第12話 嫡男

 それから一週間ほど、トリエノは書庫にこもった。


 といっても、王立図書館にも収められていないような貴重な本が揃っているオサ・マジョールの魔術書庫の中は時間の経過が外とは異なる為に、トリエノがその部屋で一週間過ごしたところで外に出れば一日しか経っていなかったのだから驚きである。



「大変だったのは私たちと、料理人たちです」

「はぁ……」



 アコニトは、この一週間ずっと使われなかったトリエノのベッドを整えながらサビオに愚痴を垂れる。


 時間の流れが異なるせいで外から食事を運び込むタイミングも色々と難しい。一日に二十一食もの料理を作らなくてはならなかったベンティスカ家の料理人たちと、それを決まった時間に運び続けたアコニトの活躍のお陰でトリエノはもちろん、サビオも餓死せずに済んだ。


 だが、トリエノに至ってはアコニトが無理矢理本を取り上げて食事の時間にきちんと食べ物を食べさせなければ食事を摂るという行為ごと忘れてしまうので、それはもう愚痴を垂れても仕方がないほど大変なことだったのだ。



「旦那様も奥様も……あれにはお困りになったでしょうね」

「はははは……」



 幼い娘が乳母の目を盗んで屋敷から姿を消したと思ったら、腹の虫が泣き叫んでいることにも気付かずに無心で本のページを捲り続けている姿を目の当たりにした時のトリエノの両親の心境を想像して、サビオは身震いをした。


 彼女から書庫という場所と、本という友人を取り上げたことは決して良いことだったとは言えないが、娘を生かす為に彼らが考えた苦肉の策だったのかもしれない。恵まれた環境を生まれ持つ貴族と言えど、トリエノのような不思議な子を育てることは大変なことだったのだろう。



「それで、旦那様と奥様は書庫の鍵をラファガ様にお預けに?」



 サビオは、ラファガがトリエノの為に書庫の鍵を持ち帰ってきたことに関してアコニトに問う。


 しかし、アコニトは古いシーツを畳みながら静かに首を横に振った。



「いいえ、あの鍵は一度質に流れました」

「質に!?」



 あまりにも意外な返答にサビオは抱えていた花瓶を床に落としかけたが、なんとかギリギリのところで掴み直す。


 一方でアコニトはそんなサビオの慌てっぷりに動じることはなく、畳み終わったシーツを白い袋の中に放り込んだ。

 


 聞くところによると白色魔石の名産であるベンティスカ所領地・リブラにおいてその発掘量が著しく低下した年があり、困窮した二代目ベンティスカ子爵がこの屋敷にある骨董品をいくつか売り払ったり質に入れたりなどして凌いだことがあったそうだ。


 そこで魔術書庫の鍵もその魔術骨董的価値を鑑みて一時的に質に預けられていたのだが、ベンティスカ子爵がすっかりそのことを忘れてしまい、鍵が流れてしまった。



 それを知ったトリエノは兄にその行方を追って出来れば取り返して欲しいと頼み込んだ。



「ラファガ様が鍵を見つけたんですか!?」

「ええ、どこかの令嬢がその鍵をお持ちで、事情をお話しして譲って頂いたとか」



 アコニトの話を聞いてサビオは瞬きを数回繰り返した。


 王都にある屋敷の玄関ホールで、仰々しい言動を繰り返し、頭を下げた妹を嗜めたラファガ——。



『それは、私のやり方だ』



 妹と比べ、随分と小柄な体格と、その甘い顔を使った〝やり方〟とは一体どんなものだったのか、サビオは想像する。それは本来貴族にとってはとても難しい方法であるだろうと推測できた。


 しかし、ラファガにとってはそれが〝彼のやり方〟なのだ。


 無駄なプライドは捨てて、成し遂げるべき目的のためならばどんな〝役〟でも演じて見せる。



「……もしかして、ラファガ様って優秀なのでは?」

「家督を継ぐのは向いてらっしゃらないかもしれないけれど、そうですね」



 後継者教育から逃げ回ってばかりの、ラファガの顔を思い出しながらアコニトは頷いた。


 サビオはその瞳を憧れに浸し、キラキラと輝かせているが、問題なのはラファガがベンティスカ家の嫡男であるにも関わらずちっとも家督を継ぎたがらないところだった。



『僕はいいさ、トリエノが継ぎたかったら継がせたらいい』



 そう言って両親の期待からスルリと身をかわすラファガ——だが、例えトリエノが家督を継ぎたいと言い出してもおそらく彼女の願いが叶うことはない。



(残酷なことを仰る人……)



 気楽にそんなことを口にするラファガを、アコニトは冷ややかな目で見つめていた。

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