安息とはこのこと
ラッカーズサークル東部
共同学部魔導基礎科付属寮 旧一号棟
車が止まったのはレンガ造りの二階建ての大きな建物の前だった。
壁はところどころひび割れ、その中に白い窓枠が浮かんで見える。玄関らしき緑色に塗られた両開きのドアは、建物の中央に位置し、その先には雨除けのように道路に向かって通路が伸びていた。
屋根からはいくつもの煙突が覗き、その内の一本だけが夕空にもくもくと煙を吐き出している。
「客人かな」
車に鍵をかけたアーサーは言った。
「……かもね。私は先に部屋に行くわ、先生」
「ああ。分かった」
オリヴィアはそう言うと、ふらつきながら玄関の奥へと消えて行ってしまった。
そんな彼女を見送って、アーサーが一言。
「さて、とりあえず君にはこれを渡しておこう」
彼は一枚のカードを差し出す。
見ればそれはカレッジの学生証らしい。大きさは一般的なカード類と同じ大きさ。特に凝った意匠も無いシンプルなもの。
魔術世界の学校の割には、そのあたり普通なんだなと思う。
強いて挙げる特徴があるとすれば、それは魔術特性と名打たれた空欄の存在、それだけだ。
「それは失くさないようにね。マーケットでの買い物で便利だから」
アーサーは薄暗い通路で俺の隣を歩きながら言う。
買い物で使うということは割引か? それとも電子通貨か? そんなことを思いながら俺は「分かりました」と相槌を打つ。
「今日は疲れただろう。君の部屋には後でオリヴィアが案内すると思うから、最初は私の部屋においで」
そう言ってアーサーは緑色の玄関扉を開いた。
アーサーに続いて中に入る。
建物の中は少しカビ臭かった。夕日に照らされる廊下は埃が舞い、明かりは無い。差し込む夕日はレンガの壁を赤く染めている。壁に沿って続くドアはざっと八つほど。間隔を見るに部屋の広さはあまり無さそうだ。
廊下を進む。
窓の外を見れば広がる大自然。赤の海原に燃える太陽。毎日こんな景色が見れるというのなら多少設備が酷くても悪くない。
「ここが私の部屋だよ」
廊下をしばらく進んだ後、アーサーは一つの扉の前で立ち止まって言った。場所にして寮の右側、奥から二番目。
どうやら先に建物に入っていったオリヴィアも中にいるようで、誰かと話している声が聞こえてくる。
「ただいま」
と、アーサーは扉を開けて中に入る。
すると直後、聞き覚えのある声が内側から聞こえてきた。
「あ。遅かったですね、先生」
俺もアーサーに続いて部屋の中へと入る。そんな俺に先ほどの声がまたも口を開いた。
「おう、元気してたか。新入り」
頼りになるが、どこか神経を逆なでするような声。
「マニング。なんでここに?」
俺はそんな声の主に質問で返す。
「なんでって、そりゃ、後輩達の様子を見に来たんだよ」
彼はソファーの上で足を組みながらそう言う。
「ここに来るのは随分と久しぶりじゃないか? マニング」
着ていたジャケットをハンガーにかけながらアーサーは口を開いた。
「先生まで。……俺は歓迎されてないんですか?」
「いや、そんなことはない。歓迎してるとも。ただ君が直々に来たとなると、ただ事じゃないだろう?」
「まあ、否定はしません。電話でも話したことについて、ちょっと」
マニングは、パチパチと火花のはじける暖炉の前で続ける。
「結局あの後、飛行機だったり島の回りだったりを手分けして捜索したんですけど、危惧していたようなことは何も。それで先生の意見を伺いに」
「なるほど。別に私はかまわないが、こんな老いぼれの意見が役に立つとは思えない。いいのかい?」
その言葉に「はい」と返すマニング。
またよく分からない話が始まると踏んだ俺は、リュックを下ろし、それをドアの横に置いてこっそりとオリヴィアの方へと移動をした。
彼女がいたのは入って見える部屋の左奥。食器の仕舞い込まれた大きな棚と、窓際のテーブルに挟まれた申しわけ程度のキッチン。
何をしているのかと覗くと、オリヴィアは元気にもカップ麺をすすっていた。
「何? あんたも食べたいの?」
「そりゃ、食べたいか、食べたくないかで聞かれたら食べたいけど……」
「ならそこの棚の下に入ってるから取ってきな」
そう言って彼女は食器棚を指す。
正直、食べたいという欲求よりも吐いたばかりなのに食べて大丈夫かという思いの方が強い。だが、それを言うのも野暮だろう。実際元気に麺を頬張っているわけだし。
そう、俺は到底理解できない彼女の変化に目を瞑り、一番下の引き出しを開けた。
すると、そこに詰まっていたのは沢山のカップ麺。
まさか、食事がこれだけとかはないよなと、一瞬嫌な想像が巻き起こったが気のせいだと信じたい。
「お湯は?」
「ん」
振り向く前から差し出されていたのか、ポットを持つ彼女の腕は少し震えている。
「早く」
「あ、ああ。ありがとう」
そう礼を言いながら俺はそれを受け取り、ふたを開けたカップ麺に差し出されたまだ湯気の立つお湯を注いだ。
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