第4話 激情

(あ……あんなに背が高い……令嬢がいるなんて……)



 先程、サビオが彼女を案内していた時も随分と背が高いと思っていたのだが、その時はまだトリエノは背中を丸めていた状態だった。


 トリエノが背筋を伸ばしてしまえば、その頭が天井についてしまうし、もしも牢に入れられたなら身を丸めておかなければ身体が収まりきらないだろう。



 それほどまでにトリエノの背丈は高かった。



 それはもう女性としてずば抜けているだけではなく、このコンステラシオン王国においても滅多に見かけぬ長身だった。



(僕は美しいと思うけれども……この国ではそうではないのだろうな……)



 サビオは、トリエノの丸まった背中を眺めながら唇を噛み締める。



 コンステラシオン王国では男性の背中に隠れられるような小さな女性が美しいとされているため、マルテやアマンテのように大変小柄な女性が尊ばれた。


 それに対してトリエノはむしろ男がその後ろに隠れられるほどの巨人——未だに彼女に婚約者がいないことも納得がいってしまう。



 サビオの言う通り、顔立ちは決して醜いものではなく、むしろ整っている方であろうが、そこに幼さはない。そんな大人びた顔立ちを隠すように伸ばされた黒髪は、これまた男だけではなく人々を遠ざける一因となっていた。




 トリエノ・ベンティスカとの絆を育むことが叶ったのは、恐れも知らぬ賢人——マルテ・ガラクシアのみ。




「トリエノ」



 マルテは、幼馴染を見上げるとそっと小さな手を差し出した。



「これは仕方がないことなのです」



 凛とした口調で続けるマルテは、トリエノを慰めるようにその頬を撫でた。



「私が知らず知らずのうちにペルデ王子をはじめとする王族の方々の恨みを買っていたのでしょう……上手く立ち回っていたつもりですが、そうではなかった……」



 彼女の寂しそうな瞳に、トリエノの顔が映る。



「あの瞬間、湧き上がった激情を抑えきれずに罠にかかってしまった私が悪いのです……」



 マルテは自らを責めて、瞼を閉じた。



「期待してくださったお父様……お母様には、申し訳ないことを……」



 そうして娘が婚約を破棄され、刑務所に送られたことによって立場を悪くしたであろう家族のことを想って、マルテは涙をポロポロと落とした。


 それはトリエノにとって世界一美しい涙であった。




「…………目立ち過ぎてしまったのかもね」




 そんなマルテの言葉にトリエノはハッと目を見開いた。



 誰よりも美しく、堂々としたマルテ——いつでもどこでもトリエノの世界の中心は、マルテ・ガラクシアであった。トリエノが迷子になりそうな時でも、華々しいマルテの姿が視界に入れば彼女についていけばいいのだとトリエノを安心させてくれた。


 誰かの影に隠れてしまえるような小柄なマルテは、〝私は誰の影にもならない〟と言わんばかりに太陽の光をたっぷりと浴びてキラキラと輝く金髪を靡かせながら、人々を——そしてトリエノを導いてくれた。



 そんな彼女が王子や、王妃の影の中でニタニタと笑みを浮かべるような女——アマンテによって闇の中に突き落とされるなんてあってはならない。



 彼女の努力が、人生が、生き様が——この世界に否定されるなど、あり得ない




『…………目立ち過ぎてしまったのかもね』

『目立ってはダメよ、トリエノ——』




 自分に何重にも掛けられた鎖によってマルテが絡め取られる瞬間など、トリエノは見たくなかった。




 だからこそ、この瞬間にトリエノは自分に掛けられた鎖ごと、マルテの自由な心を縛り付けようとしていたものを引きちぎった。






「——それは違いますわ、マルテ様」

「え?」



 今までの地を這うような声ではなく、ハキハキとした聞き取りやすい声がマルテの耳に届く。それはマルテも久々に聞いた——トリエノの本来の声だ。誰からも聞き取りやすく、よく通ってしまう声は、〝目立たぬように〟するには不都合だった。



 しかし、もう関係ない。




「マルテ様の行いを否定するものこそ、間違っているのです」




 スッと音もなく背筋を正したトリエノは、身を屈めることなく一歩引くと美しい立ち姿をマルテの前で披露する。


 その気品溢れる立ち方こそトリエノがマルテから学んだものであった。




「貴方様は、国のため……ご家族のため……そして元婚約者様のために尽力してまいりました……それは正しい行いだったと私は考えております」




 伸びていた前髪を左右に分け、耳の後ろにかけたトリエノはギュッと扇子を握り締めると目を伏せた。


 


「しかし、私だけがそう思っているだけでは足りません……」




 それから深い溜息を吐くと再びその眼を開く。






「——認めさせなければ」






 瞳の色は、燃え上がる炎を思わせるような赤。





「この世界に」





 激情の、赤。



 マルテが大好きな色だった。


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