跋文

第20話 魔王としての秦

 ここまでお付き合い下さり、感謝申し上げる。崔浩さいこうである。最終話となるこちらでは春秋戦国のまとめ=秦という国の存在意義「を、どうこの悪魔の書が伝えようとしたか」を見て参りたい。


 まず結論であるが、「げんみたいなクソをいかにやっつけられるヒーローになれるかをお前らに伝授してやろう」である。ここに載る「かっちょいい奴ら」のようにお前ら一人ひとりがなれて、かつ「元に対するヘイトを爆発させる」ことができればアイツラも倒せるぜ、なのである。ひどいな。正直この方向で洗脳させたところでお互いの憎しみを加速させるだけに過ぎぬと思うのだが。もう少し「なぜ魏晋南北朝ぎしんなんぼくちょう時代が 450 年も続いたのか」から学ばせたほうが現実的な方策も見えてきそうなものだがな(※十八史略の魏晋南北朝期は、三国志さんごくしの時代が過ぎると激烈に粗雑な記述となり、教訓もクソもない状態と成り果てる)。


 まぁ良い。こういった大結論をいきなり提示しても繋がるまい。改めてしんについて整理する。春秋時代しゅんじゅうじだいの秦は、ほぼと同じ扱い。春秋五覇しゅんじゅうごは、「あの時代に国力を高めることに成功した君主のひとり」の施政が「異民族のくせに」すごかった、と讃えられ、それが終わると君主の列挙が始まる。楚は戦国時代に突入してもしばらくは王名列挙のみであったが、秦についてはいったん孝公こうこうの代で止まる。商鞅しょうおうが登場するためである。


 商鞅は後世、韓非かんぴによって「偉大なる法家の先人」として扱われる。そのやり口はこれまでの中華世界の統治スタンスからすれば相当に異質なものだったようである。あるいは、後の世の儒学じゅがく朱子学しゅしがくにとっても排除すべきものだったのやも知れぬ。商鞅変法についてやけに詳しく載る理由を探るには、こうした変数もまた無視しきれるまい。ともなれば、この仮定が導かれる。「この国の征服手法が礼にもとるものであった」。いや他の国のやり口も大概陰湿だと思うので五十歩百歩にしか思えぬのだが、とは言え商鞅時代のやり口はバッキバキの相互監視社会、ディストピア待ったなし状態ではあったので、あの時代のどの場所どのタイミングにも生きていたくないのを前提にした上で、なお「あの時代の秦に生きてたら地獄」と思わずにおれぬのも確かである。

 

 孝公の子、惠文王けいぶんおうの代で商鞅が殺されると(なお韓非はこの顛末を引き「どんなに正しいことをやっていたとしても、王に受け入れてもらえなきゃ無意味だよね……」とグチを漏らしている)、子の武王ぶおうについてはちょっとした名君扱いなのだが、それ以上に相撲の途中にプッツン行って死んだことを強調する。もっとおかしな死に方をした君主はいくらでもいたであろうに、なぜこの王については描かれたのか。


 そして十八史略的な意味での魔王、昭襄王しょうじょうおう范雎はんしょを迎え入れブイブイいわせ、その范雎もまた激烈な性格であると描く。この二人が魔王とその側近的に描かれるのは、なんと言っても「その手でしゅうを滅ぼした」ことにあろう。これは日本における室町武将むろまちぶしょうが天皇家を滅ぼしたぐらいに考えてもよいであろう。また曾先之そうせんしにとっても「南宋なんそうの皇帝が殺された」にも等しき大罪として映ったことであろう。

 考えてもみれば、後の「この世の主はただひとり」的価値観より引けば周王家を滅ぼした秦が魔王的に扱われるのは当然なのだよな。問題は、その秦が使い出した至尊の称号を約二千年にも渡り継承しておることで。この辺り、どのような自己正当化が為されておるのかは気になるところである。

 そしてこうして考えると、秦の罪業はよりセンセーショナルに盛りたいところである。ともなれば、長平ちょうへいの穴埋め人数も当然盛ったであろうな。なお十八史略や史記では、范雎は引退した、となっている。しかし別史料(申し訳ない、どの史料であったかをぱっと思い出せぬ)では、范雎も処刑された、と書かれているそうである。オレたちの范雎さんが生涯を全うするなんてなまっちょろいことするはずねえよな、と深くうなずいたものである。


 魔王昭襄王の死後、秦王政しんおうせい、のちの始皇帝しこうていを迎えるまでに、モブ王が二代。つくづく思うのだが、こんな事態を招いても秦の王権が揺らいでおらぬあたり、どれだけこの国の制度は整っていたのだ、とぞっとしてしまう。なにぶん作者の主要生存域が魏晋南北朝時代、ちょっと王が転ぶとすぐに国が滅ぶ世界である。この辺りには、いくら各諸侯国や宗主国たる周が滅びたとは言え、国君という存在がまだまだ揺るぎない概念であったと伺える。もっとも、結局それをぶち壊すのが「王の上」を作り出してしまった秦なのだが。みんな大好き漢帝国さまは礼制の上で秦を否定しておきながら制度的には秦の後継国家であるため、魏晋南北朝ではその辺りの歪みが吹き出し炸裂し、新たな統一国家制度を確立するのにえらい時間を要した、と語ってしまうと、まあ過言であるかな。


 春秋戦国という括りで言えば、秦王政の天下統一事業は収穫の時間、やや規模の大きなエピローグである。故に本作に於いてはさして稿を割かぬ。先にも書いたとおり秦の統一は「悪しき統一」である。ならばその後に待ち受ける「良き統一」への伏線が撒かれ始める。こうした流れは、また北周ほくしゅう隋唐ずいとうにおける十八史略の記述にも示されるのであろう。



 ◯



 以上、敢えて十八史略の記述にのみ基づき、春秋戦国時代の事績を追って参った。今後様々な史書に臨まれる諸氏に於かれては、改めてこの点をご認識頂けると良いのかな、と考えている。


 歴史書とは、結局の所物語である。


 十八史略は特にその傾向が顕著であるが、これは結局史記にもそうした側面が伺える。なにをどうあがいても、書いてあること、曲筆されたこと、省かれたこと、には、偏り無き、客観的な事績の著述、なぞありえぬ。そして二十一世紀の史家たちは、「そんなものがない」に立脚し、その中から少しでも妥当性の高い内容を炙り出さんとする。それは微細で、地味で、地道な作業である。


 過日、呉座勇一ござゆういち氏が「歴史に学ぶくらいならワンピースを」なる発言をし「た、ということになっ」て物議を醸したことがある。あの時の炎上の流れも、実に史学的なものであった。

 呉座氏が該当の記事

https://withnews.jp/amp/article/f0180806000qq000000000000000W02k10101qq000017768A

にて語っておられたのは、まさしく上記のような内容である。「到底経過の確定なぞしようのない歴史事績から得る教訓は概念的、普遍的なものであり、本当に事実として成立した内容であるかどうかは確定できない」。この意味で、例えばワンピースにおいてオハラの悲劇とあだ名されるシーンは、始皇帝が行ったとされる焚書坑儒が「実際にあったと仮定するなら」、としたときに、確かな説得力をもって読者に迫る。世界を牛耳る勢力が捏造した歴史をオハラの学者たちが疑問に思い研究し、その捏造を暴き立てようとしたから滅ぼされた、とするエピソードである。

 優れたフィクションは普遍性を帯びており、故にこそ普及する。これは真偽が微妙であったとしても広く普及する歴史説話とさして価値が変わらぬ。「人を、確かに導く力がある」のである。ならば普遍的歴史説話と優れたフィクションとで、得られる教訓の価値は等しい。その上で歴史説話には、ともすればそれが「真実である」という錯誤が交じる恐れもある。そうした危うさを交えぬぶん、フィクションより得る教訓はまだしも理性的である。これが呉座氏が歴史から学ぶくらいなら優れたフィクションから学べ、の意である。「歴史から学ぶなんてアホか」、ではないのである。


 以上の内容から、さらに展開しよう。「優れた物語書きは、歴史事績を記述するに当たり、自らの主張にとって都合の良い展開をたやすく生むことができる」。ついでに「都合の良い展開を分かりやすく紹介することができる」とも言えようか。


 よかれ悪しかれ、優れた著述者の簡易な歴史著述には、どうしても著述者の歴史認識バイアスが色濃くにじみ出てしまう。これは二十一世紀日本にて出版されておる諸歴史書籍でも同様である。


ならば、こうした現代的イデオロギーから比較的自由である十八史略にて、そうした読み方に慣れ親しんで頂くのも、また歴史を深く楽しむトレーニングになってくれるのではないだろうか。


 読者諸氏の歴史遊びが、より深く沼ってくだされば、と作者は汚らしい笑みを浮かべておる。最悪であるな。


 ではまた、いずこかにて。


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崔浩先生の「十八史略で拾う春秋戦国」講座 ヘツポツ斎 @s8ooo

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