Extra Record

スタートライン 


 生まれが悪かったという記憶はあまり無い。欲しいと思ったものはだいたいが手に入ったし、嫌味に聞こえるかもしれないが運動も勉強もそれなりに出来ていた。

 いや、そう言えば運動は嫌いなところもあった。特に長距離。あれはだめだ。長距離をいちいち走るのなら動物なり道具を使った方が速い。それこそ、人類の知識を活かすところだろう。それをちまちま短い脚と弱い脚力で駆けていては時間の無駄に等しい。人の生はただでさえ短いというのに、そんなことをしている暇は無いはずだ。よく言うだろう? 何も為さないでいるのに人生はあまりに長い、されど、何かを為すのに人生はあまりにも短いって。

 つまりはそういうことだ。何も為していない俺の人生はあまりに長い。それこそ、長距離走と同じだ。ちまちまと、才能も無いのに親の七光りで得た力の残り滓だけで一日一日を積み重ねて時間を紡いでいる。

 長距離走の嫌いな俺だから、あきらめたくなることは何度とあった。例えば、本気で惚れ込んだ女に有り金全て持っていかれた夜だとか、ふと今までの人生を振り返って自分が父とは対称的に何も為していないと気づいたときだとか。考えればいくらでも出てくる。お前もそうだろう? 死にたくなるとかまではいかなくとも、ふと人生を振り返って焦りを感じる瞬間とか、割とあるんじゃねえか?

 まあ、だとしても俺はまだ死んじゃいない。死にたくなって、死にたくなって、首をくくる直前まで何度も行くが、そのたびに何度も何度も脳裏をよぎる景色がある。 お前の参考になるかは俺には分からねえが、もし仮にお前が死にたくなったときのために俺はこうして続きを書くことにした。

 きれいごとかもしれねえが、こうも言うだろ?

「何事も始めるのに遅過ぎるということはない」って。

 それじゃあ、話の続きだ。


 あれはそうだ、たぶん十歳かそこらの夏の話だ。

 俺の実家は表向きには時計屋だった。といっても小さな時計屋だったがな。そして表向きといったからには当然裏がある。あまり声を大にしては言えねえが、裏向きには魔術師の家。地下にはそれなりの大きさの研究室もあった。といっても、一家共同で使うにはちょいと狭過ぎる場所であったがな。

 まあいったん家の話はこれくらいで置いておこう。先に俺の親についてだ。

 母は三百年続いた魔術師の家の出で、父はその倍は続いた家系。俺はそれをいずれ継ぐことになる彼らの長男だった。

 そうして、話は戻るが俺が十歳の頃の話。

 俺はいつも通りに学校が終わって、親の迎えを待っていた。だが待てど暮らせど一向に来る気配というものが無い。電話をしても出ない上に、魔術で連絡を試みても手ごたえ無し。こいつはどうしたものかと迷った俺はしぶしぶではあったが歩いて帰ることにした。

 片道車で三十分と聞けば距離は言わずもがな、徒歩でかかる時間も想像できるはずだ。それも真夏の乾燥した炎天下の中という最高の条件付き。

 幸いなことに、ここは砂漠じゃない。日差しを遮るものならいくらでもある。そうして日陰を伝って家に向かって歩くこと約二時間。

 このときのことはまだ色濃く思い出せるね。正直言ってあまり思い出したくはないが……。お前がどうかは知らないが、割と過去のことが脳内をよぎるタイプなら分かるだろう? あの懐かしくも、気持ちの悪くなる感覚だ。胸のあたりより頭の中がぐるりと回ってくらくらするやつ。あれはあまり好ましい感覚とは言えないな。後ろ髪を引かれる感覚とも似ているが後悔が無い分、こちらの方がたちが悪い。なにせ、他の物のせいにすることができないんだからな。

 とにかくだ。俺はあのとき、家に帰ってどんな不満をぶちまけてやろうかと考えてた。今思えばもう少し考えることもあったと思うが、それは子供だったからだということにしておこう。そうして、俺は炎天下での長距離歩のゴールについたわけだ。

 だがこうして振り返ってみれば、それはどうやらゴールではなかったらしい。むしろスタートライン。この俺に魔術世界という世界の裏側のレーンを走らせるための起点に過ぎなかった。

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