第四三話 威厳無き騎士隊
――鈍い音が響く。
それはおおよそ人体から発せられる音ではない。
棍棒による重い一撃を正面から受けた騎士の一人は、何が起こったのかも理解できずに走馬灯を見る暇もなく即死する。胸にかかった一瞬の強烈な圧力によって心臓が潰れ、首は折れ、死亡したのだ。
体が浮いたのは死んだ後だった。
オークの全力の一振りによって既に死んでいる騎士はそのまま宙へと舞い上がり、そして近くの建物へと直進して大きな音とともにめり込んだ。
その様子に周囲の全ての人間が恐怖するも、オークへと近づいている騎士たちには今すぐ馬を止めることなどできなかった。
そして攻撃するなら今しかないと考え、棍棒を振って空いたオークの隙に突っ込み、その剣を思い切り横に払う。
その男の剣は見事オークの横腹に直撃した。
しかし、刃は深く入らない。
オークの厚い皮膚を数ディジタスほど斬り、少し脂肪に掠るほどの傷を与えたのみで、全く致命傷とは言えないものだった。
自身の非力さを理解したその騎士は、次の瞬間建物にめり込む。後ろにいたオークの一振りで、いとも簡単に吹き飛ばされてしまった。
その様子を見ている者はほとんどが絶望する。
前列にいた騎士は後ろがつっかえているため前進を余儀なくされ、剣を振るうも当てる前に即死するか、斬り付けたとしても大した傷にはならなかった。
とは言っても、塵も積もれば山となる。
騎士たちは無謀な突撃によってその多数が地面で潰れるか建物に刺さっていたが、先頭にいたオークの集団にも傷が蓄積されていた。
無数の傷を受けたオークたちに騎士の剣が刺さると、膝から崩れて大通りの石畳に倒れ伏す。
しかし、騎士隊にはその功績を純粋に喜ぶことが出来なかった。あまりにもたくさんの同胞を失ったにも関わらず、小さな集団の撃破にとどまっていたためだ。
そんなふうに動揺している騎士たちとホルストであったが、オーク達はその委縮した心に更なる追い打ちをかける。
倒れたオークたちの後ろにいた別の集団が、その死体の前へと歩み出た。
たったそれだけの動きであったにもかかわらず、その巨体の無言の圧力は底知れないものであった。
そしてついに、残った騎士たちはその精神が限界を迎える。
「うっ、うああああぁぁ!!」
辺境伯の息子の前で整列していた後続の騎士隊員が悲鳴を上げ、皆その美しい陣形を崩して馬を反転させると、後方へ向かって走らせ始める。
騎士たちはあまりの恐怖に耐えかね、敵に背を向け、そして主を放って一心不乱に逃げ出したのだ。
その行為は騎士たちにとってあまりにも恥ずかしいことであり、忌むべきことであるが、今の彼らにとってそんなことなどどうでもよかったのだ。
生きて帰りたいという、その想い一つであった。
「おい、お前たち! 待て!! 騎士隊長も、逃げるな!」
ホルストの怒号が騎士たちの背中に浴びせられるが、彼らの耳には届いていない。
「くそっ!」
オークはこちらにゆっくりと迫ってきており、もはやなりふり構っていられる状況ではない。
そう吐き捨てた彼もまた逃げることを選択し、馬を走らせようと思い切り手綱を引っ張ったその時だ――。
力をかけすぎたために、馬は前足を浮かせた。
すると、その重心は一気に後方へと移る。それは当然、彼の装備している鎧の重さゆえだった。
馬が姿勢を立て直そうと激しく跳ねると、背に乗った彼は大きく姿勢を崩し――落馬した。
ガシャンという音を立てて石畳に衝突した彼は痛がっていたが、すぐに我へ帰る。
そして嫌な音を聞いた。
馬の蹄の音、それも遠のいていくもの。
彼がそちらを見た頃には既に馬の走る姿が小さくなって見えた。
すると、後ろから足音がする。
ドスン、ドスンという大きな音であり、それが何かは言うまでもない。
ホルストは転んだまま再度振り返ると、そこには先ほどまでよりも巨大に見えるオークの姿があった。
彼は立ち上がろうとするも鎧が重く、簡単にはいかない。
しかしオークたちが彼を待つことなどない。
ゆっくりと迫り来る。
「くっ、来るな!!」
もはや逃げられないと悟った彼は、腰に差していた剣を抜く。
その剣もまた持ち手などが貴金属で装飾された美しいものであり、立ち姿であれば威厳を感じたであろうが、彼は尻餅をついているために格好がつかなかった。
オークが目の前に迫る。
高く棍棒を振り上げ、その影が彼にかかる。
そして、その棍棒は下方に向かって加速し始めた。
「誰か……助け……」
目に涙を浮かべながらそう言いかけた時だった。
「行動開始!!」
声の源は一か所であるが、それはこの都市のどこにいても聞こえるであろうほど大きかった。
それはプルーゲル王国冒険者協会の最高指導者であるハルトヴィンの声だ。
ホルストの顔にかかる棍棒の影がだんだんと濃くなっていたその時、彼の目の前に突然何者かが現れる。
――瞬間、棍棒を持つオークの両腕にほんの
そして、その光が通った部分を境目に、オークの腕が離れていく。
体から離れた両腕は慣性でホルストの頭上を通過し、棍棒を握ったまま彼の後方で着地して少し転がる。
その辺りの石畳は赤く染まった。
そのような人間離れした技をやって見せた存在の姿が、ようやく彼の目に映る。
背を向けて立つのは金髪の女。一瞬の光が通った先にはオークの腕を切ったのであろう片刃の剣。
そして彼女は更にその剣を素早く操り、それはオークの胸の先へと向かった。
腕を失ったオークは姿勢を崩し、前へと転倒する。そのまま目の前に突き立てられた剣の先に触れ、自重で胸に突き刺さった。
その胸が剣を持つ彼女の手に触れたところでオークは動きを止める。剣先は背中から現れていた。
その様子をただぼうっと見ることしかできなかったホルストであったが、その瞬間突如として体が軽くなる。
それは誰かに掴まれたような感覚で、振り向くと焦げ茶色の長髪の女がいた。彼女の服は黒っぽく、顎と胸を使って大きな本を挟んで持っていた。両手はホルストの鎧を掴むために塞がっているからだ。
すると彼女はかなり重いはずの彼をいとも簡単に後方へと引きずる。
そして、正面の金髪の女はオークに刺さった剣を一瞬にして抜くと、さっと横に移動した。
支えを失った死んだオークの肉体はそのまま重力に引かれ、ドスンという音を立てて石畳に倒れる。
そして彼女は剣についた血を一振りで払うと、ホルストの方を振り返って一言。
「ご無事ですか?」
笑顔で話しかける彼女の表情は美しく、逞しいものだった。
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