第36話 混沌たる戦場

 しかし、その強靭が血を吸うことはなかった。

 ギリギリでメイが飛び込み、腕でそれを弾いたからだ。


 シーフは素手で刃物が防がれたことに一瞬驚きを覚えたが、メイが伸ばす手を掻い潜って距離を取った。

 熟練された戦士の動き。


『あのステップは縮地しゅくちだ、兵士の訓練で見かけた事がある。一瞬で間合いを詰めてくるぞ』

 俺は向かい合うメイへと情報を送る。


 俺がやれることは俯瞰から戦況を把握することだけだ。


 ローランドにはあの少女が迫っている。

 リリーにはシーフが対峙している。

 しかしメイは一人、どちらかしか守ることができない!


 ローランドは片ひざをついてはいたが、油断なく少女の方を見据えている。

 しかし次の瞬間にはその少女が弾丸のように彼に向かって飛びかかった。


 剣で逸らして反撃を試みたようだが、その傷は浅い。

 二の腕に小さな切り傷をつけた程度で大したダメージには成っていない。

 そのためか、少女は怯むことなく蹴りを放つ。

 左足を地面につけたまま、右足を鞭のようにしならせてローランドを攻め立てる。


 運悪く剣を構えた手に足が当たり、苦痛に顔を歪めた瞬間を、少女は見逃さなかった。

 地面に根が生えているように固定されていた左足を宙に浮かすと、そのまま体を横に一回転させ、強烈な蹴り技をお見舞いしたのだ。


 両手持ちの安物の剣は、利き手を蹴られ不安定になってた。

 その攻撃をさばくことは不可能だろう。

 直接それを叩き込まれれば、内臓破裂も免れない。


 だがローランドもそれなりの武芸者。

 剣の腹を盾代わりにして蹴りを受け、ピンポイントだったダメージを体全体に拡散したのだ。


 試合なのであれば舌を巻くような技巧であったかもしれないが。

 ここは戦場、殺しあいの場だ。


 ローランドはその瞬間に意識が飛んだのだろう、後方に転がって受け身を取ることさえできていない様子だ。

 そして立ち上がる気配すらない。


 ──目の前で人が殺される──


 その恐怖に俺の足はすくむ。

 漫画やアニメであれば、走り寄って仲間の間に立ちはだかるのが常套の展開だろうが、間に合わないどころか、死体がひとつ増えるだけだ。

 もちろんメイの護衛対象も増えてしまう。

 そうなれば、助かる命までも失ってしまうかもしれない。


 俺はどうしようもない絶望感に飲まれながらも、悲しいかな思考だけは止まらないでいた。

 状況をつぶさに観察して、打開策を練る。


 そしてその全てがこの状況がどうにもならないという答えにたどり着く。


 最後に残された道は、メイをおいてリリーだけでも助けて戻る、それくらいしかもう思い付きはしない。


 そんな中メイと睨み合っていた男が動く。


「あっちはカタがついたようだな、こっちもすぐに終わらせてやる」

 そう言うと、離れていても分かるほどの殺気を放ち始める。



 リリーが緊張する。

 メイが身構える。


 しかし、その場を変えたのはまさかの存在だった。


 シーフが何かに気付き、後ろに飛び退いたのだ。

 土煙が上がるその場所に、強烈な攻撃が空振りした。


「おい、何でお前が!」

 男がそう声を上げたが、それを聞く相手ではない。


 先程までローランドを追い詰めていた少女が、今度は仲間であるシーフへと牙を向けていたのだ!


 何故。

 戦場では皆がそう感じた筈だ。


 しかし、その誰よりも俺は俯瞰して戦場を見ていた。


 その少女は、ローランドを蹴り飛ばした瞬間から一瞬動きを止めた。

 勝者の余裕かと思ったが、彼女の表情にそういった気配はない。

 むしろ、次の命令を待っているときのようなメイに近い感覚を覚えたのだ。


 俺の瞬時の考察の間にも、少女は男を執拗に狙う。


「あなたの作ったお人形、どうやら壊れているみたいね!」

 それを勝機と見たのだろう。

 リリーが魔法の詠唱を始めた。


「危ないです」

 その目には止まらなかった少女の蹴りが、今度はリリーに向かった。

 間に入ったメイが手のひらで少女の足を止める。

 男ごと自分を丸焼きにされるという危機感に反応したのか、今度はリリーをターゲットに定めたようだ。



 今度はシーフが自由に動けるターンだ。

 戦況は混沌を極めていたが、彼が向かったのは奥の部屋だった。


「お頭! どうなってやがるんですか」


 そう言えばまだ人数が合わない。

 奥にまだ親玉が控えているのだろう。


 俺は少し移動すると、角度を変えて彼の背中を目で追う。

 そこには腹に材木の破片が刺さった男が倒れていた。

 きっと彼がシーフをまとめ上げるかしらだったのだろうが、抱き上げてもその目は開かず、意識がないように見える。


 お頭の状態を見て、シーフは状況を悟ったのだろう。

 目を泳がせると、状況を確認しているようだ。


「マズい、逃げる気だ!」


 少女に牽制されているメイとリリーは、それに気付いていない。

 それにあの縮地を使って逃げられれば、メイとて追い付くことは難しいだろう。


 この場にいるのはあとは俺だけだ。


 男が逃げのステップを始めた。

 アイツの逃げるルートは俺の隠れているここしかない筈だ。


 俺は自分の導きだした答えに従って叫んだ!


「リリー、杖を棄てろおっ!!」


 その言葉の真意を理解するのに時間が掛かっている。

 なにせこの強敵に対して、攻撃手段を持たないということだ。簡単にはいそうですかと従えるわけがない。



 同時に誰も居ないと思っていた場所から、突如出てきた俺に驚いたシーフは一瞬だが足を止めた、こちらの戦力を値踏みしているのだろう。


 しかし、その間は一瞬だった。

 俺の年齢と骨格から、自分の驚異に成らないと悟ったのだろう。

 まぁその通りではあるのだが。


「ずっと隠れていたおっさんが俺を止められるもんかよ」

 シーフは下卑た笑みを見せ、そのまま俺を殺して押し通るつもりのようだ。



 こちらを素人と侮って、あのステップは使っていない。

 ただ単純に俺をナイフで斬り殺すつもりだ。


 俺は両手を顔の高さまで上げると、それに迎え撃った。

 構えなどではない、素人臭さ前回の防御反応に見えるように。


 結果、男は誘われるように俺の腹部にナイフを突き立てたのだった。



 今まで感じたことの無い、電気が走るような感覚。

 刺された部分が焼けるように痛む。

 血が流れ出る感覚がこれほどに不快なものとは知らなかった。


 俺はそれに耐えながら男の手を掴む。

「逃がすものか!」


 鬼気迫る顔にたじろぎ手を引き抜く男。

 ナイフが腹から抜けたことで、内部から溢れるようにして流れる血液。

 しかし、俺の体は抜いたナイフを持つ手にすがり付いていた。


「くそ、しつこいんだよお前は!」

 致命傷を与えた筈の男に、拳を叩き込もうとした瞬間。


 その男の体が横に吹き飛んだ。

 離すまいとしがみついた俺ごと、俺が隠れていた岩肌に激突したのだ。


 腹部と強かに打った全身の痛みに気が遠退いていく。


 薄れ行く視界の中に、俺たちを見下ろすあの少女の姿があった。

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