第2話 叛逆

 それからトリエノが落ち着くまで、30分掛かりました。





「……取り乱して、申し訳ございませんでした」



 深々と頭を下げるトリエノにマルテは呆れながらも彼女を責めるつもりはなかった。



「いいからはしたない真似はおやめなさい……」



 両膝を折り、床に頭を擦り付ける勢いのトリエノを見下ろしながらマルテは「全く見苦しいのだから……」と溜息を吐いた。



「牢にいる私ならともかく何故お前がそこまで追い詰められているのか分からないわ」



 マルテがゆったりと腕を組みながら鉄格子の前を歩くとトリエノは頭を上げ、その問いに答えようとする。



「それはですねぇ——!!」

「キャッ!?」



 しかし、頭を上げるときの勢いが良過ぎたのか振り乱される髪にマルテは悲鳴を上げて後ずさった。


 失礼な態度かと思われるだろうが、遠くから眺めているだけのサビオですらビクッと肩を揺らすほどの挙動だったのだから、目の前に立っているマルテが小さな悲鳴だけで済ませたのは奇跡的なことだと言えた。幼い頃からトリエノと親しんでいたことだけはある。



「……その動きをおやめなさいと言ってるでしょう」

「申し訳ございません……マルテ様しかいないから気が緩んでしまいました……」



 令嬢らしからぬ不可解な動きをするトリエノのことをマルテは昔から面白がっていたものの、人の多いところでその動きは控えるようにと口酸っぱく言い聞かせていた。そのおかしな動きのせいでトリエノが他の令嬢や子息たちから笑われたり、虐められたりしないようにする為だ。


 もしもそんなことがあればマルテは、幼馴染であるトリエノのことを庇うつもりではあった。それでも生まれた時から王族との婚約が決まっているような名家の出であるマルテが、単なる子爵家の娘であるトリエノと必要以上に親しくしているところを見せるのはリスクが大きかった。


 だから社交界ではもちろん、貴族の間でもマルテとトリエノが幼馴染であることを知っている者はほとんどいない。世間的に見ればマルテは王子の婚約者であり、トリエノはその取り巻きに過ぎなかったのだ。


 しかし、こうしてマルテが牢に入れられた後に彼女を尋ねてきたのはトリエノしかいない。


 マルテの取り巻きの中でも最後列にしか並んだことがないトリエノだったが、マルテとの身分を超えた友情は本物だった。



 そう、本物ゆえに——トリエノは、こうしてマルテが刑務所に送られたことについて当人以上に取り乱してしまったのだ。




「あああ……おいたわしいことですわ……王国の光であるマルテ様が……こんな……こんな……迷路みたいな場所にいらっしゃるなんて……!」

「随分とここに辿り着くまで迷ったのね、トリエノ……」



 唇を噛み締めて悔しさをあらわにするトリエノにマルテは苦笑いを浮かべる。


 マルテの言う通り、トリエノはまだ日が昇る前に屋敷を出て、早朝にはここに着いていたはずだというのにマルテの前に現れたのは午後を過ぎてからであった。親切な青年に助けられたお陰でなんとかなったとトリエノはマルテに報告しながらスンスンと鼻を鳴らす。



「マルテ様しかいらっしゃらないのでしたら、一番手前の牢で宜しいのでは?何故わざわざこんな奥に?」

「お黙りなさい」



 トリエノの余計な一言にマルテはピシャリと言ってのけると持っていないはずの扇子で手のひらをパチンと打つフリをする。それはマルテの身に幼い頃から刻み込まれた、淑女としての仕草だった。



「……私だってこうなるとは思いもしなかったわ」



 遠くを見つめるマルテの瞳に、寂しさと虚しさが宿る。



「マルテ様……」



 マルテの横顔を眺めながらトリエノは眉を顰めた。牢に入る前よりも少しばかり痩せた彼女は、本来ならばこんなところに居てはいけない人物であった。



 しかし、こうなってしまったのは全て——彼女の元婚約者であり、この国の王子でもあるペルデ第二王子と、アマンテと呼ばれる平民上がりの美少女のせいであった。





『恥を知りなさいッ!!』


 マルテがアマンテの頬を打とうとして、間違ってペルデの頬を叩いた瞬間、天国のように美しい庭園で開かれたお茶会は地獄へと変わった。


 小さく響いた悲鳴は、アマンテではなくマルテのもので、彼女は赤くなった手のひらとペルデ皇子の頬を見比べてわなわなと唇を震わせた。


『私……そんなつもりでは……』


 王族に手を上げたつもりではなかったとマルテが弁明したところで、その場が収まる気配はなかった。それを目撃していたのは、王室主催のお茶会に出席した貴族全員で、その中にはトリエノも、マルテの母であるガラクシア公爵夫人も含まれていた。


 ガラクシア公爵夫人は娘が頬を赤らめた皇子の前で肩を震わせる姿を見るやいなや駆け出すと王子の前で弁明した。


『殿下——私の娘は、貴方様を心よりお慕いしているからこそ、その後ろにいる娘に感情をあらわにしてしまっただけでございます!』


 マルテがその手を振り上げたのは、貴方の頬を打つ為ではなく、またペルデ王子の後ろに隠れているアマンテに危害を加える為ではなかった……これはただの事故であったと、ガラクシア公爵夫人は繰り返したが、ペルデ王子がその言葉に耳を傾けることはなかった。


 何の騒ぎだと後から現れた国王夫妻にガラクシア公爵夫人は縋ろうとしたものの、彼らは公爵夫人の話よりも息子の話を信じた。それはおそらく王妃であるレイナがマルテよりもアマンテを気に入っていたことが関係するだろう。


 レイナは、扇子を口元に当てるとマルテのことを野蛮と謗り、それからアマンテの肩をこれ見よがしに抱いて見せたのだ。


 多くの貴族の前で。




『アマンテこそがペルデの妻にふさわしい』




 そう宣言された時の、アマンテの微笑みをマルテも、そしてトリエノも忘れることはない。





 それはあまりにも邪悪で、醜悪過ぎた。





 それから数日後——マルテは、ガラクシア家に押し掛けた王族の近衛隊によって取り押さえられ、エンハンブレ王立刑務所に送られた。その罪は、皇族に危害を加えた上に、国家転覆を企んでいたというこじつけにもほどがあるものだった。

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