第34話 冬の街の中で
どことなく浮かれた街の雰囲気。道行く女性たちはどこの店のが美味しい、あそこの店はデザインが可愛いとはしゃいだ声で話している。そんな甘く華やいだ街の中をマレ熊は歩いていた。
目的地は人気チェーン店のコーヒーショップだ。店内に入ってメニュー表に目を落とす。街の雰囲気にあてられて、期間限定のヴァレンタインデースペシャルチョコドリンクを選んでいた。チョコレート盛り盛りカロリーもモリモリな一品だ。
ドリンクが出来上がるのを待っていると、ポンとラインの通知音が鳴ったのでスマホを取り出した。
『そこから店内入ってまっすぐ突き当たりの席に座ってる黒髪ぱっつんの女が私だよん』
ドリンクを受け取ると指示に従ってまっすぐ歩いていった。勘よく気付いた黒髪の女性がこちらに手を振る。マレ熊は緊張を含んだ愛想笑いを返した。
「あ……と、はじめまして。マレ熊です。えーと……なんてお呼びしたら?」
「はじめまして、なんて水臭い。一度コラボした仲じゃないか、マレ熊ちゃん! 私のことはニャン田ちゃんでもニャン田パイセンでも好きな名で呼んだらいいよ」
二月某日。マレ熊は以前コラボした先輩ライバーのニャン田に呼び出しを受けた。詳しいことは会って話そうというニャン田に驚きつつ、その勢いに負けて、街のコーヒーショップで会うことになったのだが————ニャン田は多くの人が出入りする店内で、平気でライバー名やら配信の内容がどうたらと口にする。聞かれたら身バレ必至の内容だ。マレ熊は気が気でなく、ニャン田に場所を変えることを提案した。
「マレ熊ちゃん、もしかして身バレを心配してる?」
「は、はい。会話の内容からバレバレなんじゃないかと……」
「だーーいじょうぶ。周りを見てみな。みんな期間限定ドリンクと自分たちの話にしか興味ないよ。もし話を聞かれて、万一その子が我々を知ってたとしても、ただのVTuberファンだと思われて終わりだよ」
そんなニャン田の手元にも期間限定ドリンクがある。一口口に含んでは満足そうに口元をほころばせる様子をみると、打ち合わせ場所にここを選んだ理由が透けて見えた。そんなマレ熊の手の中にも同じドリンクがあるのだが。
「そんなもんですかね……」
「堂々としてることが大事。ね、それよりどう思う?」
「は、はい、なんですか!?」
「もーう、ちゃんと聞いてた? 大事なコラボ配信の話だよ」
マレ熊はふたたびニャン田からコラボ配信のお誘いを受けていた。それも今度は、オフラインでのコラボのお誘いだ。
生身で集まって一緒に配信を撮る。
驚きや緊張もあったが、ニャン田から一緒に面白いことをやろうと持ち掛けられて、マレ熊は嬉しくなってしまった。そういうふうに思ってもらえる存在としてニャン田から認識されていたことが嬉しかった。
だから今日の打ち合わせは気合十分で来たはずなのに、マレ熊はどこかフワフワとして気もそぞろだ。その原因は目の前にいる女性にある。
ニャン田は猫の姿をしたVTuberだ。中の人はどんな人でもギャップがあって当たり前なのだが、それでも予想外過ぎた。
前髪ぱっつんの黒髪ショート。猫を思わせる大きな瞳。口元には常に魅力的な笑みをたたえている。声も口調も配信の時とは違って、艶やかだ。
なんというか、言葉を選ばずに言えば、ニャン田は「エッチなお姉さん」だった。
その雰囲気は同性のマレ熊さえもドギマギしてしまうほど迫力がある。
「今回はオフラインコラボになるからね。なんかNGある?」
「いえ、特には……」
「メンバーは、私、マレ熊ちゃん、アギで本決まりになりそうだよ」
「……あれ、ベアーちゃんは?」
以前コラボしたメンバーは四人。そのうちの一人のエリザベアーも、メンバーに入っているものと思っていた。
エリザベアーとオフラインという取り合わせには少しチクリとくるものがある。マレ熊は以前、エリザベアーにオフラインコラボを持ちかけて手ひどく断られたことがあった。
「あぁ、ベアーってオフラインはNGなんだよ」
「え、そうなんですか?」
「うん、今まで何度か誘ったことあるんだけど、ぜーんぶ答えはNO! オフラインはNGなのって直球で聞いたらはっきりとそうは言わなかったけど、反応からNGなんだってわかってね。だから今回は誘ってないよ」
「あー……そうだったんだ……」
オフラインコラボを断られた時のことは消化したつもりでいた。けれど今改めて、他の人からのオフも断っていると聞いて、心の奥底で安堵している自分がいる。
ほぅ、と無意識のうちにため息が出ていた。
「なぁにー? その意味深な反応」
感情ダダ洩れなマレ熊の反応が、勘の鋭いニャン田に見過ごされるはずもなく。マレ熊はエリザベアーとのオフラインコラボの件を話すことになった。
「ベアーはね、結構ガード固いからな」
「ニャン田さんでもそうなんですね」
「うん、むしろマレ熊ちゃんが一番ベアーと仲いいまであるよ。ずっと一緒にゲーム配信してるでしょ」
「え! イヤイヤそんなことは……」
顔を赤くして答えるマレ熊にニヤリとして、ニャン田は綺麗にネイルされた爪先で軽くマレ熊の頬をつついた。
「なぁーに、そのからかいたくなるような反応は。……ベアマレは百合営業って思ってたけど、もしかしてガチなのかな?」
後半ニャン田は小さな声でつぶやいたので、マレ熊の耳には届かなかった。届いてもマレ熊には意味がわからなかっただろうけど。
ところどころ脱線しながらも、なんとか必要なことを話し終えた二人は、残りの細かいところは通話で決めようと約束して別れた。
ニャン田と別れたマレ熊は緊張から解放されてふぅと息をついた。
(あー……ドキドキした。ニャン田さんがあんな感じの人だったなんて。普段のライバーでのギャグ路線なんて想像もできない。あ、でも人を翻弄する感じとかは通じるものがあるかなぁ)
コラボについて決まったいくつもの重要な事よりも、ニャン田の中の人のことの方がよっぽどマレ熊の心に残った。
蠱惑的な眼差し、人をからかうたび艶めく唇。無意識なのかもしれないが、心臓に悪い。
小悪魔っていうのかなぁ、ああいう人、とひとりごちながらマレ熊は電車に乗り込んだ。
数日後。
貸しスタジオに集まったニャン田、マレ熊、アギ。ニャン田がパソコンを操作して配信の準備をしている。マレ熊はアギと初めましてのあいさつをしたところだった。
「別に初めましてじゃねぇだろ」
鋭い視線がマレ熊を睨む。
「何度かゲームしたことあんだろーが」
金髪にバチバチにピアスを付けた少年、いや青年が不機嫌そうにマレ熊に言葉を返した。
バ美肉VTuberの
マレ熊は顔を伏せて黙りこんでいた。アギはその様子を見て、きっと男である自分を前にして怖気づいているんだろうと自嘲的な笑みをこぼした。しかし、うつむいていたマレ熊が、顔を起こすと、そこにあったのは————
キラキラ輝く満面の笑みだった。
「あーよかった。アギちゃんは想像通りです!」
「ハァ!?」
「呼び方はいつも通りアギちゃんでいいですよね。はぁ、本当によかった。ニャン田さんがあんな感じなんですもん。アギちゃんまでギャップ凄かったらどうしようかと思ってました」
「イヤイヤおかしいだろ、俺ほどギャップあるやついないだろうが。俺、男。ライバーの姿は女だぞ」
「確かに男女の違いはあるけれど、男性でもいつものアギちゃんの可愛さに通じるものは伝わってきます。なんか解釈一致って感じです」
アギは自分のライバーの姿は気に入っていたが、だからといって生身の自分に可愛いという言葉をかけられても全く嬉しくなかった。
「可愛いとかいうんじゃねぇ! 俺は男だぞ」
「はーい、そこまで。本番までその感じでいくつもり? ア・ギ・ちゃん?」
ニャン田の威圧にアギが背筋を正す。
「本番はちゃんと「私」でしゃべります、姐さん!」
「……姐さんはやめてくれにゃ。リスナーからすれば姿はいつもの我々にゃんだから。プロ意識を持つように!」
ニャン田はすでにいつもの口調になっている。目の前の綺麗なお姉さんから、ライバーニャン田の声がすると違和感がすごい。ただ言っている内容は全くの正論だ。本番はもうすぐ。気持ちを切り替えねば。
マレ熊は深呼吸をした。
「さぁ、この甘い季節に孤独を感じるリスナー達よ。今宵は美女三人が何とは言わぬが何の成果も得られない君たちに愛のおすそ分けだにゃ。ではヴァレンタインオフラインコラボの開幕だにゃー」
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