ビスキュイ事件

 数日後 第二層 カレッジ 共同学部棟


 俺がこの島に来て、数日が経った。最初はアーサーによる授業だけだったが、今日からはオリヴィアとともに普通の授業を受けることになっている。

 そして記念すべき最初の授業。それは、視覚対応論基礎。なるほど、授業名だけじゃ何も予想がつかない。オリヴィアにも尋ねてみたが、知らないとのこと。

俺はこの島に来た時同様、期待半分不安半分で今現在、共同学部の教室で授業が始まるのを待っている。

 教室にいるのは全員でおよそ二十。オリヴィアは俺の隣で眠っている。

 教室はやけに広く、俺達の席は階段状になっていた。

 と、そこに一人の女性が入ってきた。

 黒くパーマのかかった髪の毛、赤淵の眼鏡と緑色の洋服は朝日の差す教室では酷く浮いている。

「皆さん、それではこれより授業を始めます」

 どうやら、その浮いた女性がこの授業の教師らしい。

二十分ほど授業が経過した。前の教壇では後ろにある黒板も用いずに延々と教師が話し続けている。

 教師の名前はトラフ・ビスキュイ。

 彼女の話し方にはどこかこちらを見下しているような節が見られる。どうやら、他の生徒もそれを感じ取ったのか教科書に目を落とす者や仕舞には退席し始める者まで出始めた。

 それだというのに、ビスキュイの話は止まらない。悦に入っているとでもいうのだろうか。私すごいでしょ感がにじみ出ている。聞いていれば、まともなことを言った後には決まって三つほどの自慢話が付属してくる。ここまで三十分。よくもまあそこまで自慢話が出来るものだと、一周回って感心さえしてくる。

 隣を見れば早々に限りをつけたオリヴィアがすやすやと眠っている。それも最前席で。

 そしてさらに時計が進むこと十分。

 少し前からオリヴィアに目をつけていたビスキュイはしびれを切らして感情を露わにした。

「そこ! この私が話しているというのに、何を寝ているのですか! 隣のあなたもあなたです。……起こしなさい。私に対して不敬でしょう」

 ビスキュイは隣にいた俺を指して怒鳴りを上げる。

 後ろからは俺達をクスクスと笑う声と、憐れむかのような視線を感じる。

「オリヴィア、起きて」

 完全に飛び火だろ、と思いながら、俺は隣で眠る少女の肩を叩いた。

 なに? と、彼女は眠た気に目を擦る。そこに再びビスキュイの怒号が飛んできた。

「あなた。学生の分際で、何を寝ているんですか。あなたは私が施す教えをしっかりと受けなさい。これはあなたの義務です。……まったく、血筋といい、その態度。……あなたの親は決定的な失敗をしたわね」

 と、そんな罵倒に対して目を覚ましたオリヴィアは彼女を睨みつける。

「おい、年増。……今、なんて言った?」

「教師になんていう言葉づか――」

 そう言いかけてビスキュイは口を閉じる。

 過ぎたことを言ってしまったと気づいたのなら良いが、どうやらそういうわけではないようだ。

「今、なんて言いやがった。もう一度言ってみろ」

 彼女の怒気に一瞬にして教室が凍り付く。

 今や彼女に先ほどまでの可愛さは残っていない。眠た気だった目は鋭く、僅かに光を帯びている。

「私は正当な——」

 弁明を試みるビスキュイ。

だが、それに対し突如、教室が悲鳴を上げた。両側にあった窓はそのほとんどが砕け、同時に破片など当たるはずもない場所にいたビスキュイの体に裂傷が刻まれていく。

 痛みに壇上でうずくまる教師の目は今や終わりを恐れる獣そのものだ。恐怖に駆られ、怯えている。

 それでもオリヴィアは続ける。

「お前ごときの対応論なんか意味ねぇよ。私が今すぐその腐ったプライドごと叩き折ってやる」

 俺は今にも飛び出しそうなオリヴィアを必死で押さえた。後ろに座っていた数人もそれに協力をしてくれたおかげで、なんとか彼女を抑え込むことが出来、大事にならずに済んだ。

 騒ぎを聞きつけた他の教師達も教室に集まり始め、ビスキュイはそそくさと足早に退散していく。

 それに対し、教室の中には活気が戻っていた。きっと、皆あの教師の自慢話に辟易していたのだろう。何人かの学生が、終止符を打ったオリヴィアに話しかけている。

「よく抑えられたね。彼女のこと」

 そんな彼女を傍目から見ていた俺に、一人の男子生徒が声をかけてきた。

「まあ、ああなる気持ちは少し理解できたから」

「そうか……。巻き込まれたから、じゃなく、理解できたから、か。君は、珍しいね」

 少年は穏やかに笑いながら言った。

「僕はジェームズ・ラムスドルフ。君とはいい関係が築けそうだ。よろしくね」

 彼は手を差し出してきた。

 少し含みのある言い方に警戒心が先行したが、アーサーの言葉が脳裏をよぎる。

 ——人脈づくりにも——。

 ここは素直にとるべきか……。

「あぁ、よろしく。俺の名前は宮代巌志。日本から来た。最近魔術を知ったばかりだから優しくしてくれると助かる」

 俺は差し出された彼の手を握り返し、そう答えた。

 と、その言葉に彼の表情は驚き、そして納得の色へと変わる。

「なるほどね。どうりで見ない顔だと思ったよ。本当に、君とはうまくやれそうだ、巌志君」

「?」

 何を言っているんだ、彼は。

「はは、不思議そうだね。じゃあ少し教えてあげよう。この島には序列がある。貴族。そう呼ばれる輩がこの島にはいるんだ。主なものは始原の大家。この島が魔術の聖地となって以来血を絶やさずに、今までその原理を残している家系だ。その中にはドロテシアやランカストレ、ラムスドルフなんてのがある」

「……ラムスドルフ? ——!」

 そこで彼の言わんとしていることに合点がいった。

「分かったみたいだね。僕はその長男なんだ」

 少し照れ臭そうに彼は頬を掻いてみせる。

「え、あーっと……」

「大丈夫。今のままでいてくれ。その方が僕もうれしいんだ」

 戸惑う俺を制するように彼は言う。

「このカレッジでは実力主義と血統主義、二つの派閥が権力争いをしている。その筆頭はさっきも言った始原の大家だ。でも僕としてはそんな権力争いよりも、学生生活を楽しみたい。だから、身分を気にせず気軽に話せる、まさに君のような人と会いたかったんだ」

 貴族ゆえのしがらみ、か。大変だな。

 声には出さずにそんなことを思う。どんな言葉を投げかけるべきか、少なくとも入学早々に口出しできることじゃないのは分かっているが……。

「それじゃあ、また別の授業で会おう。巌志君。今回のことは任せてくれ」

 そう言い、彼は教室の出入り口へ足を向ける。

 何か、言わなければ。でも何を——。

 俺が悩んでいる間にも彼は進む。

 そして、言葉を口にしようとしたときには、彼はもう、出入り口にできた人混みの向こうへと消えてしまっていた。

 



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