第37話 信じるという事
顔に当たる雫で俺は目を開けた。
眼前にはリリーの泣き顔がドアップで写し出されており、彼女の眼鏡にいくつもの涙が溜まっていた。
俺はゆっくり手を伸ばすと、その髪に手を触れる。
戦いに明け暮れていたのか、少しもたつくような手触りを感じながら。
「俺を信じてくれてありがとう」
と言った。
────あの絶体絶命のピンチ。
俺にできる事は体を張ることともう一つあった。
何度も言うが、状況を見極めてこその策だ。
賭けにはなったが、どこかでそれに希望を見いだしてもいたのだ。
今もその場に立ちすくんでいるその少女。
ローランドを戦闘不能に追いやったあと、一瞬だが動きが止まったのを見逃さなかった。
今まさにここにこうして立っている時のようにだ。
そして次の瞬間動き始めた。
その引き金になったのは、離れた俺にすら感じるほどの、シーフの殺気だったように思う。
どうやら少女を縛るネクロマンサーの術は、その術師が気を失ったことで暴走モードに入ったのだろう。
もしくは、向かってくるものを倒せと言う曖昧な指示になってしまったか。
どちらにせよ、戦う意思のあるものを優先して攻撃するようになってしまっていたようだ。
まぁこの部分には殆ど確信があったため問題なかったのだが。
「あそこで俺を信じて武器を棄ててくれなかったら、俺も助からなかったし、この男も逃がしていたかもしれない」
リリーが、戦いの中で武器を棄てるという荒唐無稽な命令を信用してくれるかどうかが賭けの部分だった。
俺があの立場だったら棄てることはないだろう。
それはきっと俺が誰も信用できないという性質にあるからだ。
しかし、目の前で顔を泣き腫らしているリリーは違った。
人が良いのか、自暴自棄かは知らんが、俺の言葉に素直にしたがってくれたのだ。
「信じてくれてありがとう」
俺はもう一度彼女に礼を言う。
「当然よ! だって、ヨツメ様も私が言う通りにするって信じてくれたから、言ったんでしょ?」
そうか、彼女はそう取ったのか。
あの状況で確かに俺が彼女の行動を信じないと出来ない発言ではある。
信じていない、賭けだ、等と言っておきながらも、根底の部分では……期待していた事に気付かされる。
「それに、うまく収まったんだし、やっぱり信じて良かった!」
レンズにたまった涙の奥で、その丸い目が細められる。
彼女のこの笑顔が、全てを包んでハッピーエンドにしてくれたせいで、グダグダ考えるのがバカらしくなってしまう。
俺は思考を他に移した。
俺の腹部の刺し傷は深いものだったらしく、懸命にライフが治療を行っている。
「ライフ殿までこっちに来たのか」
そう言えば元コカトリスの洞窟に彼女を置いてきたのだった。
「シャーリーちゃんが戻ってきて、行こうって私を引っ張ってきたの」
寝ていた筈のシャーリーは、ライフが必要になると思ったのだろう。
やはり彼女には第六感に近い何かが宿っているように思う。
「眠り薬が作れるってことは、目覚め薬も作れるって事なのよ!」
横たわる俺の頭元でシャーリーが胸を張っている。
仁王立ちしているところ悪いが、下からパンツが丸見えだぞ。
「ローランドは?」
「ここです」
最後に、少女と戦いこちらも気を失うほどの重傷を受けている筈のローランドが、苦しそうに返事をした。
「肺の空気を全部持っていかれて、完全に意識が飛んでいましたが、肋骨が2、3本折れた程度です」
それを重傷と言うのだが。
死ななかっただけありがたいということだろうか。
「ヨツメさんの後に俺も治癒して貰いますから」
岩にもたれ掛かり、苦しそうに息をしながらも彼は笑った。
俺に気を使わせないためだろう。
ようやく全員の無事が確認できて、俺の肩の力が抜ける。
「私の心配はないのですか?」
ロボットの癖に不機嫌そうな声音で語る人物が近づいてきた。
手にはありったけの武器や防具が抱えられている。
「ああ、機能に不備はないか?」
「特にはありません」
だろうな、どこに心配する要素があるのやら。
俺の苦笑はさておき、メイは持ってきたそれらのものを地面に置いた。
「ローランド様の武器などはまだ盗られて日が浅いですから、この中にまだあるのではないでしょうか?」
どうやら彼等の宝物庫へいき、目ぼしいものをピックアップしてきたのだろう。
朝にはここに自警団を呼ぶが、これらはみな証拠品として押収されてしまうかもしれない。
探すなら今のうちなのだ。
「ああ、あった……」
ローランドは痛む胸を押さえながらも、這いずるようにして一つの剣へと手を伸ばす。
急がずともそれが逃げることはないだろうが、それほどまでに大事な逸品だったんだろう。
「リリーも俺の顔ばかり見ていないで探して来ると良い」
俺が促すと、一つ頷いて戦利品の中から自分の杖を引っ張り出す。
その隣にあった、幅広の大きなブロードソードも一緒に。
「ああっ……トリーシャ!」
今は亡き友人の形見だろう。
既に泣き腫らした頬を、新たな涙が伝うのを俺は見ていられずに顔を逸らした。
まだ仁王立しているシャーリーのパンツが見えたので、さらに顔の向きを変えると。
そこには立ったまま動かないあの少女がいた。
ネクロマンサー。
男はそう言っていた。
俺の知識では、死体を思うがままに操る術者の呼称だった筈だ。
実際彼女を観察すると、その肌は青白く、目も虚ろな感じがする。
「メイ、彼女の生体反応を調べてくれ」
俺の指示に、メイは少女を上から下までしっかりと観察した。
「脈拍は無し、体温は気温程度。生物学的には彼女は死んでいます」
「だろうな」
これを操ることが出来る男は向こうで意識不明の重体……もしくは失血死している。
このままここに彼女を置いておくべきだろうか。
もし朝に自警団を寄越した際にそれに襲いかかるような事はないだろうか。
不安がぬぐいきれない。
実は学院にはネクロマンサーを習得する学科はない。
普通の人間には忌避されている学問だからだ。
裏の仕事を生業にしているものや、反社会組織などの間でのみ伝承されているとされている。
なので、何故少女が動いているのか、それを紐解くだけの知識が圧倒的に俺には足りていない。
「メイ、もっと精密スキャンは出来ないか?」
「といいますと?」
「脳の活動、血液の腐敗、内臓の動きなどあらゆるものだ」
腹に穴が空き、治療中のこの段になっても俺の知識欲は溢れてくるようだ。
メイは俺の言う通りに精密なスキャンを開始した。
その間直立して動かないものだから、無表情無感情の二人が向かい合っていると言うシュールな光景になっている。
この少女も、死んだ後も誰かに使役される可愛そうな娘ではある。
しかし、その呪縛を解くために刃物や魔法を向けようものなら、すさまじい戦闘能力で敵対してくるという、かなり厄介な状況になっている。
どうにかこの少女を安らかにネクロマンサーの呪縛から解き放ってあげたいとも考えてしまうのだ。
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