第10話 お金があれば使っちゃうよね
それからの治療院はこっそりと繁盛していた。
入れ替わり立ち代わりにご老体が現れては、すっきりした顔をして出て行く。
「さすがベルガの婆さんだ。長年商売をやっているだけあって人脈が広い」
ヤーゲンもほくほく顔を隠せていない。
「しかし、地獄猫の治療代はまた、こんなにも法外な物とは」
俺は経理を担当するメイの横から請求書を覗き見た。
国家ごとに定められた金貨で、ここではシグナールという貨幣が用いられている。
金銀銅で作られた貨幣と、その一回り小さい貨幣の合計6種類。
種類の数は現代日本と同じだが、5円に当たる貨幣がない。
小銅貨10枚で大銅貨。
大銅貨10枚で小銀貨。
小銀貨10枚で大銀貨といった具合だ。
分かり易いっちゃ分かり易いが……。
この計算方法だと、最高額がかなり大きくなってしまう。
「これ一枚で10万シグナールか」
その中でもひときわ輝く大きな金貨を手に取る。
そこには多分偉い人の肖像が描かれ、草や花の緻密な彫刻がされている。
その金貨が一日に二、三枚のペースで溜まってゆくのだから、もう笑うしかない。
実際現代日本で言うところの『円』と相場は近しいようで、大銀貨一枚……つまり1000シグナールを持ってゆけば、定食が食べれるくらいの金額だ。
「母さんの時でもこんなに稼ぐことはなかったぞ」
閉店後、ライフの背中を上機嫌に叩くヤーゲン。
しかし、当のライフは疲れ果てて今にも倒れそうだ。
「皆様お待たせしました、夕食ですよ」
メイのその声に、とがったエルフ耳をぴくっとさせたライフは、さっきまでのよたよたした動きとは別人のように椅子に直行し、フォークとナイフを両手に構えている。
「ライフ殿は食事に目がないな」
遅れて俺が席に座りながらそう言うと、ライフは抗議するように口を尖らす。
「魔法を使うと恐ろしくおなかが減るんですよ!」
実際開店から10時、12時、15時と数時間おきには何かを口に入れている。
それでもお腹が減るというのだから、魔法とカロリーの消費量についての関係性も疑うべきかもしれない。
今か今かと待ち構えるライフの前には、いくつもの料理が並べられてゆく。
鶏肉を揚げたものや、生魚のカルパッチョサラダ、チーズを乗せたパンに、オムライス。
どうやら家計が潤った事で食事も豪華になったようだ。
それでなくても、最近のライフは良く食べるため、かなりの量が提供されている。
そういえば異世界あるあるだが、ここの世界の住人は生魚や米も食べるのかとふと気づく。
現代でも日本以外の国では抵抗があるものが居ると聞くのに。
「生魚を食べるのに抵抗などはないのですか?」
席に着いたヤーゲンにそう問いかけると、少し苦笑を交えて答えてくれた。
「その辺で捕れた物を食べるのは抵抗がありますが、こちらは養殖された物なので問題はありませんよ」
どうやら俺がそういうものに忌避感を持っていると勘違いしたのだろう。
安心なんだよとジェスチャーして、一切れ取って口に運んで見せようとする。
それをライフが叩き落とす。
「まだ、いただきますをしていないでしょう?」
目が血走っているところを見ると、この中で一番食べたいのに我慢しているのはライフなのだろう。
「私の事はお構いなく、暖かいうちにお召し上がりください」
メイの言葉に反応してライフは口早に唱えた。
「いただきます!」
瞬間フォークを振り回し、あれやこれやの食材を取り皿に盛ると、一気にがっつき始めた。
どうやらメイがまだ調理している事を気にして、待っていたのだろう。
律儀な子だ。
その様子をほほえましく見守りながらヤーゲンと俺はマイペースで箸を進める。
「ヤーゲン殿、この米はずっと食べられているのですか?」
俺の質問に少し困惑したようだが、どこか思い出したような素振りで答えを返してくれた。
「はい、割と昔から食べられてきていたのですが、一説ではこの世界の外側からもたらされた、奇跡の穀物だと言われていますね」
この世界の外側?
意味深な言葉に聞こえるが、もしかしたら昔から俺のような転移者がここには何人も来たのかもしれないな。
まぁ、眼鏡を開発している程度の実験で偶然開くくらいだし、割とガバガバなんだろう。
その一人が、養殖の仕方や生魚の味をこの世界の人間に伝えたのかもしれない。
人の一生にしては小さな貢献だが、グッジョブだぞ過去の人。
俺は心の中で親指を立てながら、カルパッチョに舌鼓を打った。
────食事の殆どをライフが平らげた事で、夕食はお開きになった。
ライフの顔は艶が出ており、その少し下膨れな顔も相まって仏様のような様相を呈している。
そんなライフも少しお腹が落ち着いたのか、湯あみをすると言って奥の部屋へと移動していった。
ヤーゲンもこのところの盛況が嬉しいのか、自分で売り上げを計算すると言って、店舗のカウンターへと行ってしまった。
後片付けを早々に済ませたメイが、食卓に一人残された俺の後ろに立っている。
「計画は順調なようですね」
何の前触れもなくそんなことを口にするメイ。
「ああ、このまま無免許医師を続ける訳にはいかないからな」
俺も概要を説明するわけでもなくそれに答える。
「あの親子に説明は要りませんか?」
「その時になってみなけりゃ、うまく事が運ぶかもわからんからな、二人は知らない方が都合がいい」
「入ったお金をいざ手放すとなればヤーゲン様も渋るかもしれませんし」
「ライフだって自分にそんな大金を使うと言ったら遠慮するかもしれないからな」
荒稼ぎをしているのは、いずれライフに治癒師の国家資格を取らせるためだ。
今のままではいずれ噂が広がってしまい、彼女の夢の妨げになるかもしれない。
知識はすでに詰め込んであるから、成績はトップで簡単に卒業できるに違いないのだ、学校に入りさえすればあとはどうとでもなるだろう。
それと俺はメイにも言っていないもう一つの計画を考えていた。
まぁ、既にバレているかもしれないが。
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