第7話 春秋4 戦国への胎動
約2500文字。
春秋時代が、いよいよ終わりにさしかかる。それにしても前話は各国で文字数が違いすぎるな。今話はいかがであろうかな。
対象年は -469~-403。やや他話より短いのは許されよ。
○周
-469 年に
-441 年に
-440 年に
-426 年に
-403 年に
○燕
おらぬ。
○姜斉
景公の五代のち、
・田斉
その後、
○中原諸国
・
ここで初めましての国である。
細々と命脈を繋いでいったが、-447 年に
・魯
なお繆公は、史記では
・
「そのような些細な違反を理由に、彼の将才を埋もれさせるのですか?」
そう孔伋は言いつのるが、衛公どころか配下達も苟変の登用を渋る有様だった。
なので孔伋は言う。
「ここからこの国は混迷に向かうだろう。君主が国を運営するのに、その過ちを臣下が諫めない。臣下の過ちを士庶が正そうとすることもない。これでは
曽先之先生は衛がお嫌いのようで、まともに衛に言葉を割かれようとなされぬ。
○
出公の時代に
・趙
襄子は
水は晋陽城の天井までわずか 1.5m の所にまで迫り、沈んだかまどに蛙が住み着くほどの事態になったが、晋陽の民が叛意を抱くことはない。一方で襄子は裏で魏桓子と韓康氏に手を回し、三者合同で知伯を攻め、討ち果たす。知伯の旧領は趙、魏、韓で分配とした。
襄子は知伯の頭蓋骨を漆で塗り固め、酒の杯あるいは尿瓶とした。この報復行為に怒りを覚えた者がいる。知伯の配下の
彼は復讐を志すも失敗、襄公の前に引っ立てられる。その振る舞いを義とした襄公はいちど彼を釈放した。
とは言え、それで諦める豫讓ではない。彼は浮浪者に身をやつし、襄公が使う橋のたもとに隠れ、チャンスをうかがう。
すると橋の手前で襄公の車を引く馬がいななき、立ち止まった。襄公があたりを捜索させ、豫讓を発見。いくら義士でも、二度目に恩情を掛けるわけにはゆかない。こうして豫讓は殺された。
・豫譲
元々、范氏や中行氏に仕え、その後知氏に仕えた。そんな彼は罪人に身をやつし、懐に刀を収め、襄子の家のトイレの壁塗りに従事。胸騒ぎした襄子により施工人たちの身柄を改めたところ、豫譲の紛れ込みが発覚。捕らえられた。
襄子が豫譲に問う。
「あなたのもと仕えていた范氏、中行氏を滅ぼしたのは他ならぬ知氏であったろうに。何故、その知氏のためにこのような真似に出るのだ?」
「范氏らは私を並の人間として取り立てました。故に並の人間として振る舞いました。知氏は私を国士として遇してくださいました。故にそれに報いるのです」
なるほど、義の男だ。感じ入った襄子は豫譲を釈放。こちらで豫譲を避ければよいだけだ、と言う。
釈放された豫譲だが、当然再び狙う。身体に漆を塗って肌をただれさせ、炭を飲み込んで声を潰し、乞食のような風体となる。妻ですら豫譲と気付かぬほどだ。見かねた友人、豫譲の才能であれば襄子にも気に入られるだろうに、そのほうが復讐の機会がめぐってきはすまいか、と諫めるのだが、豫譲は首を振る。
「仮にでも君臣の結びつきをなせば、それは裏切りとなる。おれはあえてこの振る舞いを貫くことで、裏切りをして恥じぬ者たちを辱めたいのだ」
そして再び襄子に捕まり、殺された。
・魏
桓子の代に韓氏や趙氏とともに知氏を滅ぼし、その封地を分かち合った。
桓子の孫、
・韓
康子のときに趙、魏とともに知氏を滅ぼした。その二代のちが
○楚
○秦
楚に較べて代数が多すぎぬか。血なまぐさすぎるぞ秦。
○
と言うわけで、春秋の世が終わる。それにしても三晋の知氏打倒と三晋分立以外特にイベントはございません、位の勢いである。そして蔡も、まともに事績の残らぬ楚に滅ぼされるなど、いったい何のために名を挙げたのですか、位の勢いであるな。曽先之さんはこの辺り、もう興味関心が戦国時代に飛びまくっておるのが伺えて良い。
さて、ここまで十八史略の記述に敢えて従い、それ以上のことはできるだけ書かぬようにした。正直ツッコミを我慢するのに疲れ果てておる。そこで戦国時代に突入するに先立ち、各国及び春秋五覇に対するコメンタリー、という名のツッコミを展開して参りたい。
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