第3話 疑問

「——おかしいですわ」



 トリエノがその手のひらを床に叩きつけるとブツブツと呟く。



「あのお茶会の時、マルテ様はペルデ王子の婚約者でいらっしゃいました……それにも関わらず皇子と通じたのはアマンテ嬢ではありませんか!」



 アマンテはロシオ男爵家の令嬢ではあるが、ロシオ男爵の実の娘ではない。


 彼女が平民出身であり、その見目の麗しさと、魔術の才能によりロシオ家に養女として迎えられたのは貴族の誰しもが知っている話。


 そんな彼女と、ペルデ王子が婚約したことで平民たちが喜びに湧いたという噂だが、アマンテの性格と振る舞いには問題がある。そもそも当時婚約者であったマルテがいる場において、恐れ多くもペルデ王子と通じようとしたことはあり得ないことだった。



「あんなところで……はしたなくもペルデ王子を誘惑するだなんて……」



 アマンテは、マルテに見られていることを知っていながらペルデを植え込みの影に連れ込んだ。そしてその場に居合わせてしまったらせっかく飲んだばかりの紅茶も全て吐き出してしまいたくなるような、酷い光景を披露したのだ。


 アマンテも、ペルデ王子も、美男美女であるものの、あそこまで醜悪なラブシーンもこの世に二つと存在しないだろう。むしろ、そんな場面を目撃しておきながらアマンテの頬を打とうとしたマルテにトリエノは感服していた。


 彼女はペルデの婚約者としての役目を全うとしていただけだ。

 

 愛しい婚約者に集る蝿を叩き落としていったい何が悪いのか——。



「マルテ様の性格を知っていれば、あのように煽ったらどうなるかアマンテ嬢も分かっていたはず……」

「うるさいわねぇ……」



 思考を止めることなく、ブツブツと呟き続けているトリエノにマルテはわざとらしく咳払いをする。



 マルテは自分が激情家であるという自覚があった。

 

 だから幼い頃からいつも理性的に振る舞えるように訓練していた。


 食事を気に入らないからと言って皿をひっくり返すこともしなければ、シェフを変えるように要求したりもしない。ましてや自らが持つ才能をひけらかし、人前で魔術を使うなんてもってのほか!


 淑女としての振る舞いを続け、使用人たちを労い、無駄な浪費も抑えた。


 その上で影響力のある貴族との交流は欠かさず、王子の婚約者としての相応しい令嬢たるために奔走した。だからこそ彼女が自らが主催したサロンは、社交界にその存在をはっきりと刻み込み、身分が高くて教養に満ちた素晴らしい淑女たちが集う場所として他の貴族から羨望の視線を向けられ続けてきた。


 彼女に憧れる女の子たちの中には、王子の妹君であるアウロラ王女もおり、マルテの主催するお茶会に招待された際には未だかつてないほど喜んだという噂もあるくらい……。    



 とにかくマルテの努力は、短気という欠点を覆い隠すほどに凄まじいものだった。



「どう考えても王室にとってもマルテ様を手放すのは惜しいはず……中央議会における影響力を強めるにはガラクシア家との婚姻が不可欠……アマンテ嬢を婚約者として迎えたからとて、貴族の支持は得られない……ましてや、彼女は貴族ではありながらも平民出身であることが知られている……これは貴族同士の婚姻を基盤とする血統主義が揺らぎかねない……」



 その努力を踏み躙り、アマンテを選んだ王子と、王妃の選択を信じられないトリエノは先程からずっと俯いたまま口を動かし続けている。


 その様子はまるで呪いをかける魔女のようで気味が悪い。



「さっきから床に向かってブツブツと……聞きづらいわ、ちゃんと立ってしっかり物を申しなさい」

「ハ……ハイ!」



 マルテの真っ当な指摘に、トリエノは瞬く間に態度を改めた。ドレスが汚れることも厭わずに折っていた膝と、丸まっていた背筋を伸ばせばポキポキと凄まじい音を立てながらトリエノの背丈はグンッと伸びる。


 その様子を眺めて、マルテは呆然とした。



「顔が……見えないわ……」



 トリエノの頭はマルテの視界から完全に消え、鉄格子から見えるのは首から下のみだった。



「申し訳ございません……」



 トリエノは、マルテに謝りながらキュッと背中を丸めた。それでようやくマルテもトリエノの顔が見られたのであるが、遠くで彼女たちを見守っていたサビオは呆気に取られていた。

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