After Story あの日々の続きを

 僕が住む町は、平和で長閑のどかな場所だ。こぢんまりとした家々が並び、周りは自然に囲まれ、山には草木が生い茂っている。


 ここは、魔族と人間が共存する村。純粋な魔族や人間はもちろん、両方の血を継ぐ者も普通に生活している。


 かく言う僕も人間と魔族の血を受け継ぐ混血だ。だからといって不自由は無いし、この町は他の町に比べて特に寛容な場所だった。

 他では、魔族と人間が分断されていた時代の名残りがある所も少なくないらしい。たった五百年前のことだから、別に可笑しいことじゃない。魔族の平均寿命は五千年だから、五百年前に生きていた者は大勢居る。

 ちなみに僕はまだ二百年しか生きていない子供で、人間だと十二歳くらいの外見をしている。だから僕は五百年前のことは知らず、年長者が平和に向ける想いもよく分からなかった。


 この町にはある女性の銅像がある。なぜか町の中心ではなく、近くの山の小道を少し入った所にあるのだが、町の住人は皆その人物を敬っていた。

 皆が敬うにも関わらず町の中心に無いのが疑問だが、なんでも僕の親世代は山の中に住んでいて、その時に造られた物であるかららしい。そしてその像を毎日欠かさず手入れするのが、僕の家の習慣だった。



 銅像の手入れは僕の担当となっていて、その為に今日も僕は山に入る。と言っても像はふもとにあるのでそこまで登ることは無く、緩い登り坂をのんびり歩くだけだ。

 緑に囲まれた穏やかなこの山道を歩くのが、僕は好きだった。ここは北の地方で年中寒い場所なのだが、木々の葉っぱを揺らす冷たいそよ風が心地良く、なんとなく懐かしい感覚がした。


 細道に入ってしばらく歩いたところで、目的の銅像の姿が見える。その周辺は芝生が青々としていて、小さな花が所々に咲いている。俺は像の近くまで歩くと、その前で跪いた。


「おはようございます、聖女様。」


 銅像の女性の正体は、五百年前を生きた大聖女。人間と魔族の和解に尽力した人物で、僕の家では神様かと思うぐらいに崇め奉られている。母が言うには、彼女が居なければ人間と魔族は分断されたままで、父と母が結ばれることも僕が生まれることも無かったらしい。その上聖女様は、かつては低かった魔族の立場を回復したということで魔族からは英雄扱いされている。だから僕も聖女様に対する敬意を刷り込まれて育ち、こうして銅像の前でも儀礼を欠かさないのだ。


 祈るように手を組んだ聖女様は、若いままの姿で造られている。それもそのはず、彼女は年老いる前にこの世を去ったのだ。

 実のところ、聖女様は人間と魔族が和解した時には既に亡くなっていて、和解に漕ぎつけたのは意志を継いだ彼女の従兄いとこだった。彼は彼でその功績を讃えられ、人間社会では聖女様より名が知られているらしい。

 魔族の間で聖女様が一番讃えられる理由は、人間と魔族の和解が彼女の犠牲の下に成り立ったからだ。


 彼女は人間と魔族の和解を成すために活動していた最中さなか、人間や勇者に恨みを持つとある魔族に殺された。この出来事は溝を深める要因にもなり得たのだが、聖女様の従兄が人間側を抑えて魔族を説得し、逆に魔族側の理解を得るきっかけとなった。

 自らの命と引き換えに平和をもたらした人物。それが、魔族にとっての大聖女様なのである。


「今綺麗にしますからね。」


 魔法で体を浮かせ、銅像のてっぺんから掃除を始める。いつもなら銅像の土台に立って作業するのだが、昨日の夜が雨だったせいか地面がぬかるんでいたために汚れた靴で登る訳にはいかないので、空中で作業を始めた。



 のんびりと雨垂れの痕を清掃していると、銅像の裏側に足跡を見つけた。湿った土を踏んだ痕が確かに残っており、銅像の裏から真っ直ぐ続いている。

 真っ直ぐ突っ切ると山を登ることになる。ここを登ると気温が下がり、雪が降っていることがあるらしい。道も険しくて遭難する確率が高いため、ここら辺に住む人もほとんど入ることはない。


 誰かが山に入ったのか?足跡は大人にしてはサイズが小さいので、もしかしたら子どもが迷い込んだのかもしれない。

 だとしたら一大事だ。子どもの遭難なんて洒落にならない。


「すみません、聖女様。ちょっと待っててください!」


 僕も山に入ったことは無いのだが、それにも構わず清掃用具を置いてその足跡を追った。

 バレたら親に怒られそうだが、まぁ良いか。



 それからしばらく登れど足跡は絶えず、その主に追いつく事もできなかった。聞いていた通り山を登るにつれて気温が下がり、とうとう雪がちらつき始める。

 迷い込んだ子は大丈夫だろうか?先程見た足跡からして一人なのだろうし、僕が今向かっているとはいえ見つかる保証は全く無い。


 そもそももっと大きな山道もあるのに、何故わざわざ聖女像を通って山に入ったのか…?

 考えられる理由としては、ただ知らずに行ってしまったのか、あるいは物語を信じたのか。


 この山は、とある小説の舞台となっている。その小説というのは悲恋物語で、人間と魔族の叶わぬ恋を描いた話だ。実は本当の話でヒロインは聖女様だと言われているが、その真偽は不明。本人亡き今となっては、確認のしようも無かった。

 その話の舞台となるのが、かつては魔族だけが住んでいた雪の絶えない山で、ここの事らしい。しかし確かめようと登った者の多くが帰って来なかった為、徐々に人が遠のいたのだとか。


 進むに連れて徐々に風が強くなってきた。あまり進むと自分が戻れなくなりそうだが、誰か居るなら放っておく訳にもいかない。

 ずっと足跡についてきたが、それも遂にここで途絶えてしまった。足跡の上に雪が積もってしまったのである。


 さて、どうしたものか?慣れない雪山を無闇に歩き回るのは悪手だが、かと言って戻るのも…。


 ひとまず坂を登りきったところで立ち止まり、周りを見渡す。後ろを振り返ると自分の足跡でぼこぼこになった道があるが、みるみるうちに雪が積もって窪みが若干浅くなった。


 何か目印をつけようと、魔力の籠っていない形ばかりの魔法陣を描いた。魔法陣にはそれを描いた人間の魔力に反応するという特性がある為、道標みちしるべとしてはちょうど良い。


 自分が登ってきた坂の頂上にしるしを書いたところで、僕はようやく前方の景色を見た。

 目の前は、一面の銀世界。木々の葉にも白い雪が積もっているが、雪で隠れたのかそこに道らしい道は無かった。


 しかし、その景色を見た時に僕が感じたのは雪景色の美しさに対する感嘆でも、道が無いことに対する不安でもなかった。


 あ、こっちだ。


 来たことの無い場所に対して、何故自分がそう思ったのか分からない。でも反射的に、僕は足を前に進めていた。


 銀世界を進んだ先にはまた銀世界。全くと言っていいほどに変化しない景色だが、僕がそれに焦ることはなかった。


 何故自分は道を知っているのか。何故来た事の無い場所を当然のように歩いているのか。その理由は自分にも分からない。しかしその答えを求めるように、僕はひたすらに積もる雪を踏みしめた。


 自分にも分からないどこかに向かう最中、僕はふと立ち止まってまた辺りを見回した。そこには何も無く、僕は安堵のため息を吐く。

 何も無いというのは、目印が無いと同義。安心できる要素は無いはずなのに、僕は何故か安心していた。


 今の自分が自分でないように思える。なのに何故だろう、全く不快に思わないのは。


 再び足を進め、徐々にそのスピードが上がる。目的地が近くなってきた気がして、ただでさえ歩きにくい雪道を走り始めた。


 この道の先に、何かがある。自分がずっと探していたものが、きっと。



 そうして辿り着いたのは…洞窟だった。


 聖女様の物語に出てくる洞窟。中には、雪が解けて濡れた足跡がある。その先で、茶色いローブを羽織った一人の少女がしゃがみ込んでいた。


 大丈夫?そう声をかけようとしたところで、僕は彼女の手にある物を見た。


 彼女が持っているのは、一本の白百合。花言葉は、『死者に捧げる花』。その百合の下には、萎れたり枯れて干涸びたりした別の白百合が、同じように何本も置かれている。

 彼女はそれを百合の束の上に置くも、祈るわけでもなく、ゴツゴツと硬い地面を撫でた。



「ノエ…。」



 ドクン。

 心臓が一度跳ねる。すると突然動悸が始まり、その音がやけにうるさく聞こえた。


 僕が一歩後退ると、その靴音が洞窟に響いた。

 少女はそれに反応して、こちらを見る。ここでようやく、僕は少女の顔を見た。


 その瞬間、僕は自分が見ている光景に既視感を覚えた。しゃがんでいる少女が向けるのは、何にも期待せず、だが完全には捨てきれないような、寂しい瞳。


 そんな彼女を、僕は…。俺は、確かに知っている。



「おやおや、だいぶ待たせてしまったみたいだね、……ルリ。」



 彼女は目を見開くと、一瞬でそこに涙を溜めた。


 ぽたり。

 雫が地面に落ちると同時に、彼女が立ち上がってこちらへ駆けて来る。その口許には、笑みが零れていた。


 そんな彼女を受け止めるために、俺は手を広げる。

 今度はきっと、火傷なんてしない。



 いつか果てたはずの平穏は、時を経て元に戻る。かつて失ったあの日々の続きを、もう一度始めよう。

 阻むものは、もう何も無いのだから―――。






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聖女と混ざり者 林 稟音 @H-Rinne218mf

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