第19話 議事堂に降り注ぐ -4- 絶望の増殖

『スキ!スキ!スキスキー!』

『スキ!スキ!スキスキー!』

『スキ!スキ!スキスキー!』


 新たなマシンの登場に一瞬たじろいだデモ隊だったが、ひるんだ気持ちを鼓舞するかのように、再び大コールの渦が起こる。


 臨時国会開催中の議事堂前に集結したデモ隊の数は、想定を遥かに超え、正門前を守衛していた機動隊車両だけでは心許ない状況になっていた。

 マスコミの報道陣も出動し、多くのテレビカメラが各所に陣取っている。

 緊急出動した機動隊、警察、特禁警もその圧倒的な人の数に押されて手を出せず、今は事態の推移をうかがっているようだ。

 大型特殊車両の屋根に上がったワカマツが、拡声器を片手に「だまれー!コールをやめろー!」などとがなり立てている。

 その隣には赤いマシンが仁王立ちだ。何も手を出さずにいるのが余計に不気味だ。

 何かをやろうとしているのか。


『スキ!スキ!スキスキー!』

『スキ!スキ!スキスキー!』

『スキ!スキ!スキスキー!』


 議事堂内では外の喧騒ぶりを余所に議事を進行していたが、建物内にも外のシュプレヒコールがいよいよ届くようになり、審議を一時ストップさせた。

 議員たちはスマホや手元のタブレットを覗き込み、生中継されている議事堂前の様子を食い入るように見始めた。

 おそらく想像を越えるデモ隊の人の多さに驚いたのだろう。ただ口を開けて呆然とする議員や、心配そうな面持ちで話し込む姿があちこちにあった。


『スキ!スキ!スキスキー!』

『スキ!スキ!スキスキー!』

『スキ!スキ!スキスキー!』


 影の三悪は苦虫を噛み潰したような表情を見せ、将軍のゴトウは一人椅子に座り込んだまま黙って目を閉じていた。

 国会中継は中断することなく放送を続けており、デモ隊側もあちこちでスマホを覗き込んでいる。


「国会が中断したぞ」

「こいつらも気になって仕方ないだろう」

「いいぞ、いいぞ」

「慌ててんぞ、ざまあみろ」


 その時、額を寄せ合っていた三悪が何事かを確認した様子で、呼びつけられた事務方があたふたと慌ててどこかへ走って行った。

 それぞれの席に戻った三人は椅子に深々と体を沈め、モリは微かに薄ら笑いを浮かべた。ニカイは小さなあくびをし、アソウの歪んだ口元が更に歪んだように見えた。



 議事堂の右に見える高い時計塔の針が正午を二十分ほど過ぎた。


「アッキー!」


 真っ先にその姿を見つけたカコが叫ぶと、同時にデモ隊の人々も次々に声を上げた。


「リコだ!」

「リコーっ!」

「リコーっ、こっち見てーっ!」

「リコーっ!リコーっ!」

「本物のアッキだ!」

「アッキーっ!」

「あれがアッキ?」

「アッキ、かわいいー!」


 リコとアッキが正門前に到着した。

 しかし二人はデモ隊にもみくちゃにされ、ボクたちの近くにたどり着けない。

 少し離れた場所で国会議事堂に向き合う形になってしまったが、お互いの顔は認識できる距離だ。

 アッキがこちらに気づいて手を振ってくれた。ボクたちも力一杯手を振り返した。


 自然発生した『エルモサ・パラブラム』のアカペラの大合唱に皆が声を張り上げる。


いつから それは 奪われたんだろう

いつから それが 奪われたんだろう

見上げる 星の またたきに

君の 面影 映すとき

心が震え 沸きでる 言葉


「カコ、良かったね」

 クミがカコの肩を抱く。溢れる涙に顔を覆ったカコは、今にも崩れ落ちそうになっている。横で支えるクミももらい泣きしている。

「カコちゃん、誰よりも心配してたもんね」

 アンナさんもカコの頭を優しく抱き寄せる。


いつか それが よみがえるだろう

いつか それが 降り注ぐだろう

エルモサ パラブラス 美しき言葉

エルモサ パラブラス 伝えたい君に

その時 そっと 口にして


 団長が「ほら」と皆にスマホの画面を見せた。アッキが近くのレジスタンス青年部員のスマホを借りて団長にショートメールを送ってきていた。

(みんなに言って アスタルエゴ また会えただろって)

 それを読んだカコがしゃがみこんで号泣した。


 しばらくして、任務を終えたテルとメグ、ヒロとハナが戻って来た。

 カコは泣き止み、アッキの元気な姿が見られて、心から安心したような表情をしている。


『スキ!スキ!スキスキー!』

『スキ!スキ!スキスキー!』

『スキ!スキ!スキスキー!』


 シュプレヒコールが聞こえてくる。

 多くの人々が堂々と禁句を叫ぶ声が聞こえてくる。

 反抗の象徴二人の登場に勇気づけられたのだろう。コールが今まで以上に大きく響き渡る。


 こんなに多くの人々が堂々と……


 七人が互いに顔を見合った。

 耳に飛び込んでくる言葉に皆が戸惑っている。

 戸惑いながらも同じことを考えているのがわかる。


 どうする。

 どうしよう。

 どうしたらいい。

 いや、どうしたい?

 皆、どうしたい?


 お互いの目をのぞき込む。どの目も同意している。しかしなかなか踏み出せない。

 ここは、ベッドの中や風呂の中ではない。

こんな人前でお互いの顔を見ながら、堂々とその言葉を口にすることになかなか踏み出せない。

 誰もがきっかけを探している。何かのきっかけを探っている。


 その時、テルがフーッと息を吐き、小声で口にした。


「スキ、スキ、スキスキ」


 六人が一斉にテルを見た。テルがニッと笑った。

 皆顔を見合って小さくうなずき合う。

 そして無言のまま合わせるようにして小さく息を吸い、思い切ってその言葉を口にした。


「スキ、スキ、スキスキ」


 顔を見合わせる。

 目を輝かせる。

 胸が高鳴る。

 自然と笑みがこぼれる。


 もう少し大きな声で言ってみる。

「スキ、スキ、スキスキ」

 うんうんと大きくうなずき合う。自然と笑いが漏れた。

 ハハハハハ。ハハハハハ。ハハハハハ。


 そして大きな声を出し、空を見上げて叫んだ。


「スキ、スキ、スキスキー!」


 ボクたち七人は肩に手を回し合って円になり、堂々とシュプレヒコールに合わせて大声を上げた。


『スキ!スキ!スキスキー!』

『スキ!スキ!スキスキー!』

『スキ!スキ!スキスキー!』


 この言葉が、たった二文字のこの言葉が、こんなにも幸せな気分にさせる言葉だったなんて初めて知った。

 口にする気持ち良さ、耳にする心地良さ。心が解放される感覚。


『スキ!スキ!スキスキー!』

『スキ!スキ!スキスキー!』

『スキ!スキ!スキスキー!』


 ボクたちの円陣は小さくジャンプしながら右回りに回転し始めた。

 それは生まれてからずっと人前では使えなかった言葉を、恐れることなく初めて口にできる喜びと解放感の精一杯の表現だった。

 押さえきれない感情にボクたちの体が自然と反応していた。


「二文字が降り注いでるね」

「エルパラの歌詞の通りよね」

 肩に手を回し合ったクミと、そう言葉を交わした。


 まだ色づくには早いイチョウ並木が風に任せて青い葉を揺らし、ワサワサと音を立てている。その音がまるでボクたちやデモ隊を鼓舞する力強い声援のように聞こえてくる。

 あのマシン一号機を倒したボクたちだ。ヘンな名前の二号機が現れたって、全然怖くなんかない。

 皆で力を合わせれば大丈夫。またきっと倒せるはずだ。

 大きな一歩を踏み出したボクたちを、もう誰も止めることはできない。


 東京レジスタンスメンバーにがっちりと両脇をガードされたオリジンの姿が見えた。

 十年ぶりにプリズンの外を歩む足取りはしっかりとし、髪の色や目尻のシワから長年の苦難がうかがえるが、その眼光は強い輝きを発している。

 ボクたちがいる方へと歩み寄って来た。


「お父……さん」


 そうつぶやいて、娘は走り出していた。


「お父さん、お父さーん!」

 涙でぐちゃぐちゃになりながら父の元に走り寄る。

 父親も溢れ出る涙を拭こうともせず娘に駆け寄る。

 引き離されていた二人がいま十年ぶりの再会を果たした。

 父がその腕でしかと娘を抱き寄せ、娘は父の胸にしっかりとしがみついた。

 二人とも言葉にならない。しばし無言で抱擁した後、父がやっと言葉を絞り出す。

「長い間、すまんかったな」

 娘は顔を上げ、首を振って答える。

「うううん。長い間、お疲れさまでした」


 顔を見合った二人があの言葉を口にした。

「大好きな娘よ、会いたかった」

「大、大、大好きなお父さん、私もよ」


 オリジンこと、ゴトウフミヒト。

 レジスタンスの創設者であり、アンナさんの父親。そして、将軍ゴトウタケヒトの双子の兄。


 団長がオリジンの救出に特にこだわった理由は、レジスタンス創設者の救出という意味以上に、多感な時期に離ればなれにされてしまったアンナさんの大切な家族を、修復してやりたいという思いがあったのだと思う。

 そして更に団長は、亡き父親への面影をオリジンに重ねていたのかも知れない。

 オリジンがアンナさんのお父さんで、将軍ゴトウと双子の兄弟だったなんてさっき初めて聞いた。

 この人たちにどんな過去と歴史があったかなんて、ボクたちには想像も出来ない。


 十年ぶりの再会を果たした親子。喜びにむせぶその姿を見守っていたボクたちも、自然と涙を流していた。

 そしてその涙が合図となって何かから解き放たれたかのように、あれだけ口にすることが怖かったあの言葉が、胸の奥底に頭をもたげてきた。

 それはさっき口にしたコールの掛け声としてではなく、それぞれの気持ちを素直に表す本心からの言葉だった。

 ボクたちの心の中で、何かが確実に音を立てて崩れた。


「アッキーっ!ワタシずっと好きだったのよー!」


 驚いた。

 カコが真っ先に叫ぶとは思わなかった。

 しかしデモ隊のコールに重なって、その声がアッキに届いたかどうかはわからない。

 それでも堂々と真っ直ぐにアッキを見ているカコの横顔が、ボクにはとてもまぶしく見えた。


「メグ、お前のこと、オレ、好きだから!」

 カコの叫びが呼び水となり、テルがすぐに続いた。

「うん。ワタシもテルのこと好き!」

 メグは驚きと喜びが入り混じった複雑な表情を見せたが、すぐさま答える。


「タカシ」

 クミが振り向いた。黙ってボクの目を見つめる。

「……」

 クミの唇が少し開きかけた。

「クミ!」


待って。

ボクに言わせて。

先に言ってねってクミが言っただろ。


 ヒロとハナのことも気になったが、視界にはクミしか入っていない。

 胸の鼓動が高鳴る。

 フーと小さく息を吐き、自分を落ち着かせた。


「クミ!ボク……」


 そこまで口にした時、遠くで悲鳴と怒号と絶叫が入り混じった、地鳴りのようなどよめきが湧き起こり、周囲の人たちがシュプレヒコールを止めて一斉にその方角を向いた。


 議事堂前の道路を内堀通りの方から、地響きが近づいてきた。


ガシンガシンガシンガシンガシンガシン


 足元から伝わってくる震動が徐々に大きくなり、腹の底にズンズンと響いてくる。


ガシンガシンガシンガシンガシンガシン

ガシンガシンガシンガシンガシンガシン

ガシンガシンガシンガシンガシンガシン


 そしてついにその地響きを轟かせているものの正体が、坂道の下から姿を現した。


 なんてことだ……


 見えたのは例の独特の笑い仮面のようなあの顔だった。

 驚くのはその数だ。

 百?いや二百?いやいやとてもそんな数じゃない。

 数えきれないほどの赤いロボットの隊列が、無数の銀色の眼を輝かせ押し寄せてくる。

 その赤黒い大きな波のような連なりは、総てのものを無慈悲に飲み込んでいく溶岩流が、ジリジリと押し迫ってくるかのような絶望的な光景だった。


ガシンガシンガシンガシンガシンガシン

ガシンガシンガシンガシンガシンガシン

ガシンガシンガシンガシンガシンガシン

ガシンガシンガシンガシンガシンガシン


 一体何体いるのだろう。

 恐ろしい数のマシン軍団が地響きを立て、ボクたちの前に姿を現した。


ガシンガシンガシンガシンガシンガシン

ガシンガシンガシンガシンガシンガシン

ガシンガシンガシンガシンガシンガシン

ガシンガシンガシンガシンガシンガシン

ガシンガシンガシンガシンガシンガシン

ガシンガシンガシンガシンガシンガシン


「クミ!ボク」


 その光景は束の間の希望を手にしたボクたち、長い闇の中から光を見出しかけていたボクたちを、一瞬で絶望の淵まで押し戻し、一気に奈落の底へ突き落すには充分だった。

 思わず反射的に叫んだボクの声など、その足元から伝わってくる大きな地響きに瞬時にかき消された。


 道路を埋め尽くす赤いメタリックの大軍団がすぐそこまで押し迫り、更に間合いを詰めて目の前まで迫って来ていた。

 ボクたちはその光景を直視できず、声を出すこともできず、恐怖の余りジリジリと後ずさりするしかなかった。


 議事堂に降り注いでいたシュプレヒコールが完全に止んだ。

「嘘だろーっ」

「そんな……そんなあ」

「嘘だと言ってくれーっ」

「うわあああああああ」

 代わって、悲しみのわめき声、ぶつけようのない怒りの声、もはや言葉にならないうめき声や絶叫が、ボクたちをあざ笑うかのように、微動だにせずそびえ立つ議事堂に降り注いでいた。

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