第5話 春秋2 春秋五覇
約3200文字。
春秋時代のひとつのクライマックス、
対象年は -669 ~ -570 である。
○周
-676 年に
-652 年に
-618 年に
-612 年に
-606 年に
-586 年に
-572 年に
もうちょいなんか書けや。
○燕
ない。
○姜斉
「
しかし桓公がこの遺言を守らなかったため、在位中からすでに斉の政治は乱れ、また死後には後継者争いが勃発。桓公の死体は二月近く放置され、死体に湧いたウジが部屋から溢れかえる勢いであった。
・田氏
前話の陳のところで書いた通り、陳の公子
○中原諸国
・宋
-638 年、
・
莊公には弟が三人いた。この三人の子孫が
その後、公位が
○晋
春秋五覇のひとり、
文公の亡命中、
人々は介子推の死を悲しみ、文公はその山を
・
晋に
宣子の子が
彼女は荘子の食客、
やがて成長した文子は屠岸賈を攻め滅ぼす。それに協力した後、程嬰は「あの世の宣子と公孫杵臼に報告致します」と自殺した。
・魏
魏氏傍流から
・
◯
その後、
「丘の上に止まった鳥が三年鳴かず飛ばずなのですが、これは何と言う鳥なのでしょうな?」
荘王は答える。
「三年力を蓄えたのか! それはさぞ見事に羽ばたこうな」
また
荘王が死ぬと
・
◯
かねてより百里傒の賢さを耳にしていた穆公は、高級な羊の毛皮五枚で百里傒を買い取り、政治に参与させた。このため百里傒は
この頃、隣国の晋は悪名高き
この窮地を救ったのが、三百人からなる野人たちである。
彼らは過去に穆公が所持していた名馬を食したことがあった。このことに配下らは激怒し、彼らを殺そうとしたが、穆公は言う。
「良い馬を食ったら酒を飲まねば、今度は人を傷つけてしまうだろう」
そして彼らに酒を与え、無罪放免とした。
これに感激した野人たちが、穆公の窮地を聞きつけ、駆けつけたのである。彼らの活躍で、穆公は危地を脱することができた。
晋で文公が死に、
穆公が死亡すると、
◯
十八史略は春秋五覇のうち「中華人」枠の斉桓、晋文、宋襄をクソ野郎扱いし、「蛮人」枠の秦穆、楚荘を名君扱いしておる。
ここには論語八佾の「子曰:「夷狄之有君,不如諸夏之亡也。」」を思い起こされる。
古注で「夷狄の名君なぞ中華の前ではカス」とされるこちらの句は、新注では「夷狄の名君のほうが中華でもカスな状態よりいいじゃん」とされる。
十八史略における五覇の扱いには、この新注のメンタリティが反映されているよう思われてならぬのである。
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