第九話 謎のナイフと夜の森 その一

 少女のいる崖に囲まれた草原は、数時間が経過したにも関わらず周囲の明るさに一切の変化がない。


 しかしながら、そこは先ほどまでのあの美しい風景がまるで元々存在していなかったかのように崩壊し、混沌と化していた。


 美しく長閑のどかであった草原は溶岩や氷塊などで溢れかえっている。その他には小さいながらも大雨を降らしている雨雲が草原の端の方にあったり、崖の一部には雷が走っていた。

 

 そんな中、少女は例の石造りの台と半円筒状の蓋を持ったリベット打ちの木箱の前で、胡坐あぐらをかいている。


 周囲の異常を気にするそぶりもなく、台の上に広げたいくつもある本の内、大きく分厚い一冊を黙々と読み進めていた。腰のベルトには白い布に包まれた片刃の剣が差されている。


 開かれた本の隣には、もう既に読み終えた数冊の本が積み上げられていた。少女の座っているところや、石の台と木箱が置かれている場所にのみ背丈の低い草が残っているようだが、少女の背から五ディジタス(一〇センチメートル)後ろには灼熱の溶岩がドロドロと流れている。


 しかし、少女は熱さをほとんど感じていない。それは不死鳥の力によるものだった。


 少女が現在読んでいるところはその本の最後のページだ。手書きの文章が所狭しと書き連ねられており、中央には先ほど混合獣を召喚したような奇妙な文字列と何重にもなる円盤、〝魔法陣〟が描かれていた。


 それが前回のものと決定的に違うのは、勝手に光り出して何らかの化け物を呼び出さなかったことだ。


『調和の魔法。魔法によって乱れた空間や肉体などの元素の均衡を修復する。使用する魔力量によって修復する範囲や度合いが変わる』


 少女はそのページに書かれてある内容を読んだ。


「これで最後……」


(魔法か…………。昔話で聞いたことがあったっけ? それに、ここが夢の世界だとは思えないしなぁ)


 よしっ、と一言。


 そのページを開いたまま本を持って立ち上がると、後ろを振り返った。


「試してなかったのはまだ沢山あるけど、ここで使っても大丈夫なのはあとこれくらいかな」


 少女がそのページのインクで描かれた魔法陣に触れ、言葉で表せないような力を少し加えると、少女の正面に白い光を放つ魔法陣が出現した。それは直径にして二ペース(六二センチメートル)弱ほどだ。魔法陣中央部には大きな六芒星の記号(✡︎)があった。


 ――そしてその瞬間、周囲の混沌は突如として消え去る。


 魔法によって生み出された溶岩や氷塊等は光の断片へと姿を変えると、風に吹かれたかのように霧散し、消えてなくなった。


 少女の足元には元通りの美しい草原が姿を現す。


「おお!」


 少女は感嘆の声を漏らした。


 本の力を借りて何十回と使用した魔法が生じさせた事象の数々を、たった一つの魔法で何事もなかったかのような状態に変化させたのだ。


 しかし、一か所だけ変化していない場所があった。


 少女が初めに使った魔法の効果によって召喚されたゴーレムが、草原の端の方で立ち尽くしている。


 これは箱の中にあった羊皮紙製の巻物の一つから、初めの混合獣と同じようにして召喚された。だが混合獣の召喚と決定的に違ったのは、少女の意図したことだったということである。


 巻物に触れて少し力が加わったぐらいでは召喚されなかった。


 ゴーレムかなり不格好なもので、山にいくらでも転がっているような、苔がびっしりと生えて少し丸みを帯びた岩が不思議な力でいくつも接合され、四肢や胴体などを形成し、人を模した姿をしている。そしてそれは命令が与えられていなかったためその場に立ち尽くしていた。

 

 少女はそれに気づいて少し驚く。


(召喚? した存在は消えないのか……)


 少女の頭には疑問が残ったが、そういうものだろうと考えてまた振り返り、石造りの机を見下ろした。そして複数の本と巻物、両刃であるが刃の色がそれぞれ違うナイフを目にした。


 そこに置かれてある既に読まれた複数の本の一冊には、亜人と呼ばれる人間に近い容姿の存在や、魔獣と呼ばれる家畜には到底できないような獣の存在が、説明付きで細かく記されてあった。


 少女がそれらを読んで感じ、考えたことは様々である。


 本の内容から察するに、ここは少女の知る世界でない。常識が根本的に違うようだ。魔法や魔獣などという存在が当たり前に書かれている上、何よりも魔法に関しては実際に使用できた。これ以上ない証明と言えよう。


 また、少女にはかなり疑問に思うことがあった。


 数冊の本の内には日記が含まれていたのだが、それは読者に対して語りかけているかのようで、つまるところ誰かに読まれることが前提で書かれているようであった。


 その上、日記自体ほんの数日分ほどしか書かれていなかったのだ。


 生物や魔法等に関してはそれぞれ別々の本に分類され、図鑑と言っても過言ではないほど細かく記されているにもかかわらず、日記はあり得ないほど短い。


『手荒な真似をして申し訳ない。何度も書いているが、君は一度死ぬことでその身に宿った不死鳥を目覚めさせるようなのだ、わかってほしい。それと、箱に入れたナイフを使えばそこから出られる。その説明については他の本を参照してほしい。私は結局、何も見つけられなかった。それでは新たな不死鳥の魂の継承者よ、見知らぬ私からの贈り物を、好きなように使ってくれ。私の三六〇年と少しの旅路も、ここまでだ』


 最後にはそう書かれていた。


 また、筆者は筆者自身のことを不死鳥の継承者と呼んでいた。


 これらから推察されるのは、不死鳥の魂とは継承されるものであり、かつ筆者は前代の不死鳥継承者で、それが少女に継承されたということだ。


 前代の継承者がのこしたその最後の二文の内容は、混合獣が少女の身に継承された不死鳥の魂を活性化させるために必要な存在であったという意味だ。


 一度混合獣に少女を殺させ、それによって少女に宿った不死鳥が目を覚ます。少女がこれから不死鳥の継承者として生活していくための下準備を、先に済ませたということだ。


 日記の最後には〝ここまで〟と書かれているため、筆者は死亡しているのだろう。それが如何なる原因であるかはわからないのだが。

 

(継承……)


 誰かから受け継いだ力だ。


 しかしその人物はいない。質問したいことはいくらでもあるが、それは不可能だ。


『ナイフを使えばそこから出られる』


 これも前代の不死鳥が遺した言葉だ。


「ナイフか……」


 少女はここにあるものの内、日記で言及されておきながら未だ使用していなかったことを思い出した。正確には、巻物は消耗品であることがわかったため、試しにゴーレムを召喚したもの以外使用していない。


 別の本の一つに書かれてあった説明によると、くうを切ることによってそのナイフが最後に訪れた場所へとつながる一時的な空間の裂け目が出現するとのことであった。


 少女は置かれてあるナイフを拾い上げて見つめ、持ち上げる。中央の水晶に少女の顔が歪んで映った。


 少し移動し、黒い方の刃を下にして素早く何もないところを、強いて言うなら空気を斬る。


 すると、振り下ろした途端ナイフの黒い方の刃が薄く光り、中央にはめられた水晶はその何倍も激しく光を放った。


 ――そして、突如正面に不可解な裂け目が生じる。


 それはまるで開かれたまぶたのような形だ。

 

 そこからは冷気が流れ込んで来る。


「開いたっ!」


 少女は笑顔を浮かべた。


 その空間の裂け目を凝視する。


 裂け目の先には、どこまでも続きそうな深い闇があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る