第5話 世界
「……そ、そうは言っても……トリエノ、貴方に何が出来ると言うの……!?」
マルテはトリエノの変化に驚きながらもそんな彼女の発言を憂いた。
自分のせいでトリエノもまで厄介ごとに巻き込まれるのは御免だった。自分がこうなってしまった以上、せめてトリエノだけでも幸せな人生を歩んで欲しいというのが、幼馴染としての願いだったからだ。
しかし、トリエノにとっての幸せはマルテの存在が認められるような世界でなければ、実現しない。
そのためにはまず、この世界を変える必要があった。
「いくらでもありますわ、マルテ様」
トリエノはニッコリと微笑んだ。その笑い方も、マルテによく似ている。彼女の側にずっと控えていたからこそ、トリエノはマルテの仕草が無意識のうちに染みついていた。
トリエノは扇子を口元に当てれば、目を細める。
「……ただし、少々目立ってしまいますけれど」
それもまたマルテが身の程知らずの令嬢を咎める際に浮かべた表情そっくりだったが——トリエノが見下ろしていたのは、ひとりの令嬢だけではない。
この世界だった。
「まずは、ここからマルテ様をお救いしないといけませんね!」
「え、ええ……???」
嬉々とするトリエノに、マルテは何が何やらよく分からなかった。
トリエノが来たら、自分のことはいいから別の影響力のある令嬢に取り入るように色々と指示を出す気であったのに、どうやらトリエノの目標はすっかり変わってしまったようだ。
自分をこの檻から出すことなど出来るはずがない——と思うのに、何故かトリエノなら出来るのではないかと思ってしまう。マルテは、その不思議な感覚に首を傾げる。
そんなマルテの前で、トリエノは長いドレスの裾を翻す。目立たぬように深緑色の生地で特別に作らせたドレスは、むしろ今はトリエノのスタイルの良さを際立たせている。
「それでは早速仕事に着手致しますのでこれにて失礼いたします、マルテ様!」
「仕事って何を……」
「定期的に報告には参りますからね!」
「だから何をする気だと私は尋ねて……」
「次、お会いするときには牢の外で!」
「ちょっと、私の話を聞きなさいよッ!!」
マルテは鉄格子を掴んで、トリエノの背中に向かって叫んだが、トリエノはマルテの方を振り返って無邪気な笑みを浮かべるばかりで何も答えなかった。
「……何を……しようというのよ……?」
そうしてひとり牢の中に取り残されて呆然とするマルテがトリエノの置き土産に気付くまではあと30分ほど掛かるだろう。
「なんなのよぉ〜ッ!?」
それもこれもトリエノにとっては計算の範囲内だった。
*
「さて、また案内してくれるかしら?」
「は、ハイ……!!」
マルテとの話を(一方的に)終えたトリエノに声を掛けられたサビオは、行きと同じようにトリエノのことを刑務所の出口まで案内した。
成長期真っ盛りでまだ小さなサビオと並べば、トリエノの背丈はさらに目立ち、他の兵士たちは遠巻きに彼女のことを眺めてはコソコソと何かを囁き合った。
しかし、上機嫌なトリエノは、彼らの噂話など一切気にしない。そんな鼻歌でも歌い始めそうな横顔をサビオは見上げながら、ボーッと顔を赤らめる。
「それでは……これで!」
地下から地上へとトリエノを導いたサビオは、相変わらずサイズの合っていない兜を脇に抱えて深々と頭を下げた。
これでサビオの仕事は終わり。再びトリエノがマルテの面会に来なければ、サビオと顔を合わせることはない。そのことを残念に思いながらサビオはトリエノのドレスの裾を見ていた。
しかし、トリエノはいつまで経ってもその場から立ち去る気配はない。
「…………トリエノ様?」
全く動かないドレスの裾に首を傾げたサビオがゆっくりとその顔を上げれば、トリエノがその身を屈めてサビオのことを覗き込んでいることに気付いた。
「わっ!?」
小さな悲鳴を上げたサビオは、小突かれたわけでもないのに足をもつれさせて後ろに転げそうになった。至近距離にあるトリエノの顔に、初対面の時とは別の意味で驚いたのである。
しかし、そんなサビオが尻餅をつくことはなかった。
何故なら転ぶ直前、トリエノがサビオの手をしっかりと掴んでいたからである。
「——ねえ、貴方?」
トリエノは微笑む。
それは、マルテによく似た笑みだ。
こういう笑みを浮かべた時のマルテは、周りがアッと驚くようなことをする。それは、その笑みをトリエノが浮かべた場合でも同じことであった。
「私の元で働かない?」
その誘いにサビオは、トリエノに片手でその身体を支えられながら目を見開く。
「…………えっ!?」
驚くサビオに、トリエノはフフッ……と笑いを溢す。
トリエノ・ベンティスカ——彼女は、落雷を由来とするその名に恥じぬような嵐をこの世界に巻き起こそうとしていた。
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