第8話 血統

 代わりに話し始めたのは、ベンティスカ家の血統についてだ。



「……チャパロン様は、この国の生まれではないのですか?」

「正確に言えば違います」



 アコニトは、チャパロンが他国からコンステラシオンに渡ってきた移民の一人であるとサビオに説明した。



 チャパロンが幼少期を過ごしたのは、コンステラシオンからして北方に位置するセリオン帝国だった。


 チャパロンの母は、コンステラシオンからセリオンの貴族の元へと嫁いだが、戦争で夫を失った。その後、チャパロンの兄が、家督を継ぎ、チャパロンに爵位は与えられなかった。帝国の法の下では、チャパロンの父が死没した後にコンステラシオン出身の母から生まれたチャパロンが爵位を得ることは叶わなかったのである。



「それでコンステラシオンに……」

「そうです」



 アコニトは、サビオの隣で肖像画を見上げる。



「大旦那様は、自らの血の力を活かせるコンステラシオンに渡るとその手腕を遺憾なく発揮されました」



 爵位を授かるまでは多くの魔道具の生産に携わり、その偉業が王室に認められて子爵として認められてからは領地経営にも積極的に勤しんだ——その結果、子爵の地位には収まりきれぬほどの富と名声と栄光を手にした。



「大旦那様は正式な場においても王族の前で着帽と着席を許されました」



 アコニトが自慢げに微笑むが、サビオはいまいちピンと来ていない。



「それは……凄いことなんですか……??」

「……本来ならば、伯爵以上のものにしか与えられない特権です」

「ほ、ほぁ〜〜〜〜!?」



 アコニトによる簡潔な説明でようやくチャパロンの凄さを理解したのか、サビオは口をカパッと開いたまま間抜けな声を出す。


 それを横から眺めるアコニトは「だからそうして口を開いたままにするのは——」と嗜めようとしたが、最後まで言い切る前にこちらへ近付いてくる気配に気付いた。



「とても立派なお祖父様だったけど……コンステラシオンにおいて重要なのは、その血統の歴史……」



 じっとりと湿った声にサビオが勢いよく振り返れば、広い廊下の真ん中に長い髪を振り乱した女がニヤッと微笑みながら立っている。



「つまり、ベンティスカ家もコンステラシオンにおいては所詮は新興貴族というわけね……」



 自嘲気味に口元を歪ませる女性を前にして、アコニトはエプロンドレスの裾を摘んで一礼する。


 それから、彼女の皮肉めいた言い回しに言い返した。



「子爵家においてこの特権を持ち続けているのはベンティスカ家のみです」

「王族の前に出ることも滅多にないのに?もはや必要のない特権だわ」

「これからあるかもしれませんよ」

「あら、では一体誰が王宮に呼ばれる予定なのかしら……」



 なんとしてでもチャパロン・ベンティエスカの栄光を否定したくないアコニトに対して、その血を受け継ぐ孫は実に冷静に自らに与えられた特権について語る。



「お祖父様が立派過ぎるあまりにお父様は中央から遠ざけられた……いまや、ベンティエスカを支えているのは過去の栄光のみ……」



 彼女は、不機嫌そうな表情を浮かべるアコニト、と口を開けっ放しにしたままのサビオの間に立つと肖像画を見上げる。


 絵画の中にいるほとんどの貴族を彼女は見下ろすことが出来たが、唯一チャパロンだけはそれが叶わない。



「せめてお兄様がもう少しマトモでいらっしゃったら……」



 憂いを浮かべる令嬢は、乱れた髪を整えて耳の後ろにかけた。するとチャパロンによく似た顔立ちがあらわになる。


 スッと通った鼻筋に、薄い唇。意志が強そうな切長の瞳。全体のバランスは良いが、小柄で幼い顔立ちを好むコンステラシオンにおいては誰もが見上げるほどの背丈と黒々とした髪色も相まって例えお世辞でも美しいとは言われない。



(……トリエノ様は、チャパロン様の血を色濃く受け継がれたのだな…………)



 そんなトリエノ・ベンティスカの横顔を、恍惚とした表情で眺めるのは、あの王立刑務所にて彼女に声を掛けられた元兵士だった。



 トリエノは、彼から放たれる熱い視線に気付くとそちらに顔を向けて、クスッと微笑む。



「賢人は口を閉じている方が似合ってよ?」



 トリエノは、人差し指を立てるとその開きっぱなしの口を咎めるようにサビオの唇に触れた。



「ひゃ……ひゃい……」



 サビオが慌てて口を閉じて頷けば、トリエノは彼に微笑み返した。それからアコニトの方へと視線を向けると兄の行方を尋ねる。



「それで、本当に帰ってくるの?」

「お手紙ではそのように」

「いつ?」

「〝クラベルの花が萎れ、夕陽が傾きかける頃〟とだけ……」



 アコニトがトリエノの兄から届いた手紙の内容を抜粋すると妹は呆れたように目をぐるりと回した。



「どうしてお兄様は、いつもそうなの……」

「恋文はお上手ですよ」

「でしょうとも」



 何の事情もしらないサビオがうっかり最後に口を挟めば、アコニトがジトッ……と新しい使用人のことを睨み付ける。その視線に気まずさを覚えたサビオは〝賢人は口を閉じておく〟という言葉を心の中で何度も繰り返した。



「出来る限り早く来てもらわなくてはいけないのに……」

「いっそのこと鍵を壊すか、王立図書館をあたってみては?」

「前者はともかく、後者では意味がないの」



 しかし、どうしても気になってしまう。


 トリエノが何故兄の到着を心待ちにしているのか、そしてアコニトが壊すことを提案した〝鍵〟とはどこの鍵なのか、王立図書館をあたるとはどういう意味なのか——。



 そうしてサビオが無言でぐるぐると思考を回しているうちに、廊下をバタバタと駆けてくる足音が聞こえてきた。サビオとトリエノが同時にそちらを振り返れば、そこには息を切らしながら叫ぶメイドの姿がある。



「——ラファガ様がお戻りになりました!!」



 その言葉に、トリエノはドレスの裾をたくしあげればいきなり廊下を駆け出した。その後ろ姿はぐんぐんと遠ざかっていく。


 サビオも慌てて彼女の後を追って走り出したが、アコニトはその場から特に動く気はなかった。例え走ってもトリエノの足に追いつくはずがないと思っていたからである。



「……軽食の準備しておかなくては」



 従順で忠実なメイドは、これから先の展開を予測して自分がするべき仕事を思い付くとゆっくりとキッチンに向かって歩き出した。

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