第14話 戦国2 東帝西帝
約5400文字。
対象年は -340~-279。
○
-315 年に
○燕
文公が死に、
そこで燕では太子の
「つまらぬものですら重用したともなれば、では賢人にはどれほどの寵愛がもたらされるのだろうか、と思われましょう。なのでまずは、この私めを重用してみなさいませ」
このアドバイスに従ったところ、燕には次々に賢人が押し寄せてきた。その中には、かの
しかし、楽毅の斉攻めの間に
○斉
-320 年に
-300 年に宣王が死ぬと
しかしこれによって湣王は驕慢となっていった。その中で
湣王は
「私はお前が帰ってくるまでずっと門を開け放して待っている。お前の帰りが遅いときには村の出入り口にまで赴き、待ちわびた。だと言うのにお前は主君の所在がわからず、その御身も危ないというのにおめおめ戻ってきたのか!」
王孫賈はこの言葉に奮起し、莒に出向いて淖齒、すなわち湣王を殺害した男を殺す。その上で湣王の息子である
各国連合軍の攻勢により、この頃斉が確保出来ていた城は莒と
ここで卽墨から推挙を受けたのが、名将「
・戦国四君 孟嘗君
本名は
孟嘗君は昭襄王が寵愛している側妾の元に行って救済を求めた。彼女は、孟嘗君が昭襄王に献上したような白狐の毛皮のコートがほしい、と言い出す。特別な一点ものであり、予備などあるはずがない。
このときに大きな働きを示したのが孟嘗君の食客、犬泥棒であった。犬泥棒は秦の倉庫に忍び込んでコートを入手、側妾に差し出す。そこで側妾は、約束通り昭襄王との間を取りなし、殺害を回避させた。
それから孟嘗君はすぐに秦からの脱出にかかる。偽名を使って秦の出口、
函谷関は鶏の鳴き声が聞こえたら開門するのがルールである。しかしこのまま待っていては、秦からの追っ手に捕まってしまう。ここで役立ったのがやはり孟嘗君の食客。彼は鶏の鳴き真似に長けていた。彼の技で強引な開門を果たさせ、秦を脱出すると、果たして追っ手が函谷関に到着した。とは言え国外に脱出されてはどうしようもない。こうして孟嘗君は辛くも秦より逃れた。
孟嘗君は秦よりのこの仕打ちを恨み、斉に帰国すると
その後孟嘗君は斉で宰相として働くが、今度は湣王に猜疑されたため出奔した。
○中原諸国
・宋
-329 年に立った
・魯
恵公ののち
・
-305 年の
○
「鶏のくちばしであるほうが、牛の尻であるよりもマシというものでしょう。いま諸侯の兵力をあわせれば、秦に十倍します。ここはいちど六国が力を合わせ、秦を撃退すべきです」
その弁舌は確かなもので、肅侯もまた蘇秦に乗り、また遊説のための費用を負担。六国もみなひとたびはこの話に乗り、立役者となった蘇秦にも武安という地の封爵が与えられた。
ただし、それを黙って見過ごす秦でもない。
肅侯の子が
突っぱねれば攻められる、かと言って壁玉が本当に城になるとも思えぬ。懊悩する恵文王に
・
いわゆる
蘇秦は各国を回り登用して貰おうと働きかけたがことごとく失敗、故郷に戻ってくると妻にも兄嫁にもまともに出迎えられなかった。それで奮起して合従策を編み上げ、
ろくに士官もできなかったはずの蘇秦が、突然六国の同盟を束ねる立場になって帰ってくる。冷たくあしらった家族たちとしては立つ瀬がない。うつむき、まともに蘇秦を見ることもできない。それを見て蘇秦は嘆息する。
「それもこれもひとりの蘇秦だと言うのにな。ああ、おれが故郷でちょっとでも田んぼを持っていたら、こんな立場になぞなれなかったろう」
そう言うと、手持ちの財貨を友人や家族にばらまいて立ち去った。合従解消後は燕を経て斉に移るも、そこで殺された。
対する張儀である。彼ははじめ
「見ろ、おれの舌はなくなっておらん」
合従がなった頃、蘇秦はわざと張儀を怒らせ、
いざ合従が崩壊すると、張儀は秦王の元に出向いて連衡策、つまり秦と六国各国とで個別に同盟を結び、各国の紐帯を切り崩す策に出る。
またあるとき秦より兵を預かって
○
惠王は斉との戦いに大敗した後、更に
○
○
その後秦の
人々は懐王の息子の
○秦
孝公のもとで秦を強国に仕立てた
商鞅は
あるとき秦の太子が法に違える。商鞅は「法が守られないのは、上の者が守らないからである。しかし太子を処罰するわけにもゆかぬ」と、太子の守り役であった
だが孝公が死に太子、すなわち
そこで商鞅は脱出、途中で旅籠にさしかかる。そこで言われたのが「商鞅様の定めた法により、手形なきものは泊められない」である。ああ、と商鞅は嘆じる。「法を厳しくすれば、このような羽目に陥るのか」と。
最終的に
商鞅の法令運用の過酷さについて触れておこう。田んぼの広さが申告されたものよりも少しでも大きければ税のごまかしを目論んだとして処罰、道に灰を捨てれば肥料を粗末に扱ったとして処罰である。その調子で、
武王は
「私は外様将。宜陽を攻撃すれば、外征している間に、王の元に
そのようなことをせぬという確約を得てから、甘茂は出立。そして宜陽攻めが五ヶ月ほど経った頃、案の定樗里子らが譴責のために甘茂を呼び戻した方が良い、と言う。武王もそれを聞いて、いちどは甘茂を呼び戻そうとしたが、甘茂から「あのときの誓いをお忘れか?」と返され思いとどまった。むしろさらなる援軍をよこし、ついに宜陽を抜いた。
ところで武王は相撲好きであった。そのため力士の
あるとき孟說とともに思い鼎を持ち上げて遊んでいたところ、プッツンといって死んだ。
○
こうして時期分けをしてみると、ちょいと戦国末期の分厚さがただ事ではなくなりそうであるな。まあ良い。そんなものである。と言うわけで次話、十八史略に見るあらましの最終話となる。
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