第9話 地獄の猫が鳴く時

 治療院に着いた俺たちは、ライフの大歓迎を受けた。

 結局午前中からずっと店の前でお客さんを待っていたにも拘らず、誰も来なかったそうだ。


「考えてみれば、母が亡くなって二年、お父さんの薬が必要なお客さん以外は治療を目的に来る人はいないんでした」

 と意気消沈していたところに、ベルガ婆さんを連れてきた訳だ。


 さっそくライフは腕まくりをしているので、状況説明もそこそこメイはベルガ婆さんを寝台に寝かせる。


「さぁライフ殿、腕の見せ所だぞ」

 俺は確信に近い気持ちでそれを見守る。


 昨日までの弱気なライフではなく、鼻息荒く老婆の腰に手を当てる。

 そのまま背筋をなぞるように、背骨の位置を確認してから今度は患者を仰向けにした。


「ベルガのお婆ちゃん、ちょっと足を上げるね。──これは痛い?」

 言いながら、片足を上に持ち上げる。

「あいたたた、少し痺れる感じがするね」

「反対は?」

「そっちは左程でもないね」


 その触診の結果、一瞬で脳内の記憶から症例を探し当てたようだ。


「おばあちゃん、これは地獄の猫って病気だよ」

「ああ、やっぱり地獄猫だったかい」

 ちょっと聞きなれない病気の診断結果だが、ご年配の知恵袋も同じ症状の病気を知ってることから、この世界ではわりとポピュラーな病気なのだろう。


「地獄猫というのはどういう病気なんだい?」

 それでも、気になる俺はついつい質問してしまう。悪い癖だ。


「はい、猫背の人などに起こりやすい病気の一つで、酷くなると頻繁に地獄の痛みを味わうらしいです。原因は骨と骨の間の神経が圧迫されて、それで痛みや痺れが起こります……って、こんな事今まで知らなかったハズなのに」

 自分の口からすらすらと回答が出てくること自体に、自分でも驚いているライフだが。

 俺にも大体の症状を把握することが出来た。


「ヘルニアだな」

「Hellニャーですね」


 どうやらメイも俺と同じ回答にたどり着いた様子だ。

 現代医学ではひどくなれば手術を必要とする病気の一種だが。

 魔法で何とかなるものなのだろうか?


 どうやらその方法を知っているらしいライフは天使のような笑顔で、ベルガに向き直る。

「何度か通っていただくことになりますし、一時的に施術後は少し痛むかもしれませんけど、それでよければ楽になる方法はありますよ」

 そう聞かされてベルガはそのしわしわの顔をほころばせた。


「痛いのなんて構わんさ、また店に立てるのならね」

 彼女にとってそれが一番大事な事なのだろう。

 しかしその喜びの顔は、何かに想いあたった瞬間に萎んでしまう。

「じゃが……施術費用は、わしは払えそうにないの」


 国家資格である職業の、しかも手術レベルの仕事だ。

 この世界に健康保険や高額医療控除等といったシステムが有れば話は変わってくるが、おそらくそういう事はないだろう。

 しかし、ここはベルガさんの腰を治し、ライフに自信を付けさせてあげたいと、俺は一歩前に出る。


「彼女はまだ見習いです、国家資格も持っていません。なので、公式の料金などを貰うわけにはいきませんが……どうでしょう、貴女のお店の商品をヤーゲン殿が購入する際に、割引をして頂くというのは?」

「そんな事でいいのなら願ったりかなったりじゃが」

 それでもまだ申し訳ないとういう顔をするところを見ると、こういう施術にかかる費用というのは並大抵のものではないのだろう。


「では、ベルガさんの近い知り合いに、ここの店の宣伝をしてもらうわけにはいきませんか? 資格は無いのであくまで大っぴらにではなく」

 その発言にライフは少したじろいだ風だったが、ベルガさんは首を縦に振った。


「わしの知り合いにも大勢、地獄猫に悩まされているモンがおるからの。金を貯めこんどる爺婆にこっそり教えたろうかね」

 ちょっと意地悪そうに笑うベルガは、やはり商売で身を立ててきたからか、自分への恩恵を他の所からお金を引っ張ることで埋め合わせられるように考えるのだろう。


 俺とベルガは頷きあうと、ライフを他所にそんな契約を結んでしまったのだ。


 それからライフはベルガを寝台にうつ伏せに寝かせると、手をその患部に当てた。

 手は緑色に光り輝き、一見するとヒールを掛けているようにしか見えない。


「それはヒールではないのか?」

 にしては眉間に皺を寄せて、少し汗もかいている。

 俺の怪我の時はパッと治ったのに。


「──ごめんなさい、かなり集中力が要るので、話しかけられると困ります」

 彼女が真剣に俺にそう言ったので、俺はすごすごと生活空間の方へと足を運ぶしかなかった。


 そんな惨めな俺をメイは鼻で笑う。

「1点減点ですね」

「何のだ」

「ライフ様を嫁に貰う計画のです」

「……今何点だ?」

「マイナス140点です」

「絶望的じゃないか!」


 あくまでライフの邪魔にならないようにヒソヒソ喧嘩をしていると気づく。


「お前今何をやっているか見えているな?」

「はい、私のエックス線透視モードで丸見えでございます」

 自分で作った割に物凄い能力だ。

 俺が怖い。


「ライフ様は神経を圧迫しているはみ出した髄核と神経との間に、何らかの魔法的物質を生成し、髄核を椎間板の中に押し戻しているようです。その時に出る強烈な痛みをヒールで断続的に癒しながらですが」

「そんな繊細な作業をしているのか」

 その魔法的要素の部分がまだ理解できていない為、俺には何をやっているかも分からないが、その二つが融合するとこういった外部からの処置で治せる病気もあるってことになる。


「はい、この調子では一回でどうにかなるものではなさそうですが、いずれは元に戻りますでしょう、そのあとは定期的な通院だけで改善が見られそうです」

 それを理解できるメイも、人間業じゃない。


「ところでそのエックス線透視ってのは服も透けるのか?」

「ええ調整次第ではそのような事も可能です」

「……」

「今とてもエッチな事を考えましたね。ライフ様の裸など見ても同期させませんのであしからず」

「俺は何も言っていないだろうが!」

「あとでこの事はライフ様に報告させて頂きます。5点減点です」

「事実無根だ!」


「うるさいですよ二人とも!」

 いましがた施術を終えたのかライフが腰に手を当ててこっちを睨みつける。

 丸い頬はさらに丸く膨らみ、少し上体を前に屈めることで上目遣いになっている。


「ぐはぁ! 学級委員長叱りぃぃいい!」


 昇天した俺は更に3点減点されたらしい。

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