第14話 戦国2 東帝西帝

 約5400文字。

 せいしんが両大国として君臨し、しかし間もなく斉が盛大な総スカンを食らう時期。いわゆる合従連衡華やかなりし時代である。戦国時代のネタはだいたいこの辺りからメジャーな逸話が多くなる印象である。

 対象年は -340~-279。



しゅう

  

 顕王けんおうののち、-321 年に慎靚王しんせいおうが立つ。

 -315 年に赧王たんおうが立つ。赧王が周の最後の王である。



○燕


 文公ぶんこうは合従策の提議者、蘇秦そしんの論説をもとにしん以外の六国と同盟を結んだ。

 文公が死に、易王えきおう姫噲きかいが立つ。ただし十年ほどしたら宰相の子之ししに国政を譲り、自らは臣下であるかのように振る舞った。これにより国政が乱れ、その乱れに乗じてせいが侵攻。子之、易王、ともに殺害された。


 そこで燕では太子の姫平きへいを立てた。昭王しょうおうである。昭王は戦死者を弔い、生存者を見舞い、平身低頭にて国事にあたろうとした。そこで郭隗かくかいに、どのように事をなせば良いかを問う。その答えは、以下の通りである。

「つまらぬものですら重用したともなれば、では賢人にはどれほどの寵愛がもたらされるのだろうか、と思われましょう。なのでまずは、この私めを重用してみなさいませ」

 このアドバイスに従ったところ、燕には次々に賢人が押し寄せてきた。その中には、かの楽毅がくきが含まれていたわけである。


 えんに登用された楽毅がくきは国事を整えると、せいにリベンジマッチを仕掛ける。臨淄りんしへと攻め寄せて斉の湣王びんおうを追い出すと、更に七十あまりの城を攻め落とした。残ったのはきょ即墨そくぼくのみであった。

 しかし、楽毅の斉攻めの間に昭王しょうおうが死亡。恵王けいおうが立つと事態は急転する。詳細は次話に回す。



○斉


 -320 年に威王いおうが死ぬと宣王せんおうが立つ。宣王は文辞弁論に長けたものを好み、淳于髡じゅんうこんをはじめ騶衍すうえん田駢でんべん愼到しんとうと言った人物を高位に取り立てた。これによって斉の文学事業は盛んとなった。なお孟子もうしがやって来たが取り立てられなかった。


 -300 年に宣王が死ぬと湣王びんおうが立つ。甥の孟嘗君もうしょうくんがその宰相となり、しん函谷関かんこくかんで撃破してその意気をくじき、そうを攻め滅ぼすなどの功績を挙げる。

 しかしこれによって湣王は驕慢となっていった。その中でえん昭王しょうおうはかつて斉に攻撃を受けたことがあり、それを恨んでいた。なので楽毅がくきを総大将として各国と連合、斉を攻撃。連合軍は斉の都臨淄りんしにまでなだれ込む。

 湣王はきょに逃げるも、そこにいた楚の将軍、淖歯どうしに殺された。斉の領土のほとんどは他国に奪われ、襄王じょうおうが立った。


 きょに亡命した湣王びんおうには従者がいた。王孫賈おうそんかという。しかし亡命の途中に王とはぐれたため、仕方なく家に戻ることにした。すると母より叱責を受ける。

「私はお前が帰ってくるまでずっと門を開け放して待っている。お前の帰りが遅いときには村の出入り口にまで赴き、待ちわびた。だと言うのにお前は主君の所在がわからず、その御身も危ないというのにおめおめ戻ってきたのか!」

 王孫賈はこの言葉に奮起し、莒に出向いて淖齒、すなわち湣王を殺害した男を殺す。その上で湣王の息子である田法章でんほうしょう、つまり襄王を探し出し、擁立した。

 各国連合軍の攻勢により、この頃斉が確保出来ていた城は莒と卽墨そくぼくのみであった。この二城を拠点に、斉は再起を図る。

 ここで卽墨から推挙を受けたのが、名将「田単でんたん」であった。その事績を中途半端に区切るとよくわからなくなるため、次話に回そう。


・戦国四君 孟嘗君

 本名は田文でんぶんという。斉の湣王の甥である。数千人の食客を抱え、その賢明さは諸国にも鳴り響いた。しん昭襄王しょうじょうおうはその名声を聞きつけ、先に秦から人質を送って孟嘗君を招聘。そして殺害しようと企む。

 孟嘗君は昭襄王が寵愛している側妾の元に行って救済を求めた。彼女は、孟嘗君が昭襄王に献上したような白狐の毛皮のコートがほしい、と言い出す。特別な一点ものであり、予備などあるはずがない。

 このときに大きな働きを示したのが孟嘗君の食客、犬泥棒であった。犬泥棒は秦の倉庫に忍び込んでコートを入手、側妾に差し出す。そこで側妾は、約束通り昭襄王との間を取りなし、殺害を回避させた。

 それから孟嘗君はすぐに秦からの脱出にかかる。偽名を使って秦の出口、函谷関かんこくかんにまで到着。到着は夜半であった。

 函谷関は鶏の鳴き声が聞こえたら開門するのがルールである。しかしこのまま待っていては、秦からの追っ手に捕まってしまう。ここで役立ったのがやはり孟嘗君の食客。彼は鶏の鳴き真似に長けていた。彼の技で強引な開門を果たさせ、秦を脱出すると、果たして追っ手が函谷関に到着した。とは言え国外に脱出されてはどうしようもない。こうして孟嘗君は辛くも秦より逃れた。

 孟嘗君は秦よりのこの仕打ちを恨み、斉に帰国するとかんとともに函谷関に攻め寄せた。恐れおののいた昭襄王はいくつかの領土を割譲することで講和を申し出た。

 その後孟嘗君は斉で宰相として働くが、今度は湣王に猜疑されたため出奔した。



○中原諸国


・宋

 -329 年に立った康王こうおうが再び覇者たらんと野望を燃やし、せいにケンカを売って三国から敵対視された。加えて暴虐淫乱だったため桀宋けつそうと呼ばれた。-286 年に齊・楚・魏連合軍に攻め滅ぼされ、宋の領土は分配された。


・魯

 恵公ののち平公へいこう文公ぶんこうと経て、頃公けいこうの代に考烈王こうれつおうによって滅ぼされた。


てい

 -305 年の康公こうこうの時代、かん哀侯あいこうによって滅ぼされた。韓は鄭の地に都を移した。



ちょう


 肅侯しゅくこうの時代、しんがぐいぐいと迫ってきた。このとき趙にやって来たのが蘇秦そしんである。秦の恵王けいおうに天下の戦略を論じたが用いられなかったため、えん文侯ぶんこうのもとに出向いて趙への協力を取り付け、やって来たのだ。蘇秦は言う。

「鶏のくちばしであるほうが、牛の尻であるよりもマシというものでしょう。いま諸侯の兵力をあわせれば、秦に十倍します。ここはいちど六国が力を合わせ、秦を撃退すべきです」

 その弁舌は確かなもので、肅侯もまた蘇秦に乗り、また遊説のための費用を負担。六国もみなひとたびはこの話に乗り、立役者となった蘇秦にも武安という地の封爵が与えられた。

 ただし、それを黙って見過ごす秦でもない。犀首さいしゅを遣わせて趙を欺き、同盟の破棄したくなるようそそのかす。結果趙はせいおよびからの攻撃を受け、同盟は解除された。蘇秦は趙より逃げ出した。


 肅侯の子が武霊王ぶれいおうである。いわゆる胡服騎射を採用、中山ちゅうざん国を滅ぼす。のちに秦を攻撃したが、こちらは失敗した。その後武霊王は恵文王けいぶんおうに譲位した。史記によると自由の身となった武霊王は各国を偵察して回ったとある。


 恵文王けいぶんおうは過去、氏の璧と呼ばれる見事な璧玉を手に入れていた。その話を聞きつけたしん昭襄王しょうじょうおうより、璧玉と十五の城を交換したい、と言う申し出があった。

 突っぱねれば攻められる、かと言って壁玉が本当に城になるとも思えぬ。懊悩する恵文王に藺相如りんしょうじょが交渉に当たりますと立候補。和氏の壁を持って秦に赴いた。壁を献上すると、やはり昭襄王に城を割譲する意思は見受けられない。そこですぐさま奪還、怒気で髪を逆立てながら「我が頭、壁とともに砕いてみせよう」と一喝した。それから従者に璧玉を持って帰還させ、自らは昭襄王を欺いたとして、あえて堂々と王の前に出る。「何と言う賢者か」と、昭襄王もついに璧玉を諦め、藺相如を帰還させた。これが、いわゆる「完璧かんぺき」の語源である。このやりとりから、藺相如は昭襄王からも重く見られるようになった。


蘇秦そしん張儀ちょうぎ

 いわゆる合従がっしょう策の立役者である。ここでは合従連衡としてワンセットになる張儀もあわせて紹介しておく。ふたりはともに稷下しょくかの学にて見出された学者、鬼谷きこく先生に師事を受けた弁舌家である。

 蘇秦は各国を回り登用して貰おうと働きかけたがことごとく失敗、故郷に戻ってくると妻にも兄嫁にもまともに出迎えられなかった。それで奮起して合従策を編み上げ、えん文公ぶんこうをはじめとした諸侯に働きかけたのである。

 ろくに士官もできなかったはずの蘇秦が、突然六国の同盟を束ねる立場になって帰ってくる。冷たくあしらった家族たちとしては立つ瀬がない。うつむき、まともに蘇秦を見ることもできない。それを見て蘇秦は嘆息する。

「それもこれもひとりの蘇秦だと言うのにな。ああ、おれが故郷でちょっとでも田んぼを持っていたら、こんな立場になぞなれなかったろう」

 そう言うと、手持ちの財貨を友人や家族にばらまいて立ち去った。合従解消後は燕を経て斉に移るも、そこで殺された。

 対する張儀である。彼ははじめで登用して貰おうと働きかけたが、楚の大臣に馬鹿にされた。妻がそれに怒るのだが、張儀は言う。

「見ろ、おれの舌はなくなっておらん」

 合従がなった頃、蘇秦はわざと張儀を怒らせ、しんに赴かせた。とは言え蘇秦は陰から張儀を支援しており、それを知った張儀は「合従が上手くいっている間は何も言わぬ」と語った。

 いざ合従が崩壊すると、張儀は秦王の元に出向いて連衡策、つまり秦と六国各国とで個別に同盟を結び、各国の紐帯を切り崩す策に出る。

 またあるとき秦より兵を預かっての領土を強奪。その上で魏に乗り込んで和解交渉を行い、更に一部の領土を秦に割譲させた。これらの功績から秦の宰相にまで至るのだが、秦の昭襄王しょうじょうおうには猜疑され、魏に出奔。魏で宰相となったが、一年後に死んだ。




 惠王は斉との戦いに大敗した後、更にに敗れ、張儀ちょうぎの策略によってしんに国土を奪われ、国力を落とした。そこで賢人を集めようとしたのだが、やって来た孟子もうしを採用することもできなかった。子の襄王じょうおうが立った時に、孟子は斉に去った。



かん


 景侯けいこうの四世代のち、「哀侯あいこう」の時代にていを滅ぼし、都を鄭の地に移す。その二代下の「昭侯しょうこう」の時代に「申不害しんふがい」が宰相となり、かんの国を強盛とした。その昭公は自らの履き古した袴を臣下に与えないことでケチのそしりを受けたのだが、与える与えないで臣下らに不和が生じるのであれば、そもそも与えぬ方がマシだ、と返した。




 宣王せんおうののち威王いおうを経て、懷王かいおうに至る。

 しん惠文王けいぶんおうが斉の攻撃に出たとき、楚に斉と組まれてはことだと、張儀ちょうぎを派遣して懷王を説得させる。同盟をこちらと組んでくれれば、秦の領土を割譲する、と。懐王はそれを信じ、斉に救援を派遣しなかったのだが、結局約束を反故にされる。怒った懐王は秦に攻め込んだが、敗北した。

 その後秦の昭襄王しょうじょうおうが会談を持ちかけてくる。皆が罠だという中懐王は出向き、秦に囚われてしまった。

 人々は懐王の息子の頃襄王けいじょうおうを立てた。懐王は秦国内で憂悶のうちに死んだ。



○秦


 孝公のもとで秦を強国に仕立てた商鞅しょうおうは、息子の恵文王けいぶんおうの代に殺されている。というのもその性分が激烈そのものだったためである。なのでまず商鞅の性格について紹介しておこう。

 商鞅は咸陽かんようの南門に7メートルほどの木材を立て、これを北門に移したものには十金を与えると布令を出した。しかし人々は怪しがって手を出さなかった。商鞅、今度は金額を五十斤として同じ布令を出す。するとひとりの男が、ものは試しに、と移動。本当に五十金が与えられた。こうして法令の信義を明らかとした。

 あるとき秦の太子が法に違える。商鞅は「法が守られないのは、上の者が守らないからである。しかし太子を処罰するわけにもゆかぬ」と、太子の守り役であった公子虔こうしけん公孫賈こうそんからに処罰を加えた。これらを知り、いよいよ秦人は法令に従うようになった。

 だが孝公が死に太子、すなわち恵文王けいぶんおうが立つと風向きが変わる。公子虔をはじめとした者が商鞅に叛図あり、と讒言したのである。

 そこで商鞅は脱出、途中で旅籠にさしかかる。そこで言われたのが「商鞅様の定めた法により、手形なきものは泊められない」である。ああ、と商鞅は嘆じる。「法を厳しくすれば、このような羽目に陥るのか」と。

 最終的ににたどりつきこそしたものの、魏は商鞅を捕らえ、秦に送還させる。そして商鞅は車裂きの刑に処された。

 商鞅の法令運用の過酷さについて触れておこう。田んぼの広さが申告されたものよりも少しでも大きければ税のごまかしを目論んだとして処罰、道に灰を捨てれば肥料を粗末に扱ったとして処罰である。その調子で、渭水いすいの側で受刑者を処罰したところ、渭水が真っ赤に染まり上がったという。


 惠文王けいぶんおうが死ぬと、子の武王ぶおうが立つ。

 武王は甘茂かんもかんの重要拠点、宜陽ぎようを攻撃させようとする。しかし甘茂は語る。

「私は外様将。宜陽を攻撃すれば、外征している間に、王の元に樗里子ちょりし公孫奭こうそんせきよりの誹謗が飛んで参りましょう。それを王が信じてしまうのが心配でならぬのです」

 そのようなことをせぬという確約を得てから、甘茂は出立。そして宜陽攻めが五ヶ月ほど経った頃、案の定樗里子らが譴責のために甘茂を呼び戻した方が良い、と言う。武王もそれを聞いて、いちどは甘茂を呼び戻そうとしたが、甘茂から「あのときの誓いをお忘れか?」と返され思いとどまった。むしろさらなる援軍をよこし、ついに宜陽を抜いた。

 ところで武王は相撲好きであった。そのため力士の任鄙にんぴ烏獲うかく孟說もうせつらを高官に取り立てていた。

 あるとき孟說とともに思い鼎を持ち上げて遊んでいたところ、プッツンといって死んだ。


 武王ぶおうが死ぬと、弟の昭襄王しょうじょうおう嬴稷えいしょくが立つ。既にここまででずいぶん登場した彼であるが、自国での内容について特記されるのは次話にてである。



 ○


 こうして時期分けをしてみると、ちょいと戦国末期の分厚さがただ事ではなくなりそうであるな。まあ良い。そんなものである。と言うわけで次話、十八史略に見るあらましの最終話となる。

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