第29話 愛とは

  そのよく知った声に、ギギギと油の切れたロボットのような動きで振り返る俺の目には、正真正銘のロボットがいた。


「私とは今後一切そういうことをしないおつもりであることは理解いたしました」


 引っ掛かってたのはそこか?


「俺は眼鏡をかけていない女性には萌えないからな!」


 場の勢いで、新顔の前で性癖を暴露してしまったが、まぁいいだろう。いずれバレることだ。

 俺はメイの表情筋死滅モードに入った顔を見返す。


 手には美味しそうに湯気を上げる料理が乗っかっているが、微動だにせず睨みあっている状態だ。


「──私は眼鏡が好きではありません。博士の嗜好はその眼鏡に向けられるものだからです。ライフ様やシャーリー様が眼鏡をかけていない場合でも、好きになってあげられるのですか? それは眼鏡が好きなだけじゃないんですか?」


 表情は死んでいるが、向けられる言葉は何故か訴えかけるような感情を持っているようだった。

 俺は何も返せずに息を飲み込む。


「他人を真に愛せる人は、相手の容姿や趣向に関係なく愛を築けます。見た目などただの入り口にしか過ぎないものです。それを一生引きずるられると、相手は本当に愛されている実感などありますでしょうか?」


 きっと正論だったのだろう。

 それを聴いてるリリーもローランドも、その言葉に感銘を受けたのか、頷いてさえいる。


 しかし。

 俺にはわからん!

 誰も俺を愛さなかったし。

 俺も愛する機会が無かったからだ。


「お前が人間の愛を語っているってのが気になってしまって、俺にはいまいちピンと来ないぞ」


 なんでロボットに愛がわかるのかと。

 AIは自己学習できるように設定してはあるが、俺に隠れて人間と付き合っていたわけでもないだろ。

 恋愛経験値であれば俺と同等の筈だが。

 何故メイの言葉は、リリー達に刺さってるんだ。


「そんなことより、せっかく作ったお前のうまい飯が冷めてしまうんじゃないか?」

 あまり分の悪い会話は得意じゃない。

 ここは一旦飯で仕切り直しと行こう。


「そうでしたね。愛はわからずとも、料理の味くらいはわかっている様子ですし」


 料理を置くのにも嫌みを重ねてくるメイが、皿をテーブルに置きながら、見てはいけないものを見たような目をして一瞬思考停止した。

 俺は振り返りその視線の先を見る。


 メイとの会話に夢中になっている間に、俺の手元にあった筈の眼鏡をリリーが手に取り、今まさに掛けていた。


「これで……! 痛ったぁぁいいい!!」


 そりゃぁそうだ。

 今眼鏡のつるから端子が延びて、頭蓋骨を掘削して脳へと届いたのだろう。

 脳自体には痛覚がないから問題ないが、穴を開けて進む瞬間にはかなり痛みを伴う。


 しかし痛みに眼鏡を外す事はしなかった。

 脳に膨大な魔導書の知識が一気に流れ込み、思考回路をシャットダウンしたからだ。

 白目で今にも泡を吹きそうなリリーを、ローランドは心配しているようだが。


「やってくれましたね」

 慣れたメイは目を細めて俺をにらんでいる。


「今のは事故だ!」

「どうやらリリー様用に魔法の知識をインプットした眼鏡を用意していたようですね。こんな都合のいい事故なんてあるんでしょうか?」


 それもその通りだが。

 今回は説明して許可を貰ってから掛けて貰おうと思っていたのも事実。

 予想だにしない状況だってのは本当なんだ。


 取り乱しているうちに、リリーの黒目が戻ってきた。


「あービックリした」


 などと言いながら目をぱちくりし、眼鏡や穴の開いた部分をさすっている。

 その様子を見て、危機的状況は脱したようだと、ローランドは半腰に持ち上がったお尻を椅子に下ろした。


「痛いと言っていましたが、大丈夫なのですか?」

 モンスター退治で危険をいくつかは潜り抜けてきた間柄だろうか、気を取り直して話しかける。


「痛いのは最初だけで、今はどうってこと無さそう。むしろ頭がスッキリしているかも」


「無理に外すのは危ないが、そのまま掛けていても問題ない。それにいまリリー殿の頭の中には、俺が暗記している何十冊もの魔道書が入ってる状態だ」


 それがどういう原理で行われているかは彼女達にはわからないだろうが。

 リリーは思い出す素振りを見せたあと、驚きの顔で立ち上がった。


 そしておもむろに呪文を唱え出す。


 この世界の呪文は精霊との交信だとか、異世界の力を引き出すとかで、呪文自体に人間が使うような文脈がない。

 意味の分からない単語をいくつも繋げたような不可思議な言葉になっており、それゆえに暗記も難しいのだ。


 それをいまリリーは淀みなく羅列していく。

 100文字程の言葉を言い終えたところで、リリーの首元が赤く光った。


「リードの魔法、使えました!」

 驚きと同時に、とても嬉しそうに手を叩いて喜ぶ姿は可愛過ぎる。

 やはり眼鏡を掛けたからか、その魅力は当社比100倍と言っても過言ではないな。


「喜んで貰えたなら俺も嬉しいよ、その眼鏡は君によく似合っている」


 俺は一仕事終えたような顔になってウンウンと頷く。


「でもまだ完成じゃないですよ」

 リリーはこちらを向くと、丸テーブルをくるりと回り込んでこちらへと歩を進めてきた。


「どういう意味だ?」

 近づいてくる眼鏡女子に嬉しさ半分恥ずかしさ半分。

 しかもリリーは近くに来ると、俺の右手を優しく握った。


 その手をゆっくりと持ち上げ、自分の顔の辺りに持ってくる。


 俺の身長は172cmと標準であるのに対し、リリーは少し小柄で、150cmくらいだろうか?

 俺の胸の辺りに彼女の顔がある。


「リードの魔法は、その紐を握る相手を指定しなければなりませんから」

 そう言いながら顔を赤らめるリリーは、俺の手を自分の頬に当てた。


 ふわふわのマシュマロみたいな肌には透明感があり、暖かくしっとりと包み込んでくれる。


 そしてその手を下げて行き、彼女の細い首に到達させる。


「アッ……」

 リリーのなまめかしい声が口から漏れ出た瞬間、俺の指先が白く光り出した。


 驚いて手を離すと、その光は粘りを持つ粘液のように、リリーの首と指先の間をツツーっと伸びていき、距離が離れると薄らいで見えなくなった。


 全員が固唾を飲むなか、リリーはいたずらっぽく微笑む。

「これで契約完了ですね」


 言葉を無くした俺とリリーの間にメイが割り込んでくる。

「ご主人様はこれといって奴隷もメイドも募集しておりませんが」


 そう言えばリードの魔法の話が出たのは、メイが厨房にいる間の事だったと思い出す。


「これは借金した相手が逃げていかないように掛ける魔法なんだ」

 分かりやすく説明したことで、メイも納得できたのか肩の力が抜ける。


 しかしその緩和した状況に、リリーは謎の宣言をぶちこんできた。

「メイさんには負けませんからね」


 少しあざとく満面の笑みのままそう言うと。

 せっかく抜けたメイの肩に力が入った気がした。


「勝ち負けで判断する問題がどこかにありましたでしょうか?」


 メイもそれに過敏に反応している様子だ。

 だが俺にはその空中戦が理解できない。

 なんだなんだ、どこに敵対要素があった!?


「まぁまぁ、落ち着け二人とも。飯でも食ってそれから話そうじゃないか」

 仲間同士雰囲気が悪いというのは困る。

 俺はスルリと間に体を滑り込ませると、メイの方を向いて下がらせた。


 しかし、メイは俺の目を見ながら。

「はぁ……」

 とため息をつく。

 いったい息もしていないのにどこからその空気調達してるんだ?


 そして遅れて背後からもため息。


「えっ俺? 俺がなにかした感じ?」


 俺の問いには誰も答えず。

 ローランドが俺の肩を叩き、首を横にふると。


「お食事でも頂きましょう」

 とか言ってくる。

 俺だけに分からない何かがあるのか?

 何だろう研究者なのに、どこから取っ掛かればいいのか分からない難問のような気がするのだが。

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