第17話 邂逅
ひとりの子爵令嬢とその御付きを乗せた馬車が辿り着いた王宮は、それはもう見事なところだった。
庭園には色とりどりの季節の花が咲き乱れ、その中央には巨大な噴水と、そこからぐるりと庭を一周する水路がある。
また白を基調としながらも魔石を至る所に散りばめられた宮殿はコンステラシオンの豊かさを象徴し、トリエノがどんなに手を伸ばしても何度飛び跳ねても決して届かぬ天井にはコンステラシオン王室の華々しい歴史がステンドグラスに描かれ、通りすがる柱の一本一本にコンステラシオンの建国に携わったとされる神々の彫刻が施されていた。
もちろん、彼らの瞳にも魔石が嵌められており、王宮の一角にある王女の元へと向かう客人に文字通りその目を光らせている。
サビオがちらりと横に視線を逃せば、戦の神に睨みつけられた。
(こ……怖いよぉ……!!)
その厳しい視線に、サビオは先ほどやっと治まったはずの吐き気を再び思い出す。
王宮に向かう為の馬車は、ベンティスカの屋敷から山を越え、谷を越え、そして空を越えて王宮の前まで辿り着いた。こんな豪華な馬車に乗ったことがないと最初こそはしゃいでいたサビオも突然の浮遊感に襲われた途端に怯え、窓の外の景色を覗いて驚いた。
自分たちが乗っている馬車が地ではなく、空を駆けていたからである。
もちろん、サビオは空を飛ぶ馬車も乗ったことがない。
『お、おええええッ…………!!』
『さ……サビオ、大丈夫ですの!?』
空馬車酔いをしてしまったサビオは、トリエノの看病によってなんとか吐瀉物を撒き散らすことは防いだが、王宮に着いた後も緊張でずっと吐きそうだった。
この香りで何とか凌いで……とトリエノが渡してくれたナラハンハの香りがするハンカチがなければ、この美しい大理石の床をサビオは汚してしまっていただろう。そして今度は牢番としてではなく、罪人として刑務所行きになっていたはずだ。
それを防いでくれたトリエノに、サビオはいくら感謝しても感謝し足りなかった。
(本当に……なんてお優しいお方なんだ……)
そうしてうるうると目を潤ませるサビオの近くに、もしもマルテが居たら「そもそもお前を無理矢理王宮に連れてきたのは、トリエノではなくって!?」と突っ込んでくれたのだろうが、残念ながらこの場にはトリエノと、そのトリエノを王女の元へと案内する宮廷役人しかいない。
マルテは牢の中で小さなくしゃみをするだけに留まった。
「へっくち……! あぁ……もう、寒い日はいつもこれよ……」
牢番から差し入れられた毛布に包まれたマルテは、牢にある小さな窓から空を見上げた。
少しずつ傾いていく陽に目を細めながら彼女は幼馴染のことを想う。
「……本当に、上手くいくのかしら?」
トリエノと再会した日、彼女が残していった置き土産に気付いたマルテはこの日の為に手紙を送った。それは無事にトリエノの元に届き、彼女が王女に謁見するにあたっての準備を整える為に活用された。
王宮でのマナーに、見劣りしないドレス。そして——最後の切り札。
「まあ、信じるしかないわね……」
マルテは穏やかな笑みを浮かべながらも、万が一トリエノが自分と同じように刑務所へと送られた際には、隣の牢に入れるように交渉してみようと考えていた。
一方、その頃——トリエノたちはようやく王女殿下がおわす、王宮の離れに辿り着いた。
入口からここまで来るまでで、既に町ひとつ分を横断したかのような疲労感がトリエノとサビオの二人を襲うが、問題はここからであった。
「……随分と大きい令嬢だこと」
アウロラ王女の前でつつがなく挨拶を済ませたトリエノであったが、彼女は王族の前で起立せずに着席したままでよいという祖父が与えられた特権を無視して立ち上がればその高い背丈で王女を見下ろした。
それに対して、王女はトリエノが控えるところから数段上に置かれた寝台に寝転がったまま口元に閉じた扇子の先を当てると眉を顰める。
(い、一体……何が起きてるんだ……)
サビオは、トリエノの後ろで膝を折り、顔を伏せたまま大理石の床越しに二人の姿を固唾を飲んで見守っていた。
子爵家の使用人であるサビオは、本来ならば王族との謁見が叶わない身分であるが故に決してその瞳に王族の姿を直接映してはいけなかった。
だからこうして頭を下げ続け、磨き上げられた床に映っている二人の姿を眺めているのだが——そんな彼の身に異変が起こった。
「……そういえば、貴方のことを何度か見かけたことがあるわ」
おっとりとしたアウロラ王女の声が部屋の中に響き渡ると共に、サビオの頭の上に重たい泥が落ちてくるような感覚を覚えた。
(これは……なんだ……?)
首の後ろからつむじにかけてドロドロと広がっていく感覚は、次第にサビオの意識を包み込む。
「マルテ嬢のサロンにいつも参加されていた方よね……?」
「ご存じ頂き、大変光栄でございます……」
確かに二人の声がサビオの耳にも届いているのだが、少しずつ遠のいていくのだ。
まるで自分が水の中へと沈められていくように彼女たちの声がサビオにはくぐもって聞こえる。
「背中を丸めていても他の令嬢たちより頭一つ出ていたでしょう……きちんと立ち上がったらどれほど高くなるのか、ずっと考えていたの……」
「さようでございますか……」
「ええ、想像していたよりも随分と高くて驚いたわ……」
バサリと開いた扇子で口元を覆いながらクスクスと笑うアウロラの声はとても可愛らしいが、サビオはもうその声を聞いていられなかった。彼女の声こそが、頭の上に伸し掛かる泥を生み出しているのだと気付いた時にはもう遅い。
こっくりこっくりと頭を揺らして船を漕ぎ始めたサビオは、そのまま夢の世界へと渡る為にその意識と共に現実という港を出てしまった。
「——そこからで、届きますか?」
深い眠りに飲まれていたサビオが目覚めさせたのは、王宮の一角に落ちた雷だった。
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