第5話 こんにちは赤ちゃん

 「おぎゃー」


 だんだん意識が戻ってきた。

 ここはどこ?  わたしは誰?

 まだぼんやりしている。


 —— しばらくして徐々に意識がはっきりしてきた。

 ここは俺の親となった貴族の屋敷の一室。

 俺はこの貴族の長男として生まれたばかりの赤ちゃん。そして異世界転生者だ。


 数分して、転生直後の意識の混濁がようやく治まってきた。



 状況を理解するためにちょっとずつ体の反応を確かめる。

 まだ肉体は赤ちゃんだが、俺の自我もちゃんと宿っている。不思議な感覚だ。


 赤ちゃんが泣いたりぐずったりする作業は俺が意識的にどうにか制御しなくても勝手に行われる。俺が意識的に泣いて母乳を訴えたりする必要はない。これは楽だ。


 しかし逆に、俺の意識で赤ちゃんの手足を自由にコントロールすることもできない。

 赤ちゃんとは別に赤ちゃんの頭の中に俺が憑依しているような感覚だが、しばらくすれば徐々に俺のコントロール範囲が広がり、この赤ちゃんと俺が完全に一体になることはなぜか理解できていた。焦る必要はない。


 今の、本能的な活動が多い赤ちゃんの動きを俺が全てコントロールするとするとなると相当しんどかったと思う。その煩わしさを回避するために今は赤ちゃんと俺の意識が分離されているのだろう。ありがたい。


 そして、産まれたばかりの赤ちゃんで目や耳がまだ充分機能していないはずだが、それとは無関係に俺の意識にはなぜか周りの様子が知覚できるようだった。超能力みたいだ。赤ちゃんの五感だけで情報を得るのはかなり難しいので、これもとても助かる。

 

 ぐっすり眠っている赤ちゃんとは切り離された俺の『超知覚』で部屋の様子をうかがう。

 部屋には母らしき女性と父らしき男性、それに乳母になる女性と執事と思われる人物。


 —— 時折行われる会話が温かい。

 俺が無事産まれたことをみな喜んでくれているようだ。

 それだけでもう幸せな気分に浸れるちょろい俺。


 乳をもらい、泣き、抱っこされて眠ることが単に繰り返されるだけの至福。

 まだ産まれて三日しか経っていないが、ここに生まれてよかったと心の底から感じていた。


        *


 —— 外が騒がしい。

 俺は『超知覚』で、何やら不穏な外の喧騒にすぐ気付いた。


 しばらくすると、屋敷の廊下をバタバタと慌てて誰かが走る音がする。


 「お前たちは裏庭から逃げろ」男性の声が廊下から聞こえた。父だ。


 「ああ貴方。これは何? 何があったの?」と母。


 「革命が起こったらしい。王都中で多くの市民がそれに加わっている。貴族の屋敷や近衛の詰め所をまず狙っているようだ」


 「そんな! 昨日まではそんな様子全くなかったのに」


 「私もうかつだった。こんな平和な国で、革命が裏で計画されていることに全く気付かなかったとは。ここにも暴徒がもうすぐ押し寄せてくる。もうこの屋敷は諦める。裏庭から外に出て、宮殿に逃げ込むんだ。あそこにはまだ王の近衛が残っているので助けてくれるはずだ」


 「貴方は?」


 「俺は暴徒を鎮めなければならない。暴徒にこのままの勢いで宮殿に迫られるわけにはいかないからな。少しの時間でも足止めする。なあに、俺はこの界隈でも人気のあった貴族さ。俺が出て行って、首謀者と話せばみな冷静に戻ってくれるはずさ」


 そこから二人は近づき少し静かになった。

 体を離したあと「御武運を」と祈る母の声。立ち去る父の足音。


 

 部屋のドアが開き母が入ってきた。

 俺をタオルケットに包み、すぐに部屋を出る。


 しばらくして外気を感じた。産まれてはじめて屋敷の外に出たことになる。外の空気はひんやりとしているが、タオルケットでしっかり包まれているお陰で寒さは感じない。


 俺の『超知覚』をもってしても、怒りに我を忘れた多くの人間が松明のような物を持って大通りを練り歩いては気に入らない建物に火を付けている、そのが全く分からなかった。


 昨日までは街は平和そのものだった。赤ちゃんである俺も『超知覚』で穏やかな街の人々の往来を感じ取っており、幸せな気分に浸っていたのだ。外面でどんなに取り繕っていても、裏で革命が起こりそうな不穏な気配があれば、その刺々しい人間の感情が感じられていたはずだ。


 まして一人や二人ではない、こんなに大勢の人間が怒りに狂った暴徒になるほどの狂気だ。何か間違ったことが起きたに違いない。



 しかし、その理由を考えている時間はなかった。 


 塀の外では大勢の男たちの叫び声と靴音。時折銃の音が聞こえる。

 炎のメラメラとした音と熱とゆらめく光を感じる。近くで火が回っているのだろう。


 どこかで門が壊される音がした。近づいてくる男たちの叫び声と、大きくなる女たちの悲鳴。


 交錯する様々な音。



 —— そして俺は死んだ。



        ◇◆◇◆◇



 また、白い部屋。


 三日ぶりの大人の身体。


 近くに天女がいる。きっと異世界での出来事を見ていたのだろう。


 気配を薄くし無言だが、ずっと俺を見つめているようだ。


 俺はうつぶせになりながら声を上げて泣いた。

 天女は声をかけてはこない。だが、ずっと俺を見つめてくれていた。


        *


 どのくらいの時間経ったのだろうか。


 俺は体を起こした。天女はまだ俺を見ていた。


 「ただいま」と、はにかむ俺。


 「おかえりなさい」と暖かい微笑みを浮かべる天女。



 その瞬間、俺のお腹がぐうっーと鳴った。

 思わず笑ってしまった。悲しくっても腹は減るんだ。


 思い返せば、食事を取ったのは会社で夜に食べたカップラーメンが最後。

 そこから終電まで仕事続け、終電で帰る途中でここに来て、異世界に転生してすぐ死んで、今度は赤ちゃんに転生して三日後に死んで、またここに戻ってくるまで、母乳を飲んだだけで食事を全くしていない。

 赤ちゃんの母乳がどのくらい栄養にカウントされるのかは不明だが、腹が減っているのだ。



 俺は情けない顔で天女を見る。

 天女は諦めたように言った。


 「異世界転生規約第21条3項に『転生者となるものへの過度な便宜供与を禁ず』とあるんだけど、まあ『過度』じゃなきゃいいわね。それに今のあんたは『転生から戻ってきた者』だし」


 誰に向かってだか言い訳をしつつ、腰の巾着に手を入れたと思ったら2つのカップラーメンを取り出した。


 「これ本当は後で自分で食べようと思ってあんたの世界から後生大事に持ってきた秘蔵のカップラーメンなんだからね! 『過度』ではないけど、私にはめっちゃ貴重なんだからね! それ忘れないでよね! これは便宜提供ではなく貸しだから。ちゃんといつかなんかで返してよね」


 

 —— 2人で食べるカップラーメンは、今まで食べたどんなカップラーメンよりおいしかった。




———————————————————

次話『意外な転生』へ続く



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