんし、お兄ちゃんも現役二年生でしょうが……」


 それはそうなんだけどさ、いきなりスマホを持ってそこまで各種SNSの特性を理解するのは相当のものだと思うぞ。いや、クラスのみんなから教えてもらっているのだろうか? スマホを初めて持った子に、既存勢が解説をする、親切なことじゃあないか。


「まあそうだけどさ、俺は父さんのお下がりのPCをずっと使ってたから……」


 俺の言葉に瀬々里はUMAでも見たかのような顔になった。


「今時PCで見てる人なんているんですか? ほとんど皆さんPCは高級なゲーム機だと思ってますよ?」


 そんなものなのか? 俺はお下がりを手探りで使い方を覚えながら必死に使えるようになったんだぞ、ゲーム機って随分贅沢な使い方だな……


「ちなみにキーボードとマウスで操作する人とパッドで操作する人が戦ったら絶対勝てないので割と嫌われてます」


 要らない情報だった。


「そりゃそうだろうけどさあ……勝負する前にパッド勢も何か考えなかったのかなあ!」


 不利なのは当たり前だろうが! そんな当たり前のことでお気持ちが傷つけられるとか当たり屋じゃねえか!


「やはり決め手はエイム力でしたね、PC勢は非常に強かったです。まあその後マウサーとしてクラスで嫌われたわけですが……」


「そもそもマウスとパッドで分離しない運営のせいだと思うんだけどな……」


 マウスとパッドの闇鍋とかどう考えても地獄みたいな有様になるだろうさ、そんなものを許している運営が悪い、当然の帰結だ。


「結局一過性のブームだったんですがね、まあ悲惨なものでしたよ」


 未だに尾を引いているとか言われたらどうしようかと思ったが、どうやらもはやそれは過去のことらしい、少しだけ安心した。


「ゲームの動画でもアップロードしてみたらどうだ? スーパープレイならいいねが付くかもよ?」


 俺がそう提案すると瀬々里はにべもなく却下した。


「お兄ちゃん、わたしはそーゆー『大きな努力』が必要なバズをしたいわけではないんですよ、日常的にどうでもいいようなことに大量のいいねが付く、そう言うのが理想なんですよ? この辺分かってますか?」


「分かりたくはないが分かったよ、好きにしろ」


 俺は何もかもを諦めてご飯を食べる瀬々里を見物した。非常に幸せそうな顔をしていたが、何度もスマホをチェックしていたのはお行儀のいいことだとは思わなかった。


 将来スマホをテーブルに置いて通知が来たら確認するのが正しいマナーになるかもしれないが、俺たちが大人になる頃くらいではとてもではないが変わらないだろう、世の中そんなものだ。


「お兄ちゃん、何か手軽にバズる方法ってないですかね? クラスに一人動画投稿をして有名になった人がいるんですよ、出来れば楽してその人より有名になりたいです」


 欲望に忠実だな、悪いとは言わないけどさ、もう少し考えてから言葉を出して貰えないものだろうか。


 真っ先に思いついたのはアイスケースに入ったりするような連中だ、確かにバズっていた、主に悪い方向でな。


「そんな上手い方法は知らんが、うまい話に乗って人に迷惑をかけるなよ?」


「当然でしょう? 私がそんな失策をするような妹に見えますか?」


「本当に賢いなら一々人にアイデアを求めたりしないんじゃないか」


 俺の言葉にぐっと黙る瀬々里、そのくらいの言葉に詰まるようなら考えが甘いとしか言いようがないな。まあ妹だから俺が一生面倒を見るくらいの覚悟はあるんだけどさ、それでも自分でなんとかして欲しいことはあまりにも多い。


「ではお兄ちゃん、写真を綺麗にするアプリとかってないですかね? こう、いい感じに自動で補正してくれるようなやつがあれば……」


「写真の補正を本気でやろうと思ったら結構なスペックのPCが要るな、スマホだったらどうしても限界があるよ」


 しゅんとする瀬々里、朝から色々やるやつだなあ。


「食事も終わったし、俺は部屋に帰っておくよ」


 そこで瀬々里は俺を引き留めた、まだ休日は続きそうだ。

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