とある世界:ゴブリンズサイドエディション
俺はそこに立っていた。
月も出ていない真っ暗な夜。
が、辺りは一面の炎に包まれていて昼のように明るい。
どこかの村のようだ。
村の中から悲鳴が聞こえる。
見覚えのある光景だ。
定かではないが、どこかで俺はこれと似た光景を目にしたことがあるはずだ。
助けに行かねば。俺の中で衝動が湧き起こる。
その時後ろから興奮した男の感情を抑えきれない低い声が聞こえた。
「これでみんなを救えるぞ! よし、行くぞ! 奴らをひとり残らず屠るんだ!」
俺は振り返った。
ゴブリンだ。なぜゴブリンがここにいる?
—— 違う、間違っているのは俺だ。俺もゴブリンだ。
まわりには大勢のゴブリンがひしめき合っている。みな棍棒を持っている。
高鳴っているのか口からうなり声がこらえきれずに小さく漏れる。
俺の手を見る。
緑色のゴツゴツした大きな手。そして俺の手にも棍棒が握られていた。
「行くぞ!!!!」
「「「「「「ウゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」」」」」」
リーダーの咆号に合わせて一斉に丘を下る。目指すは村の入口。
俺も一緒に走った。まだ何が起きているのか飲み込めていない。
ただ、目の前にある炎上している村は、俺が何故か見覚えのある人間の村ということだけ。
逃げ惑う人々。それを襲うゴブリン。
蹂躙。
村を一望できる高い櫓にもゴブリンたちの姿。
弓矢を構え、眼下に逃げ惑う人間を射殺している。
櫓には指揮官のようなゴブリンもおり、下界の状況を見ながら的確に指示を出す。
指示通りに地上のゴブリンたちが動く。逃げ惑う人間がひとり、またひとりと袋小路に追い詰められて殴り殺される。
全ての建物に火が放たれ、紅蓮の炎をあげている。もはや屋内に隠れる場所はない。
顔に覚えのある
—— まさか、あのときの⁈
信じられないものを見て頭がまだ混乱している。
彼らはすぐ曲がって路地に入り、姿が隠れた。
俺も見失ってはいけない気がして、すぐに後を追った。
彼らの声が遠くながら聞こえた。
逼迫した状況の中でオスが一緒にいる仲間に指示を出しているようだ。
彼らにちょっとした空白の時間があったのだろう。追いつくことができた。
メスの手には10歳くらいの
ガキは先程まではいなかった。逃げる途中で拾ったのだろう。それで俺が追いつけたのか。
『—— あれは俺だ』
間違いない。鮮明に記憶が残っている。
俺はこの後角を曲がる時に足をちょっと滑らせて、メスに引っ張って助けてもらうはずだ。
ほら、助けられた。
逃げようとした経路にゴブリンが占領している櫓があって、突破できないことを悟るはず。
オスは急に止まり、踵を返して違う方向に逃げた。
俺は彼らが逃げる先を知っている。
彼らは敵を撒くために、いくつかの小路をジグザクに走るが、目的地点を俺は覚えている。
村の中央の小さな共同裏庭だ。
*
先回りした俺は、裏庭に待ち構えるひとりのゴブリンを見つけた。
「おい、作戦はうまく行ってるか?」
裏庭にいたゴブリンが心配そうに俺に尋ねた。
「オレはここの持ち場から離れられねえから様子が知りてえんだ。これが失敗したらみんなを助けられねえ」
俺はどう答えるのが正解かわからずに言いよどんだ。
「おい、お前見慣れない顔だな。オレは作戦が成功してるか失敗してるか聞いてんだぞ」
「襲撃はうまくいっている。村の櫓も俺たちが抑えた。外に逃げ出すこともできない。人間はもうほとんど生き残っていない」
俺は答えた。安堵する表情を浮かべるゴブリン。
「では、まもなくオレたちも村に帰れるな。全員無事に帰らねえと、心配するやつがいて面倒だからな」
ゴブリンは首にぶら下げた魔除けのようなペンダントを手に取り、つぶやく。
やばい、ここにはあと一分ほどで人間の三匹が来る。
俺たちと人間が鉢合わせしたら、戦いは避けられそうにない。
このゴブリンは間違いなく強い。
人間たちは彼に見つかれば瞬く間に殴り殺されるだろう。
俺はいまの俺がゴブリンであることも忘れ、俺に背を向けて無警戒な彼をありったけの力を込めて棍棒で殴った。
信じられない、といった顔で俺を見て倒れるゴブリン。
ゴブリンはそれっきり動かなくなった。
俺は躊躇せずにゴブリンの死骸を路地裏に引っ張り、どこからも見えないように隠した。
俺も路地裏に隠れる。
直後に人間のオス、メスと子供が広場に現れた。
「ここの井戸に隠れるんだ。さあ早く」
オスが子供に小声で叫ぶ。
メスが子供をすばやく持ち上げて井戸に落とした。
「絶対に音を出しちゃダメよ」
メスは井戸に朽ちかけた木蓋を被せた。
全て記憶にある通り。
違うのは俺が人間の子供としてではなくゴブリンとしてここで一部始終を見ていることだけ。
そして、その後の結果も知っている。
子供を井戸に隠し終えたところで路地からゴブリンたちが現れる。
逃げようとする人間は別の路地からも現れたゴブリンを見て戦うことを選ぶ。
なるべく井戸から遠ざかるように戦っているのがここからはよく見える。
俺が潜む井戸にゴブリンを近づかせないようにしているのだ。
そんな彼らを、俺は二度見殺しにした。
一度は井戸の中で震えていた臆病な子供として。
そしてもう一度はいきり立った同胞たちの前に出て人間をかばうこともできずに路地の陰から一部始終を見ていた臆病なゴブリンとして。
しばらくして戦いは静かになった。
オスとメスは地面に伏したまま、もう起き上がってこない。
「「「「ウギギギギギ!!!!!!」」」」
ゴブリンたちの歓声。棍棒を地面に叩きつけて喜んでいる。
しばらく周りの気配を確認し、他に人間がいないか睨め回すように探していたゴブリンだったが、すぐこのあたりまで炎が迫ってきたことから、諦めてこの場を去った。
俺はゴブリンがいなくなったことを確認したのち、井戸のそばまで来た。
周りに注意を払いながら、井戸を見ずに声をかける。
「しーっ、声を出さないで」
「……」
「ここにいれば君は安全だ。俺が保証する。朝までここで待つんだ」
井戸から何も音はしない。しかし子供にちゃんと伝わっていると確信していた。
子供は井戸の中で震えて朝まで隠れているはずだ。
俺が何もしなくてももう大丈夫。
俺は路地裏に戻り、俺が殺してしまったゴブリンを見た。
まだ信じられないという顔をしている。俺を睨んでいるようだ。
俺は手を添えてゴブリンのまぶたを閉じた。
胸にある魔除けのネックレスが周りの炎を反射して赤く煌めいていた。
俺が殺したゴブリンを残し、その場から静かに立ち去った。
*
路地を抜けて表側に出ると、何人ものゴブリンが家々を捜索していた。
まだ生き残った人間がいないか探しているようだ。
「お前の方はどうだ?」
ひとりのゴブリンが俺に尋ねる。
「全員殺した。あっちにはもうひとりも人間はいない」
安心した顔のゴブリン。
櫓の上にいた指揮官らしきゴブリンがゆっくりとゴブリンの集団のところに歩いてきた。
まわりのゴブリンが道を開け、敬意を払う。
人間が残っていないか、最後の見回りをしていたゴブリンたちも同じく集合したようだ。
「オレたちの勝利だ!これで取り戻すことができる。村に帰るぞ!」
指揮官は大声でそう宣言した。
一斉に咆号するゴブリンたち。
そして帰路についた。
俺は一瞬迷いながらも、ゴブリンたちについていった。
*
半日ほど歩き、砦のような場所についた。帰還をを大きな声で告げると、内側から門が開く。
人間の村よりもずっと強固な造り。
ここがゴブリンの村のようだ。
村に残っていた女のゴブリンたちが総出で出迎えてくれた。
女は戻ってきたゴブリンたちに次々に感謝の言葉をかける。
司令官は村の長だった。
戦いから戻ったゴブリンは血と埃と火の粉で汚れていた。
戦闘着から普段着に着替えるため、しばし各人のねぐらに戻った。
すぐに大広間に皆集まるように声がかかった。
村の長から事の次第を聞く段取りのようだ。
ひとりの女のゴブリンがみんなが戻ったあとも村の門のところで佇んでいるのが目に入った。
他のゴブリンに肩を抱かれ慰められるが、まだ諦められないというように首を振る。
知り合いが帰ってこないのだろうか。
しばらくして門からはなれて屋敷の方角を向いた彼女。その首からぶら下がっている魔除けのネックレス。
『俺が殺したゴブリンと同じものだ』
俺は直感した。彼女は俺が殺したゴブリンの恋人だった、と。
殺す前にゴブリンが『帰らないと心配するやつが村にいる』と言っていた。彼女のことなのだろう。
俺は彼女から隠れるようにその場を後にして大広間に向かった。
*
大広間には大勢のゴブリンが車座になっていた。
異様な興奮に包まれている。
村の長が中央に立った。
「オレたちは勝利した!」
叫ぶ長。言葉にならない大声を発するゴブリンたち。
「だがまだだ!オレたちの仲間を取り戻すまでは終わりではない!」
村の長はよく通る声で指示を出した。
「これから仲間を取り戻しに行く。三十人ほど俺について来い。残ったものは村の警護を頼む」
*
出発の準備が整えられるまでの間、しばしの休憩となった。
俺の顔を誰も知らないことや事情に疎いことを逆手に取って、俺は他のゴブリンの村から志願して参戦してきた有志としてみなに認知してもらった。
ゴブリンたちから情報を引き出す。ゴブリンはわざわざ志願してこの村を助けに来た有志に好意的で、いろいろ教えてくれた。
*
ゴブリンは人間たちに脅されていた。
数日前ゴブリンの村を謎の集団が襲い、村から女子供を大勢攫っていったという。
そいつらは非常に強く、助けにいったゴブリンはみな返り討ちにあい、無惨にも殺された。
その人間たちは言った。
「三日後までに東にある人間の村を襲い皆殺しにしろ。そうすればこいつらは返してやる」と。
ゴブリンは通常人間を襲わない。アニメの世界でのゴブリンは頭が悪く残忍に描かれるが、実際のゴブリンはたいてい平和に暮らしている。
人の村を理由もなく襲うことに躊躇したゴブリンの長は、誘拐団が根城にしているという場所を尋ね、説得しようとした。
人間たちは柵から殺したゴブリンの女子供を放り投げ言った。
「期限は三日だ。それまでに人間の村を根絶やしにしなければ全て殺す。どうするのかよく考えろ」
ゴブリンは人間の村を襲うことにした。そして実行した。
餌がなくなったり人に襲われたときなど、何らかの理由で種族を守る必要が出たときに、彼らはバーサーカーとなり、悪鬼のようなゴブリンとなる。
今回も彼らは誘拐された仲間を助けるためにバーサーカーとなり、人の村を襲った。
*
誘拐団との約束は果たした。
しかし卑劣な誘拐団が素直に約束を守るとも考えていなかった。
再びゴブリンの長は人間の根城を訪ねた。誘拐団が約束を破った場合はバーサーカーとなり、刺し違えてでもみなを取り戻す覚悟だった。
腕に覚えのあるゴブリンが彼についてきていた。ゴブリンの長ひとり死地に赴かせる訳にはいかない。
俺もついていった。
*
「約束は果たした。みなを解放してもらおう」
誘拐団の根城の前で長が言った。
根城から人間の男の声が返ってきた。男はゴブリンの言葉を話した。向こうにはゴブリンの言葉を使える人間がいるらしい。
「お前たちは約束を違えた。俺は『根絶やしにしろ』と言ったはずだ。ガキがひとり生き残っていたそうだぞ」
ゴブリンたちがざわつく。
俺のことだ。俺が井戸に隠れて生き残ったことを言っているんだ。
「あのガキはここで殺さないといけないターゲットだった」
俺を知っているのか? こいつ。
「つまり、そういうことだ。わかるよな、その意味が」
ゴブリンたちが固唾を飲んだ。
「ギギギギーーーー」根城の門が開く。
門からゴブリンの女子供が山積みされているのが見えた。みな死んでいる。
長と話していたゴブリン語使いの男が、山の頂きにひとり座っていた。
手に持った長剣を肩に預けて、飽きた子供のようにトントンと肩を叩く。
剣にはべっとりと血糊。
「きィィィィィィい——、さァァァァァァあ——、まァァァァァァあ——!」
怒りで我を忘れるゴブリンの長。
「おっと、そんな悠長なことでいいのか? お前の村がどうなっているかも気が回らんとは」
村の方角を向く。うっすらと炎で明るくなり、黒煙がわいている。
おどろくゴブリンたち。
「今からでも戻って、村を救わないといけないんじゃないか? まあ、もう遅いけど」
戸惑うゴブリンたち。
「それに、お前らはここで一匹残らず俺たちが殺しちゃうんだけどね」
ゴブリンたちを囲むように人間が現れた。
いきなり乱戦が始まる。
*
人間は強かった。
食い扶持に困ったはぐれ者というよりも、きちんと剣技を習った人間がさらに戦場の実践で人を嫌になるほど切って身につけたような戦い方。
最初の一撃でほとんどのゴブリンは重傷を負ったようだ。
俺は這々の体で人間たちの攻撃から逃れる。
彼らは俺が前世で習っていた人間の剣技を使っていたので、彼らの剣筋に少し慣れていた。
「ほう、ゴブリンの中にも剣技を身につけているものがいるとはな」
人間のひとりがつぶやいて目を細めた。絶対にこの獲物は俺が殺す、そう言っている目だ。
誘拐団の副長。他の団員よりもワンランクは上の強さを持っていそうだ。
「ここは捨ててよい! 村の方を頼む!」
ほとんどのゴブリンが切り捨てられた中、かろうじて立っている俺にゴブリンの長が叫ぶ。
俺は間一髪で副長からの斬撃を躱しつつ、機を伺った。俺が背を向けた瞬間にこいつは俺を一刀両断にするだろう。全く隙がない。
その時、大怪我を負って倒れていたゴブリンが副長の顔に手に握っていた砂を投げつけた。
「くっ」
予想していなかった目眩ましに、副長は一瞬目を閉じる。
「今だ!早く逃げろ。村を頼んだぞ!」
俺に村についていろいろと親切に教えてくれた、あの親切なゴブリンだった。
副長は砂が目に入りながらも、一刀でそのゴブリンを切り捨てた。
俺は彼が作ってくれたこの貴重な時間を無駄にせずに、その場を走り去った。
人間たちは深追いしてこなかった。
*
俺はゴブリンの村まで最高速で帰還した。
しかし、村はすでに焼け落ちていた。
俺が殺した男ゴブリンの帰りを待っていただろう恋人の女ゴブリンも殺されていた。
胸の魔除けネックレスが醜く焼けている。
生存者はひとりもいない。火を放つ前に、入念にひとりひとり殺しているようだ。
敵はすでに散っていた。
ここまでするやつらなのか。戦慄が走る。
人間の村もゴブリンの村も単に皆殺しにしただけで、略奪もしていない。
誘拐団には手間の割には何の見返りもなかったはずだ。
いったい彼らは何のためにこんなことをしているんだ。
踵を返し、人間の根城に戻る。
根城の前には無残に切り刻まれたゴブリン長たちの姿。ここにも生存者は残っていなかった。
人間は根城の中でゴブリンたちの遺体を前に、陽気に酒盛りをしていた。
「よし、火をつけろ。ようやくこの臭い場所での仕事も終わる」
リーダーの男が松明をもって叫んだ。
次々に火が放たれ、根城もゴブリンも瞬く間に炎に包まれた。
炎に煌々と照らされるリーダーの顔。
見覚えがあった。どこかで見たはずだ、どこだったか……
「ラークシャサ殿、どうされましたか?」と副長。
森の暗闇を用心するような細い目で舐め回していた、ラークシャサと呼ばれたその男は視線を副長に戻した。
「なんでもない。行こう」
*
人間たちはもう出発の準備を済ませたようだ。
次々に奇声を上げて根城を後にする。
よし、俺もこいつらのあとをつけて魂胆を暴こう。
そう考えて行動に移そうとしたその瞬間、突然背中に激痛が走った。
「やはりお前だったか。用心はしておくものだな」
残虐なラークシャサの声。
ぬかった……
そして、俺は死んだ。
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次話から、とある世界でのアナザーエピソードから元の世界線に戻ります。
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