第8話 十二月のこどもたち -2- 傷つく若者たち
あの朝以来、アッキはボクたちの前から姿を消した。
団長はアッキの話を最後まで聞き届けた後にこんな話をした。
それは落ち着いて丁寧な話しぶりで、団長の考えやボクたちへの思いがしっかりと伝わってくる内容だった。
「アッキ、お前の今の気持ちはよくわかった。ここに留まるか出ていくかはお前が決めることだ。お前が今抱いている強い憤りや怒りの感情も、俺は理解してるつもりだ。
だけど世の中や社会っていうのは、理不尽で不条理なことばかりなんだ。俺たちはその中を懸命に生きていかなきゃいけない。お前も、お前も、お前も、お前も……そしてこの俺も。
アッキ、昨日からろくに寝てないんだろ。今日は家に帰って寝ろ。ちゃんと睡眠とって、冷静な頭でもう一度考えて、それでも考えが変わらなかったら明日朝もう一度来い。それまで、さっきの申し出は俺が預かる」
アッキは団長の顔をしっかりと見て「はい」と一言残し部屋を出て行った。
しかし翌日以降、アッキがアジトに来ることはなかった。
「あいつはあいつなりの一歩を踏み出したんだよ」
団長はぽつりとそう言った。
グループラインはアッキの方から退会することはなかったし、少し時間が掛かるけど既読にはなっていた。
ボクたちとの関係を断とうとしていないことは皆わかっていた。自然と「アッキからの連絡を待とう」という流れになった。
ヒカリの騎士団はアッキが抜けて七人となったが、新たな団員補充はなかった。
アッキが姿を消して半月ほど経ったその日、団長から指示が出た。
「タカシとクミ。今朝話した高校生カップルに食料届けて来てくれ。笹塚だ」
都内には逃亡者を一時的に匿う隠れ部屋が何ヵ所もある。アパートやマンションオーナーの活動支援者が、空室を極秘に提供してくれている。レジスタンス活動を影で支援している一般人は意外と多い。笹塚のマンションもその一軒だ。
先週からそこに高校生男女一組が潜んでいる。派手な逃走劇を繰り広げた二人の話を、今朝団長が皆に話したところだ。
「バレないよう、お前たちもカップルっぽくして行けよ。おっと、これは余計な一言か?ははは」
もう、変な意識しちゃうじゃん。団長、余計だよ。
新宿から京王線で笹塚へと移動し、改札を出て目的のマンションに向かって歩き出した。駅前の商店街を抜けて十分ぐらいの場所だ。以前に一度来たことがある。
しばらく歩いたところで、突然クミが後ろから手をつないできた。
「偽装のためだからね」
「お、おお、うん」
一瞬どきっとした。
いつ以来だろう。クミと手をつなぐの。
どう反応すればいいかわからず言葉に詰まる。
「い、いい天気だね」
唐突に手を握られて、ドギマギしているのをクミに悟られたくなくて、思わずそんな言葉が口をついて出た。言った後で自分でもダサいと後悔した。
「なに、まず天候の話題?って、どんなカップルよ?」
クミが吹き出す。
「別にいいだろ。黙ってちゃ、おかしいし」
「そうだね。おかしい、おかしい」
そう言ってまた笑った。なんだか調子が狂っちゃうなあ。
「あそこで買って行こうよ」
つないだ手を引っ張って、クミが先に駆け出した。
手を引き先に駆け出す彼女を後ろから見るのは、昔から何度も見ていたアングルだ。幼かった頃の記憶が蘇る。
角のコンビニに入ってカップ麺やレトルト商品や菓子類など、日持ちする食料品を適当にカゴに詰めた。
「はい、レジ行ってきて。レシート忘れずにね。表で待ってて」
「え?どこ行くの」
「もお。女の子は色々必要なものがあるの。買ったらすぐに行くから」
クミは目をそらせて奥の棚の方へ行った。
コンビニを出てそれぞれレジ袋を片手に、また手をつないで歩き始める。
久しぶりにつないだクミの手は柔らかかった。毎日のようにつないでいたのは遠い昔のことだ。
つないだ手に意識が集中していることがお互いにわかる。
「その二人、ここに入って四日目ぐらいだったよね」
クミが気まずさを感じたのか、口を開いた。
「いやもう一週間のはずだよ。隠れてるのも疲れるだろうね」
「でも二人で逃避行かあ。なんだか憧れちゃうな、それはそれで」
え、女子ってそうなの。なんか、あ、そう。
「あの茶色の建物よね」
クミが道の向こうに目をやった。
目的のマンションに着き、エレベーターで三階に上がって303のインターホンを押し、事前に伝えておいた偽名を告げた。
初めて顔を合わせたのは十六歳同士の高校生カップル。買って来た食料などを袋ごと手渡した。
部屋に上げてもらって、ガランとしたフローリングの床に四人で車座になり、簡単に自己紹介し合ってから少し話をした。
彼女の方は名乗らず、ボクたちと目を合わせようとしなかった。
「二人はいくつ?十四歳?偉いなあ、偉いですね。レジスタンス活動して」
ケントと名乗った彼の方がボクとクミを交互に見ながら言った。
「いえ、そんな」
「食料ホント助かる。遠慮なくいただきます」
「はい、どうぞどうぞ」
ケントは笑顔だが少し疲れているように見えた。
「試験で一週間会ってなくて。久しぶりに近所の公園で会ったら、こいつがポロっと言っちゃって。禁句を」
「だって仕方ないじゃん。つい」
ケントのしわくちゃになった白シャツの裾をずっと握った彼女が、彼の肩に顔を埋める。
「思わず出ちゃったんですよね」
クミがなぐさめるように彼女の背に手を伸ばした。
「公園は意外と盗聴器が声拾うんです。街中の雑踏の方がいろんな音に紛れるんですけど」
「そうなんだ。いきなり警告音が鳴り響いて、二人で慌てて逃げて」
「派手に大立ち回りしたって聞きましたよ」
「いやあ、あれは追っかけてきた特禁警の野郎が悪いんだよ。勢い余って勝手に車道へ飛び出してパトカーにひかれそうになってさあ。そんでパトカーが急ハンドル切ったもんだから対向車と正面衝突。おまけにその後ろが何台も玉突きになって、一台が火出しちゃったんだよ。あれはオレたちのせいなんかじゃ全然ないよ。あいつらがバカなんだよ、バーカ」
ケントが一気にまくし立てる。
「ああ、そうだったんですか」
「そうだよ。で、二人ともパニクっちゃって必死で逃げて。必死だよ、必死に走ったよ。どうしたらいいかわからず、先輩に連絡したらレジスタンスの連絡先を教えてくれて。で、何とかここに来れたんだ。な」
二人は顔を見合わせ、彼女がコクンと頷いた。
「ここはホント居心地いい。最低限の家具揃ってるし、充電できるのが一番助かってる。時間ばっかあるから、ずっとユーチューブとか観てるよ」
「何観てるんですか?」
クミが興味ありげに聞いた。
「今はやっぱりリコのミュージックビデオとかライブ映像とか」
「私もよく観てます」
「エルパラもしょっちゅうアップされてるよね。すぐ削除されるけど。見つけたら聴いてるよ」
「そうそう、アップと削除のイタチごっこですもんね」
「だっていい曲だもん」
彼女が小声でつぶやいた。
「他に何かお薦めの動画あります?」
クミが会話を続ける。
それを横で聞きながら、一週間に及ぶ潜伏生活を想像してみた。見つからないようじっと声を潜めて生活するって、どんな気分なんだろう。どんな時間なんだろう。不安だし心細いだろうし、ボクならすぐに降参するかもな。
「彼女さんを守って、偉いですね」
クミがニコっとして言った。
「別に偉くなんかないよ。農作業なんて絶対イヤだって言うから仕方なく。こいつ虫が全然ダメなんで」
「ムリムリムリムリムリ、絶対ムリ」
彼女が激しく首を振る。
「ところで、二人はつきあってるの?」
ケントがボクたち二人を交互に見ながら聞いてきた。
「いいえ!」
クミが慌てたように大きな声を出した。
「え、違うんだ」
「だってまだ十四歳ですし」
クミがむきになって答える。
「オレたち十四からつきあい始めたよ。丸二年だよな」
「二年と二十三日目よ」
彼女が即答した。女性の記憶力に驚く。
ケントは苦笑いしたような表情を彼女に見せると、たまらずボクに話を振った。
「二人お似合いだから、てっきりつきあってるんだと思った」
「え、お似合い?」
思わず声を上げると、クミは一瞬ボクを見てすぐに視線をそらした。自分で顔が上気するのが分かったが、クミの顔も赤かったような気がした。
しばらく他愛もない話題を続けていたが、ケントが突然大きな声を上げた。
「でも、オレたち何か悪いことしたかな。感情を素直に口にすることがなぜいけないんだよ。クソッ」
そう叫ぶと握った拳で自分の腿を強く二度叩いた。ずっと心に溜め込んでいたものを吐き出した瞬間だった。
彼女がケントの腕を掴んでしくしく泣き出した。
二人の姿は見ているだけで痛々しく、自分事のように心がヒリヒリするのがわかった。
クミも片方の拳をもう一方の手でギュッと握りしめていた。
「泣くなよ。大きな声出してゴメン。ゴメンな」
ケントが彼女の肩に手を回し、悔しげに視線を落とした。
何かあったら遠慮せず連絡をくださいと告げ、二人で部屋を後にした。
日が傾き始めた商店街を並んで駅まで歩く。二人とも無言だ。
どれだけの若者が傷つき、絶望を味わってきたんだろう。こんなことが一体いつまで繰り返されるんだろう。ぼんやりとそんなことを考えていた。
クミが後ろからそっと手をつないできた。
「偽装だからね」
足元に伸びた二人の影を見ながらそう言った。その手は、行きの時よりもしっかり握ってきたような気がした。
笹塚の高校生二人はその翌日に逮捕された。二人でコンビニに行ってしまい、防犯カメラの顔認証ですぐに特禁警が駆けつけた。
若い二人が完全に逃げ切るってやっぱり難しい。
いつも空しくなるけど、短い時間でも少しは援助できたのかなと、自分で自分を納得させるしかなかった。
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