第11話 書庫

「うわぁあああ……!!」



 サビオは目の前の光景に感嘆の声を上げる。


 ぐるりと丸く部屋を取り囲んだ本棚はもちろんのこと、空中に浮かんだいくつものランタンが温かい光で大量の本の背表紙を照らしている様子は、あまりにも幻想的だ。


 王立図書館や、アカデミーある〝魔術師の図書館〟も立派なものであるのだが、ここまで見事な魔術書庫は他に現存していない。たった一度も〝魔術師の図書館〟と呼ばれるものを見たことがないサビオにとって、これが忘れられない光景の一つになるのも、当たり前のことだった。



「私の記憶が正しければ……この辺りにオサ・マジョールの自伝があったはず……」



 オサ・マジョールについて知りたいと言っていたサビオのためにトリエノは彼の自伝が置かれているはずである書架に近寄っていく。そんな彼女にいくつかのランタンがふわりと浮かぶ高さを変えてついていく。


 まるで久々の来訪者を歓迎するかのような彼らの動きに、トリエノは微笑んだ。



 *



 彼女がこの書庫に足を踏み入れるのはおよそ十二年ぶりだった。


 幼い頃は、日がな一日中——それこそ時間の感覚を失うくらいずっとこの書庫に閉じこもって、本を読み耽っていたトリエノだったが、そのせいで歳近い友人もおらず、アカデミーにも通いたがらなくなってしまった。


 そこで両親は、書庫の扉を開ける為の鍵をトリエノから無理矢理取り上げてしまったのだ。



『いいですか、トリエノ——目立たない為にも、必要以上に知識を身に付けてはいけません。いいですね?』



 開かなくなってしまった扉の前で泣き叫ぶトリエノを必死に取り押さえる父と、そんなトリエノに淑女としての心構えを言い聞かせる母——。


 どちらも彼らなりに娘を愛していたし、こうしてトリエノが外へ出るしかなくなったことで幼馴染であるマルテとも出会うことが出来たのであるが、それでも当時のトリエノにとって書庫への入り口を閉ざされることは希望を奪われることに等しかった。


 書庫の床に寝転がりながら、本のページを捲っているときだけはトリエノは自らが何者かということを忘れることが出来たからだ。



 トリエノ・ベンティスカ——ベンティスカ子爵家の令嬢にして、偉大なる祖父・チャパロンの血を濃く受け継いでしまった哀れな子。



 ぐんぐんと伸びていく手足と、呪われたかのように一切の光を通さない黒髪、そして鏡を覗く度に死にたくなるほど醜い顔——去年の誕生日に買ってもらった、薄桃色のドレスはもう似合わない。目立たず、地味な色の布を巻き付けられ、これ以上大きくなりませんように……と小柄な両親に願われる日々。



 幼いトリエノにとって現実はあまりにも悲惨なもので、マルテという新しい光が彼女の前に現れるまでは、この書庫にある本たちが彼女の心を支える友人だった。



 *



(……久しぶりね)



 旧友たちとの再会に、トリエノは彼らの背表紙を優しく撫でながら微笑んだ。それから一冊の本を手に取ると辺りをキョロキョロと見回しているサビオの元へと向かう。



「ほら、こちらよ……」

「わっ、トリエノ様……!!」



 ヌッと死角から覗き込んでしまう癖が抜けないトリエノであったが、飲み込みが早いサビオはもうそれほど驚くこともない。


 彼はトリエノに何度も頭を下げるとオサ・マジョールの自伝を受け取った。辞書かと思うほど分厚い本をサビオが両手で抱えた姿を見てトリエノは満足そうに頷く。



「……あ、そういえばサビオは古代アストロノミア語は読めて——」



 読書を始めようとするサビオから離れようとしたトリエノは、ふとその自伝の一部が古代語で書かれていたことを思い出した。



 古代アストロノミア語は、古代アストロノミアで使われていた言語でコンステラシオン語の源流でもあったが、それを読むことが出来る平民はほとんどおらず、古代アストロノミアが滅びてから二千年近く経っている現在では貴族ですらアカデミーできちんと学ばなければ読むことは出来ない。



 だからこそ王立刑務所の牢番を務めていたサビオが果たして古代語を読み解くことが出来るか、トリエノは心配したのだが——彼女はその問いを最後まで言い切ることは出来なかった。


 

「……………………」



 サビオは、その場で自伝を開くと1ページ目から食い入るように眺めていた。



 あっという間に本の世界へと誘われてしまったらしい新しい使用人にトリエノはクスリと笑う。



 そして、彼女は「せめて座って読みなさい」と立ったままのサビオの背中を押して、椅子がある場所まで導いたのだった。

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