第5話 言葉なき世代 -2- 団長のモノローグ

 地下のアジト部屋には窓がなく少しホコリっぽい。壁際に置かれた空気清浄器が、カタカタと小さな音を立てている。

 団長が缶コーヒーを片手に話を始めた。


 クーデターが起こった日のことは覚えているよ。小学校三年だった。下校時間の時から先生たちがバタバタしてて、いつもと様子が違ってた。

 家に帰るとばあちゃんがテレビを点けてて、「大変だ大変だ」って慌ててたけど、俺には何が大変なのかさっぱりわからなかった。

 ただテレビ画面に映った何台もの戦車がカッコ良くて、ばあちゃんと一緒にテレビを観てた。

 その日の夜からテレビはどのチャンネルも報道番組ばかりで、毎週楽しみにしていたヒーロー番組が、やっと放送再開されたのは半年後だったよ。


 次の日だったかその次の日だったか、校庭に全校生徒が集められて、校長先生から話があった。

 話の内容は子供にはよくわからなかったし、校長先生も随分話しにくそうだったのを覚えてる。

 とにかくその日から、親からも担任の先生からも、禁止になった二文字を使っちゃいけないと言われ続けた。

 理由を聞いてもちゃんと答えてくれる大人はいなかったね。

 困ったよ。昨日まで特に意識することなく使っていた言葉だから。食べ物にも遊びの時も、何かを選ぶ時だって、普通に使っていた言葉だからね。

 それでも最初俺たち子供は、そんな深刻にはとらえていなかったんだ。どこか新しいゲームでも始まったぐらいの感覚だったよ。

 子供は子供なりに知恵を絞って、置き換え言葉を考えた。

「いい」とか「よし」とか「嫌いのハンタイ」とか。でもやっぱりどれもしっくりこなかったな。


 そのうち街中のあちこちにカメラと盗聴器が増えていった。毎日どこかで工事をしてたよ。

 それに伴ってあの嫌な警告音を聞く回数がどんどん増えた。しょっちゅうどこかでキュルキュル鳴ってた。

 同時に特禁警の姿も街中でよく見かけるようになった。俺たちは「クロフク」って呼んでたな。


 それでも違反者が本当に逮捕されるなんて、どこか遠い世界の話だと思ってたんだよ。

 それがある日、同じクラスのユタカが捕まって学校に来なくなった。あれはショックだった。衝撃だった。

 小学生でも逮捕されるんだって。それも家の中でだぞ。

 事の重大さを現実のものとして一気に身近に感じたよ。その日から誰も置き換え言葉さえ使おうとしなくなった。怖くなったんだよ。禁句に近づくことが。

 だから会話の中で近づきそうな雰囲気を感じると、お互いに目や表情で牽制し合ったよ。言っちゃダメだぞって。

 ユタカはそれっきりどこに行ったかわからない。


 将軍のゴトウ。ヤツが首謀してクーデターを起こしたことになっているけど、実は話はそんな単純ではないらしい。

 ゴトウは陸軍の一等陸佐だった。自衛隊には陸佐の上に、下から陸将補、陸将、幕僚長と三つも階級がある。

 完璧な縦社会の自衛隊で、たかだか陸佐の位でしかない者が、どうやって二百人もの隊員を動かし武器や兵器を使用して、あれ程手際よく国会議事堂に突入できたのか。当初からずっと謎だと言われたらしい。

 またそのことがゴトウって男の並外れた統率力や行動力によるものだと、頭のおかしい連中から称賛されることになったんだ。

 この国に真のリーダーが現れたってね。


 しかしレジスタンスの調査でいろいろ分かってきた。あのクーデターには裏があったんだよ。

 本当の首謀者は三人いる。陸上幕僚長のモリ、海上幕僚長のニカイ、航空幕僚長のアソウ。

 この三人が影で結託し、シナリオを書き、そしてゴトウに実行させた。

 ゴトウも当初は全くその事実は知らなかった筈だ。

「隊員たちの国を思う熱い志に突き動かされた」と本人が語っているけど、ゴトウのそんな純粋な心を三人が上手く利用したってことだ。

 ふん、世紀の革命家は、実は悲劇の操り人形だったんだよ。


 一極集中の全ての利権をこの三悪が牛耳っている。

 国内のあらゆる農業系団体、農機具関連メーカー、農薬関連、食品メーカーや物流系の団体や企業、海外輸出に絡んだ大手商社など、その裾野は見えないほど広いと言われているんだ。旧政府側にも加担した者が数多くいるようだ。

 全くもって見たくもない腐った大人たちの世界だよ。この事実を国民のほとんどはまだ知らない。

 レジスタンスや他の地下組織が一部マスコミと連動しながら、その証拠固めに動いているけど、なかなか簡単には進まない。

 下手したら命に関わるからね。そこは慎重にやっているさ。


 そんな悪党どもの私腹を肥やすために多くの若者が、汗をかかされ涙を流してきたんだ。絶対に許しちゃいけないんだよ。

 口にしてしまったたった一言で、オリンピックの夢の扉を閉ざしてしまうなんて、あってはならないんだよ。

 さすがに今は、ゴトウも薄々感づいているんじゃないかな。三悪の存在に。

 表向きは自分の指揮下に入ってるかつての上長たちが、どんだけ腹黒くて計り知れない闇を抱えているか。ヤツはそれを一体どう思ってるんだろうな。


 一般国民も黙って指をくわえてたわけじゃない。全国レベルの大規模デモによる政府への抗議活動は、これまで少なくとも十三回起こっている。

 しかしその都度、大量の制圧部隊の投入で、公務執行妨害や暴力破壊行為を理由に多くの逮捕者が出た。

 どんどん刑務所へ送られて国民の抵抗意思は薄らいでいった。前回の大規模デモからもう三年が経つよ。


 東京レジスタンスはたった一人の男から始まったんだ。

 元々フリーのジャーナリストをやっていた人物で、クーデター直後から武力による政権交代に強く異を唱え、精力的に追及取材を行っていた。今レジスタンスがマスコミ関係とパイプがあるのもそのつながりさ。

 最初は一人の女子高生の逃亡を助けたのが始まりらしい。その後、賛同者や仲間を増やし組織化していった。

 そんな存在は政権からすると目障りだったんだろうな。

 そしてついに、ネット上で発表した記事が禁句法第五条に違反するとして拘束され、十五年の収監措置となった。上限の十五年だぞ。今から十年前のことだ。

 その後は全国のプリズンを転々とさせられている。全くひどい扱いだ。


 違反とされた記事だって、たかだか歴史上の悪法と禁句法を比較して整理しただけなのに、どこが国家の安全を脅かすっていうんだよ。

 大げさ過ぎるし、自分たちにとって脅威になりかねない者を狙い撃ちにしたとしか思えない。

 あの人がいなければ今のレジスタンス組織はなかったかも知れない。俺たちにとっちゃ、この自由が制限されたクソみたいな世界に、希望の灯を最初に灯してくれた恩人でもあるんだ。


 だから、俺たちは「オリジン作戦」と名付けて、その人を奪還しようと何度も試みているんだ。これまで成功していないけど、絶対に諦めちゃいないさ。

 うん?ああ、オリジンっていうのは、起源とか始まりって意味だよ。

 作戦名だったんだけどいつしかその人自身のことも、俺たちは敬意を込めて「オリジン」と呼ぶようになったんだ。


 アンナのこと?

 うーん、きっかけは大したことじゃない。どこにでもあるような話だよ。

 高三の秋に知り合って、あいつは隣の高校だったから、毎日待ち合わせて一緒に帰るようになったのが最初だよ。

 十二月のある日に俺は捕まって、六か月のプリズン送りになった。だから俺は高校の卒業式に出れなかったんだ。

 送られたのは厚木プリズン。毎日、白菜やキャベツの収穫作業。群馬や栃木の奥の方まで、朝早くから週六日駆り出された。

 池に入ってのレンコン収穫が一番きつかったよ。

 毎日規則正しい生活なんだけど、一日八時間の奉仕と往復の移動時間だろ。だんだん何も考えなくなってくるんだよ。今日一日が早く終わることと、収監期間が早く過ぎることしかね。

 最初は意気がっていたやんちゃな連中が、いつの間にか骨抜きになり、死人のような目になっていくのを何人も見た。

 あれじゃ社会に戻った後も政府に楯突こうなんて、なかなか思わなくなる。

 そういう意味では、プリズンは国家に従順な奴隷育成施設でもあるんだよ。


 とは言っても刑務所とは違うので、プリズンでは多少の自由は認められているんだ。

 夕食後の八時から消灯九時までの一時間だけ、通信機器での外部との接触が許されている。それぐらいの息抜きはさせないと、奉仕意欲が下がって農作業の生産性が落ちるとでも考えてるんだろう。

 だから皆、スマホや携帯で友人や家族と連絡するのが唯一の楽しみだ。

 ただし通信内容は全て検閲対象で、禁句法が適用されるけどね。違反したら収監期間の延長さ。


 俺はプリズンから戻ってすぐにレジスタンスに入った。

 収監仲間から地下組織の存在を聞いて、ここを出たら絶対に入りたいって考えていた。自由が奪われることへの怒りと悲しみは前より大きくなってたからな。

 自由を取り戻すために、俺にも何か出来ると思ったんだ。


 え、なんて?もっとアンナとの話が聞きたいって?それは勘弁してくれよ。

 梅雨空のしとしとと降り続く雨の中の出所を、アンナは傘を持って迎えに来てくれたよ。そん時あいつがさしてた赤い傘が今も目に焼きついてる。

 その後はいろいろあって、一度離れた時期もあるんだけど、二年前からまたつき合い始めたのさ。


 さて今日はこれぐらいにしとこう。

 俺は先帰るから戸締まり頼むな。

 お前たちもあまり遅くならないよう、適当に切り上げろよ。

 また明日な。


 団長の話が終わった。

 桜の花は先週散り、日中は穏やかな気候だが、日が傾くとまだまだ冷える日がある。

 団長が開けたドアからひんやりとした空気が流れ込んだ。


 壁際の空気清浄器がずっと、カタカタと小さな音を立てていた。

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