第4話 秘密のノート

「数日の間ですが、部屋の端でもいいので置いて貰えませんでしょうか」

 メイは本当に困った顔で、もう一歩父親へと近寄る。

 流石に鼻先10cm程まで近づかれたら、もうまともに顔を見てはいられず顔を背けてしまっている。

 その上、割と豊満かつ柔らかく作られた胸を両腕で挟み込むようにして、胸の谷間を強調しているし、ライフパパもチラチラと視線を彷徨さまよわせている様子。


「い、いやしかし、男手ひとつで切り盛りしている治療院だから、裏はかなり荒れていて、とてもお客人を通せるような場所では……」


 そこでメイは一旦顔を引いた。

 俺はその時メイがしめしめという顔をしたのを見逃さない。

 あーあ、完全に罠にはまったな。


「わたくしはメイドでございます。掃除洗濯でしたらお手のもの。……また、仕える主人はこの四目博士ではありますれど、この屋敷の主人はあなた様……宿賃代わりに仕事でも何でもお引き受けいたします」


 改めて頭を下げる際に今度はスカートの両端を摘まんで持ち上げる、カーテシーという挨拶をする。

 少し前の方を摘まんだのだろう、正面から見るとその長くて美しい脚がちらっと見える格好だ。

 わざとだな。


「……何でも……とは」

 親父がごくりと生唾を飲み込む。


 親父はその言葉に意識が行っているため「家賃代わり」という台詞を聞き逃しているに違いない。

 逆に言うとメイはこれで「タダで泊まる」と宣言したわけだ。


「ま、まぁ困っているという事だし、自分の寝床だけ掃除して貰えれば構いませんよ」


 言質げんち取ったりだ。


「ありがとうございます、では早速清掃作業に入らせていただきますので──お父様、お部屋の案内をお願いできますか?」


 そう言ってづかづかと上がり込んでいった。


 その手口、そして言葉の誘導。完璧すぎる。

 あれよあれよと、居候を承諾させてしまう我が創造物に若干引く。


 となりで呆気に取られているライフと目が合って、俺は苦笑を返すほかなかった。

 親切で助けた相手が、夕方には我が物顔で家を闊歩かっぽしているなんて同情するしかない。

 せめてこの子にも何かしてあげれたら良いのだが……。


 といっても彼女の事を知らないと、何をしてあげると喜ぶかも分からないか。

 俺はその罪悪感を隠すように、努めて笑顔で話しかけてみることにした。


「ライフ殿、年齢はいくつかな?」

「えっと、私は16歳ですよ」


 そういう彼女は見た目こそ若いが、日本の16歳とは違ってしっかりしている印象だ。

 先ほども外に用事で出掛けていたらしい所を見ると、この治療院の下働きとしてしっかり家業に貢献しているのだろう。


 改めて彼女を見ると、初対面で印象的だった細く長い緑髪から、とがった耳が見えている。

 顔立ちは整っているがどこかおっとりとした印象なのは、少し下膨れの頬に赤みがさしているからだろうか。

 きっと色が白いために、驚いたり嬉しかったりするとすぐに赤くなるのだろう。


「そういえば俺が屋根から落ちたときに、傷を治してくれたのは魔法か?」

「はい、簡単なものしか使えないですけど治癒士を目指していますから」


 全身の打撲に、擦過傷さっかしょう、自分の歯で傷つけた口内まで一瞬で治療できてしまうのか。

 治癒師というものはすごい力を持っているなと思う反面、一つの疑問が浮かぶ。


「目指している──ってことは、あんな魔法が使えるのに、まだ治癒師にはなってないのか?」

 俺からすればすごい力を持っているにも関わらず、自信無さげなライフは眉を下げて小さく笑ってから語りだした。


「治癒師は国家資格ですから……簡単な傷の回復だけではなく、もっと激しい部位欠損まで完治させる魔法や、毒や麻痺を治すもの、傷ではないけど歳を取ると痛み出す関節などに効く魔法など様々な項目を勉強しないといけないんです」


 まるで病院を一人で抱えるような内容だ。

 それがこの世界の医者のような立ち位置だとすれば、簡単な傷だけを治していても商売にはならないだろう。


「だったら学校等があるのではないか?」

「はい、学校はあるのですか、何かとお金のかかる場所でして……貴族や王族といったお金持ちくらいしか学ぶことはできないんです」


 無一文の俺にはどうともし難い案件……。

「だが、ライフ殿は学校に行かずに勉強をしているのだろう? 親父殿にでも教わっているのか?」


 俺の何気ない質問に、一瞬だがライフは明らかに暗い目をして目を伏せた。

 しかし次に顔を上げた時には、努めて気にしていないという風に語る。

「治癒師だったのは2年前に死んだ母なんです。父は薬剤師で……今は簡単な治療と内服薬だけを提供しています」


 どうやら気軽に聞いてはいけない事だったようだ。

 どうも俺は他人と話す際の距離感を間違える癖があるなと反省する。


 口ごもった俺を気遣ってか話題を広げる為か、ライフは立ち上がりトテトテと歩き、受付の裏からノートを取り出してきた。

「私の教科書は母が残したノートなんです」

 その手には紙の束を糸で閉じた、和本の様な粗末な作りのノートがあった。

 あちこち補修された跡があり、大事にされている事が一目できる。


 それを見た俺の心臓は、ドクンと跳ねるのが分かるほどに高鳴る。


 この中には今までの常識を覆す魔法という名の知識が詰め込まれている。

 科学者としてその知識を得たいと思うのは当然だ。


 一度生唾を飲み込んでから、口が勝手に動く。

「……少し、中身を見せてくれないか?」

 そのノートが彼女にとって母親の形見であり、夢や希望の欠片だということは十分に分かっている。それでも欲望に抗う事は出来ず、ついそう声を掛けてしまった。


 ライフは逡巡しゅんじゅんしたが、それでも俺を信用してくれたのか、こちらに向きを変えてからゆっくりと差し出してくれた。

 俺も卒業証書を受け取るように大切にそれを手に取ると、大事に扱う事を伝える為に目を見て一つ頷いた。

 気持ちが通じたのだろう、ライフはその手を放して一歩下がる。


 そこからは、目の前にいたライフの事など忘れて、一ページ目を開くに至った。

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