第19話 セノーテ

「これはまた、すごい場所だな!」

 空間は突如開け、空から日の光が差し込んでいる、湿度が高い洞窟の空気に当たり天使の梯子が見えるほどだ。

 それが大きなドーム状の洞窟内に溜まった地下水へと当たってきらめいている。

 水も澄みきっており、ともすれば水面を見失うほどの透明度を誇り、下砂の白さがやけに際立って見えた。


「これはセノーテといい、洞窟の上部が崩落して出来た空間だな」

 俺の説明にも誰も反応を示さない。

 見ればライフどころかメイまでもがその表情筋肉をほころばせ、うっとりとした目を空間に向けている。

 年頃の女性であればこういった美しいものに目がないのだろう。


 そんなことを考えていると、袖口を引っ張られる。

「師匠……あそこあそこ」

 シャーリーが指をさす方向へ目を向けると、手に持てる程度の石が沢山転がっている場所があった。


 俺は袖を引かれるまま、ライフとメイを残しそちらへと足を運ぶ。

 その石が何であるかを理解した時に、俺はぎょっとした。


 それが全て石像であり、殆どがバラバラに砕かれ放置されていたからだ。

 以前床屋の近くのごみ集積場で、マネキンの首が捨てられていたことがあったが、それに近い気味の悪さだ。


「石工の練習場かここは?」

 苦笑を浮かべながら、その石像を見て行く。

 しかし、それにしてはおかしい点がある。


「何でこの石像は服を着てるんだ?」

 ダビデ像やミロのビーナスの様に、石像彫刻は全裸であってほしいという訳ではなく。

 石像に布の服や鎧をまとわせてあるのがなんとも不可思議だ。


「ね、気持ち悪いでしょ?」

 俺が深く思考の海に潜ろうとしているところに、怖がったシャーリーが縮こまって俺の腕にしがみ付いてきた。


「可愛すぎるっ!」

 20歳の彼女はその年齢にそぐわず、見た目だけなら10代も中盤くらいの年齢に見える。

 その物を知らない雰囲気も相まって、ちょっと成長の早い小学生高学年くらいのイメージだ。

 普段は勝気なつり目も、この時だけは下がってしまい、ウルウルとこちらを見つめてきている。


 俺は本来考えないといけない事を放棄して、とりあえず目の前の可愛い美少女を愛でる事にした。

 その頭を撫でる為に手を伸ばした所を、ほっそりとした力強い手に止められる。


「自分から手を触れるのはアウトです」

「怖がっているのだ、頭を撫でて落ち着かせて何が悪い」

「知らないおじさんに頭を撫でられる時ほど怖い事はありませんよ」

 そう言いながら万力のような力で俺の腕を握りしめる。

 痛い!


「俺はシャーリーの師匠だ、知らないおじさんではないぞ」

「確かに貴方に師事するとなれば、性格に支障が出る可能性も否めませんね」

「その支障じゃぁない!」


 しかしその時、俺の怒声よりひときわ大きい悲鳴が、すぐ隣から聞こえた。

「リリー!」

 ライフが顔面蒼白で石像の一つに駆け寄ってゆく。

 釣られて俺達もその方向に視線を向けると、確かに見覚えのある顔の石像が立っていた。


「あの顔……ライフ様のご学友でした、リリー・フロマージュ様とそっくりです」

 メイの記憶回路から割り出したのだから間違いないだろう。

 俺は少し嫌な予感がしてその石像へと駆け寄った。


 その石像は杖を持ち、何かに魔法を放つ瞬間を切り取ったような、生き生きとした表現で彫られており、やはり彼女もそれに魔法使い然とした服を纏っている。


「まるで、生きていた人間の肉体だけを石にしたような雰囲気ですね」

 メイがそう呟いたことで、俺の頭の中の記憶と結びついた。

「コカトリスだ……ここはコカトリスの水飲み場だ」


 どうやらライフだけはこの世界の知識として、そういう生き物が居ることを理解していたらしく、先に気づいていたようだ。

 俺の推測を裏付けるように頭を縦に振る。

「早く、連れて帰って石化解除のポーションを使わなきゃ!」

 そう言いながら石像を持ち上げようとするが、人間大の大きさの石が非力な18歳の女の子に持ち上がるわけもなく。

 むしろ、バランスを崩した石像が倒れ始め、ライフを押しつぶそうとする。


「危ない!」

 俺は咄嗟とっさにライフと石像の間に体を滑り込ませ、その背中で石像を受けた。


「ぐっ!……大丈夫だったか、ライフ」

 俺にかばわれ、地面に座り込んだライフに問いかける。

 どうやら怪我もなく無事なようだ。

「あ……ありがとうございます、でもヨツメさんが大丈夫なんですか!?」

 慌てた様子で俺の下から心配の言葉をかけてくれるが。


「大丈夫です、私が支えておりますので」

 どうやら飛び込まなくてもメイが何とかしてくれたらしい。

 俺はちょっとバツが悪いな等と考えながら、体勢を戻す。


「これは運ぶのはちょっと無理そうですね」

 ライフはため息を落とす。

「ポーションで治るのだったら、いったん戻ってそっちを持ってきた方が早いのではないか?」

 俺の言葉に、ライフは左の掌に右の拳をポンっと落とした。

「その手がありましたね」

 ちょっと抜けてる所も可愛いんだよなぁ。


「家に戻れば石化解除ポーションくらい、ハイパー錬金術師の私が作ってあげるわ!」

 ああ、そういえばここに錬金術師が居たんだった。

 胸を張って偉そうにしているけど、今の所シャーリーが活躍した場面は一つもない。


「ここはどうやら苔の洞窟では無いようだし、一旦帰ってポーションを持ってまたここに来るか」

 平和的な解決策として提案すると、ライフは大きく頷く。


 しかし、その和やかな雰囲気を、大きな羽音が邪魔する。


「そう、悠長な事を言っている訳には行かなくなりましたね」

 メイの語気が強まった。

 彼女が言葉を荒らげるなど、俺を粛清しようとする以外では耳にすることはない。


 その視線の先を追うと、セノーテの丁度中央に空いた穴、光が差し込む中に羽を羽ばたかせる大きな影が降り立つのであった。

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