第18話 落雷令嬢
「——そこからで、届きますか?」
よく通る声は、重たい瞼も一瞬で持ち上げる。
サビオが、思わず顔を上げればそこには堂々とした態度で一枚の紙を王女の前へと差し出すトリエノ・ベンティスカの姿があった。
「これは、
王族の輝かしい歴史を照らしていたはずの陽が傾いた後、この部屋を照らしてくれるのは壁に埋め込まれた魔石たちだ。
シャンデリアも、ランタンも存在しない部屋で魔道具の一つとして機能する魔石は淡い光を放っている。それは蝋燭の光のように頼りなく、美しいアウロラの顔を満足に照らすことは出来ない。
しかし、トリエノの纏うドレスは薄暗い部屋の中でも輝いていた。
彼女のドレスの裾や袖に縫い付けられた魔石のカケラが持つ輝きは、壁に埋め込まれた純粋な魔石よりも強い。昼間に浴びた陽の光を内側に溜め込み、夜になってそれらを放出しているのだ。
この性質は、今から五百年以上前に既に判明しており、〝偉大なるオサ・マジョールが記せし、グリモリオ - 魔石の性質と、その仕組み 25 -〟(全128巻)の1584ページにもきちんと記載されている事実だったが、当然ながらそれに目を付けたのは者はいなかった。
トリエノ・ベンティスカ以外には。
「——アウロラ王女殿下」
トリエノの胸元には、数種類の魔石のカケラを集めたブローチがあった。
それらはそれぞれ異なる色を持ち、吸い込んだ光をそれぞれが持つ色に染め上げて、吐き出している。その輝きは、陽の光に照らされていたアウロラ王女の七色の髪の如き美しさである。
しかし、今のアウロラ王女の髪は、そのブローチにも劣っていた。
夕陽や、魔石の光だけでは彼女の髪を輝かせるには十分ではないのだ。
「これからも王宮の離れで、寝台に寝転がったまま、一生をお過ごしになられる気ですか?」
アウロラが輝く為に必要なのは、陽の光。
だからこそ何者の影に隠れてはならなかった。
「それが貴方の望みですか?」
七色の光に照らされるトリエノは、大きく瞼を持ち上げ、目を見開いた。
その瞳の色は、赤——マルテ・ガラクシアが好んで身に付けたとされる色であり、初めて彼女がアウロラ王女に謁見した日に着ていたドレスの色だった。
*
『それが貴方の望みですか?』
その日、マルテ・ガラクシアはアウロラ王女を見上げながらも同時に見下ろしていた。
我儘なアウロラ・コンステラシオンは、社交界の華となったマルテを王宮に呼びつけると自分をそのサロンに招待しろと迫ったのである。
もちろん、王族との結婚が控えており、いずれはアウロラの義姉となるマルテのサロンにアウロラが参加することは悪くない提案だった。アウロラと親しいことを貴族たちにアピールすることは、マルテの影響力をさらに強めることにもなるし、とある理由で今まで誰のサロンからも招待を受けたことがないアウロラにとってもその存在を社交界に知らしめることが出来る。
お互いにメリットしかない。
しかし、マルテは首を縦に振らなかった。
『本当にそれでいいのですか?』
アウロラは賢かった。
だからこそ彼女はマルテの言葉の真意をすぐに悟り、顔を赤らめた。
『な、なんと無礼な——!!』
アウロラはそう叫んで寝台の上から立ち上がりかけ、それからその足を床につける前にまた寝台に顔を伏せてしまう。押し寄せる感情に上手く身体を動かすことが出来ず、悔し涙を流しながらアウロラは寝台を殴った。
そんなアウロラの姿に同情しながらもマルテは、声を掛ける。
『……そこからでは、何も届きませんよ』
立ち上がらなくては……とマルテはアウロラを励ますつもりで言葉を続けた。
しかし、小さくて愛らしく、魔術の才もあるマルテからの言葉は、アウロラの心には届かない。
アウロラは寝台に顔を伏せたまま嗚咽が漏らした。
『なにも……何も知らないくせに……ッ!!』
うわぁああッ……!!と泣き叫ぶアウロラの髪は七色に輝き、マルテのソル・イーロと見紛うほどの金髪にも負けず劣らず美しかった。
しかし、その美しさを知っている者たちはほんのひと握り——多くの民たちは、アウロラを〝出来損ないの眠り姫〟としか思っていない。
『私だって……私だってぇ……!』
幼い子供のようにジタバタと暴れるアウロラを前にしてマルテはこれ以上何も出来なかった。
その日は、侍女たちに追い出されるように癇癪がおさまらない王女の前から去ると改めてお茶会の招待状を王宮の一角に送った。
噂によるとアウロラはその招待状に寝台から転げ落ちるほど喜んだとされているが——そのお茶会にアウロラが現れることはなかった。
*
「それが貴方の望みですか?」
それは、あの日と全く同じ問い。
しかし、まったく別の意味を持っていた。
トリエノが纏う、マルテとは対照的な青いドレスは、アウロラにも似合うだろう。いや、特別に作らせた寝台でなければその長い手足がはみ出してしまう彼女だからこそ、きっとこのドレスが似合う。
トリエノは、そのことを分かっていた。
「貴方が望むのなら、お力になります」
クイッと顎を引いたトリエノは、マルテ・ガラクシアのサインが入った手紙を突き出しながらアウロラに語り掛ける。
「これは取引です」
トリエノは、決して頭を下げなかった。
お願いもしなかった。
弱々しい態度を見せず、その長身を恥じることなく真っ直ぐと立ち、背筋を正し続けた。そんな堂々とした態度が不敬であると断じられるならば仕方がない。甘んじて受け入れようという覚悟が、トリエノにはあった。
『お前はお前だけのやり方を見つけなくてはならない』
兄に出された宿題に、やっと答えを出すことが出来たトリエノは自信たっぷりに口角を持ち上げる。
相手が誰であろうとも彼女は誰かの影に隠れることはない。例え薄暗い部屋の中でも俯くことはない。むしろ、深い青い染められた夜空だからこそ落雷が引き立つ。
「——どうしますか?」
これこそが、トリエノのやり方だった。
「…………アハハハハハッ!」
トリエノの問いかけに、アウロラは大声を上げて笑い出した。
それから、横たわっていた寝台からその身を起こせばゆっくりと素足を冷たい大理石の床につける。
彼女の足が触れた床に途端、大理石の中に埋まっていた魔石たちが眩い光を放ち始めた。
「——いいでしょう」
ぶわりと風もないのに波打つアウロラの髪は、その内側から白く——次第に七色に輝き始める。
その美しさにトリエノやサビオはもちろん、後ろで控えていた侍女たちも呆然とする。
「その取引に応じます」
棒のように細い両足で立ち上がったアウロラは、よろめきながらも一歩ずつ進んでいく。
慌てて筆頭侍女であるオルテンシアが飛び出して王女を支えようとしたがアウロラは、その手を借りなかった。深く息を吐き出しながら両手を広げてバランスを取り、辿々しくしか動かない両足の代わりに魔術で身体を支える。
「気に入ったわ、トリエノ・ベンティスカ」
トリエノの前まで降りてきたアウロラは、彼女と変わらぬ目線で子爵令嬢のことを睨み付けるとその手の中にある手紙を奪い取った。
「いいえ、貴方のことはこう呼びましょう」
そして、トリエノ・ベンティスカの顔を覗き込みながらアウロラ・コンステラシオンは意地悪そうな笑みを浮かべる。
「——
美しいオーロラが覆う夜空を、稲妻が横切った。
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