第5話 光が見える
俺は研究者だ。
知らないことを知る為に生きている。
目の前に広がる知識の海が、いまだ一歩も踏み入れていない大海原だとしても臆することはない。
理解という行為でもって、この大海原さえ越えて行けるのだから。
今までに蓄えた知識が、風が帆を押すように自分を後押ししてくれる。
そして探求心と知識欲を原動力に前に進む。
その先に答えはない。
知識は次の知識への鍵のようなもの。
宝箱の中には、次の宝のありかを書いた地図が入っているのだ。
────ノートを読み初めてから何時間がたったかわからないが、俺の肩に毛布が掛けられて、ふと現実に引き戻された。
「お邪魔しましたか?」
「あ、いや。有難うライフ殿」
沐浴でもしてきたのだろうか、深緑色の細い髪を雫がツゥーっと滴り落ちるのをランタンが照らしている。
その光景に初めて外が暗くなっていることに気づき、本を読むために明かりを灯されていることにも気づく。
「いかんな、ついつい……」
俺は一旦眼鏡を額の方にずらすと、目頭を指で揉んだ。
気持ちよさに少しだけ涙がにじむ。
「集中されていましたね」
そんな俺を優しい声で気遣うライフは、俺が同年代ではないから安心しているのか、隣に腰を下ろした。
俺もそんな彼女に意識を向けない様に振舞うために、ごく自然に口を開く。
「集中しすぎるのは癖みたいなものでね、気を遣わせたか?」
「いえ……ちょっと嬉しくて、真剣に読んでるのをずっと眺めちゃってました」
見られている事など全く気づきはしなかった。
お返しという訳ではないが、隣にいるライフへと目を向ける。
彼女はいまだ濡れそぼった髪を束ねて頭の上にのせると、水を吸う布と一緒に巻き込んだ。
うなじが露になり、隠すもののなくなったエルフ耳もはっきり観察できる。
まさか16才だとは思えないほどに艶っぽいその仕草にドキッとしてしまう。
眼鏡も掛けていないのにだ!
ここ重要。
俺は年甲斐もなく少し焦ってしまい、先ほどの話の続きを促すことにした。
「嬉しい……とは?」
「はい。母の意思をついで治癒師を目指していると言いましたが──本当は私にはそのノートに何が書いてあるのかさっぱりだったんです」
そう言って俺に苦笑を向ける。
俺にとっては、魔法のくだりはちんぷんかんぷんではあったが、現代医療に近い内容に関しては、専門的な知識や、解剖等の実際の知見が必要なイメージだった。
彼女にとってきっとその部分が「読めても理解できない」部分なのだろう。
「この本は人間の構造や、病気の正体についてしっかり書かれている。お母さんはかなりの勉強家だったようだね」
「そっか、やっぱり……お母さんは凄かったんだ……」
彼女の頬が上気してゆく。
湯上りということもあり、それは瑞々しいリンゴの様に。
そして、思いの丈を吐き出し始める。
「ヨツメさんがそれを熱心に読んでるってことは、私も勉強をすればいつか──いつか絶対にこのノートが読めるようになるって事ですよね? だったらお母さんと同じ治癒師に……なれる……はず──」
唇が震え、言葉の続きを紡ぎ出せなくなったライフの頬を、一筋の涙が伝った。
きっとこの2年間必死でノートを読み解いてきたのだろう。
しかし、彼女にとって理解できない内容が多く、歯がゆい思いをし続けた。
自分の努力が報われず、夢に押しつぶされそうになっていた。
だからこそ「理解できる」という希望の光が見えた彼女は、また夢に向かって歩き出せる。
彼女の涙がそう語っていた。
そのひた向きな姿勢と、いじらしい感情を目の当たりにした俺は、自分の欲望を抑えることが出来なくなり、そのふわりとあどけなさの残る顎へと流れていく雫を、指でそっとなぞった。
そしてそのまま、くぃっと顔をこちらに向かせる。
「あのっ……ヨツメさ……」
か細い声を出したライフを見つめながら。
俺は眼鏡を掛けさせた。
「えっこれはどういう意味──ぎゃぁぁぁああああ!!!」
俺のメガネは特別製だ!
かけるとまず柄の部分から針が飛び出し、脳の側頭葉まで一気に達する!
そこを経由して、必要な知識を流し込む素晴らしい発明なのだ!
まぁこめかみの後ろあたりにちょこっとだけ致命的な穴が開くのが欠点だが。
それを差し引いても凄いだろう。
なんせ【美少女に合法的に眼鏡を掛けさせる】ことが出来るのだから!
「どこが合法的ですかぁ!!」
目の前にフリフリのついたスカートが現れると同時に顔に蹴りが入り、俺は3m程ライフから引きはがされた。
「ライフ様! お気を確かに! 変態博士は今私が殺しましたから!」
ライフの肩を掴んでガクガクと揺さぶるメイ、一足遅れてライフの父親も到着する。
「ライフ!」
「ライフ様!」
二人の声かけに、ようやく目の焦点が合ったライフだったが。
「ああ、光が見えました」
などと意味深な事を言うのだった。
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