買い出し

 翌朝 ラッカーズサークル東部 

       共同学部魔導基礎科付属寮 旧一号棟

 

「起きて。宮代君」

 目を開ける。声をかけていたのは一人の可憐な少女。黒い髪に青い目、とがった耳。そして、ふわりと香る洗剤の匂い。

「おはよう」

「何間抜けな声出してるのよ。早く準備しなさい。今日はあんたのための買い物なんだから」

 少女は呆れ顔で言った。

 いやはや、昨日はなんだかんだで心配だったが、朝一でこれが味わえるのなら悪くないのかもしれない。

「分かった。先に下行ってて」

「いいけど、二度寝とかはしないでね。……フリじゃないから」

「分かってるよ」

 ガチャリ、と部屋の扉が開く音が聞こえる。

 昨日の朝とは違って、部屋の温度はそこまで低くない。

 素直に布団を出る。まだ惰眠を貪りたい気持ちはあるが、二日目から迷惑をかけるわけにはいかない。

 着替えがないので、しぶしぶ昨日と同じシャツとズボンに着替えてコートを手に、顔を洗うために部屋を出る。

 洗面台はシャワー室と同じ部屋にある。つまりは一階。

 俺は階段まで歩きながら、窓の外を見た。窓の外には朝日が煌めく海原が広がっている。

 大西洋。きっと初めて見るんだろう、俺は……。

 最高の景色を前に、記憶に影が差す。そして、それから目を背けるかのようにして俺は階段に向かった。

 一階に下りると右手に曲がり、一番最初の扉を開く。中は無理矢理作り替えられたシャワールームで、季節のせいもあって少し寒い。

 コートを乾ききった浴槽の縁にかけ、顔を洗う。

 冷たい水を浴びた肌の下にあった筋肉は緊張し、自然と鏡に映る表情は固くなっていた。

 赤い手でタオルを取り、顔を拭く。

 新しい一日。何も知らない、何もわからない一からのリスタート。俺はそのことを、見慣れない鏡の中の自分を見つめながら、しかと噛み締めたのだった。

 そして、覚悟と冷気で冴えわたった意識のまま俺は彼の扉を開く。

「おはようございます」

 俺がそう言って部屋に入るころには既に二人とも準備万端。

 遡ること約八時間前。俺の幻想導線マジックフューズを確かめた後、少しの談笑と共に俺達は翌日のことについて話した。

 というのも、俺にあったのはリュックに入り切るような僅かな荷物だけで、生活において肝心な着替えやその他日用品が圧倒的に不足していたのだ。

 というわけで今現在、俺達はその不足分を買うために、この朝早くから買い物に出かけている。

 場所は同じくラッカーズサークル。オリヴィアから聞いた通り、ここはこの島の商業の中心地らしく、朝から人でにぎわっていた。

「まずは朝食といこう。何か食べたいものはあるかい?」

 先陣を切って歩くアーサーは人でにぎわう通りの中でも聞こえるように声のボリュームを上げた。

「私はパン」

「俺もパンで」

「よし、なら満場一致でパンに決定だ」

 その言葉を合図に俺達は通りの角にあった店に入った。

 店内にはパンのいい香りが舞っている。

 出来立てのパンは綺麗に並べられ、それを手にした人々でレジは混雑中だ。

「意外と混んでるな。パンはどれがいい?」

 アーサーはトングを握っている。

「任せるわ」

「俺は、クロワッサンとかその辺があれば」

 俺達二人の要望を聞きながら、アーサーは人の海を進んでいた。

「分かった。それなら私が買っていくから、二人は先に服の方を見てきてくれ。後で追いつく。買い物は早めに終わらせよう」

 そういわれ、俺とオリヴィアはそのパン屋を出た。

 人の流れは先ほどよりも減り、石畳のメインストリートは見通しがよくなっている。時折横を走り抜ける車は見慣れない左ハンドルばかりだ。

 そんな通りを歩くこと数分。狭い路地に入り、突き当たりの店に入る。

 そこは小綺麗な洋服店。

「だいたい私達が買い物するのはここだから」

 と、言ってオリヴィアは俺の手を引いて店内に入った。

 チリンチリンと鐘の音が鳴る。

「あ、オリヴィアちゃん。久しぶり。そちらの子は?」

 そう言って、入るなり出迎えてきてくれたのは、薄緑の髪をした長身の女性。その耳は髪の毛から突き出るほどに尖っている。

「こっちは最近入学したばかりの新入りよ。何も知らないから色々教えてあげなくちゃいけないの。でも、まず服が無いから探しに来たんだけど。いいのある? トルフィ」

「ええ、もちろん。とびきり良いのを見繕うわ」

 トルフィと呼ばれた女性はと三日月のような笑みを浮かべて俺達を店の奥へと案内した。

「オリヴィア、彼女は?」

「ああ、トルフィは妖精よ。この島の中だけっていう許可で店を出してる。ていうか、早く行きなさい。トルフィが待ってるでしょ」

 そういうことじゃないんだけどな、と思いながら奥で待つトルフィの元へ向かった。

「あなた、私が妖精って聞いて驚いたんじゃない?」

 したり顔でそう言ったトルフィはいくつかの服を手に取っている。

「まあ、それは」

「なに? あまり驚いたようには見えないけど」

 服を取る手を止めてトルフィは俺の方を見た。

「いや、驚いたんですけど、それと一緒にオリヴィアについてもちょっと」

「?」

 何のことか分からない、というかのように首を傾げるトルフィ。

「その、オリヴィアの耳も尖っていたんで」

「ああ! あなた、本当に何も知らないのね」

 笑いながら煽るかのように言ってくる彼女に、内心ちょっとむっとしながらも話の続きを聞く。

「彼女はね、半人半妖の混血なのよ。この島じゃ誰もが知ってること。魔術師? とかいう人達はあまりよく思わないみたいだけど、私達からしたらあまり変わらないわ。一人の仲間だもの」

 優しい口調で最後の言葉を口にしたトルフィは服を選ぶ手を止めた。

「ま、世間話もこのあたりで止めにして」

 くるりと回転して両手いっぱいに抱えた服をみせる。

「試着タイムと行きましょう」

 そうトルフィに服を渡された俺は、近くにあった試着室に押し込まれた。

 見れば派手な柄のTシャツ、パーカー、今着ているものと同じようなシャツに裏起毛のタートルネックなど。ボトムスはと見れば、ジーンズやカーゴパンツ、ジョガーパンツが数種類。見たところ下着はサイズが合っているので、度が過ぎた派手さのものを除いて採用。

 試着室の中に備え付けられた鏡で着合わせを見てみる。

 すると、単品使用はいかがなものか、と思うものでも全体で見てみればすっきりとまとまって見えるではないか。

 あのトルフィとかいう店員、サイズもぴったりな上に全体のバランスも考えてあるとは。いやはやあっぱれ。といっても俺のセンスは分からないが。

 全ての試着を済ませた後、数ある洋服を上下五つに絞り更衣室を出る。

 すると、そこには俺が試着している間に合流したのか、アーサーの姿が目に入った。

「どうでした?」

 目を輝かせてトルフィは尋ねてくる。

「とりあえず、これで」

 そう言って俺は絞った衣服を彼女に渡した。と、そこであることに気が付く。

「ここって日本円使えますか?」

 その言葉にアーサーが割って入った。

「いや、今回は私が出すよ」

「あら、そうなの? 羽振りがいいわね。巻き上げちゃおうかしら」

「やめてくれトルフィ」

 にやつくトルフィと財布を開くアーサー。何やらこの二人も知り合いのようだ。

「良いんですか?」

「いいよ。元からそのつもりだったからね」

 俺の言葉にアーサーは間髪入れずに優しく返した。

「……ありがとうございます」

「そんなにかしこまらなくていい、当たり前だ。これから魔導を歩むのなら、私がその手助けを惜しむことはない。これから忙しくなるだろうが、私は君を応援しているよ」

「はい。出来る限りやってみるつもりです」

「ああ。それでいい。トルフィ、これで頼む」

 アーサーは財布の中から数枚の紙幣を取り出し、会計を済ませた。

 そうして俺の衣服を揃え、トルフィの店を後にした俺達はオリヴィアの要望もあり、トムテの店へと向かうことになった。




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