コミュニティ 日本支部
店長が扉を出ると久しぶりの静寂が部屋を包んだ。おそらくはあの森にいたとき以来の静寂だ。
だが、あの時と違って今回は命の危険は無いように思える。店長も天権代理とかいうあの二人も、怪しくはあるがこちらに危害を与えるようには思えない。
部屋の窓枠や、床は古びた木造で、俺のいるベッドと近くにある机が時代錯誤のように思えた。二人の出ていったドアの上にはすりガラスがはめ込まれ、壁は白く塗られている。
ところどころ黄色く変色しているのは時代の流れによるものなのだろう。入り口を入ってすぐの壁には上着掛けがあり、俺の着ていた寝巻きがかけられている。
目が覚めてから絶え間無く流れ込んでくる情報のせいで気にする暇もなかったが、俺の服は汚れの無い綺麗なシャツに変えられている。近くに置かれていた机の横には、俺の担いでいたリュックがかけられ、中身はその机の上に並べられている。
パッと見たところ盗られたようなものは無さそうだ。
そして、これは部屋を見渡して驚いたことなのだが、俺の寝ていた枕のそばで、あの時計が静かに時を刻んでいた。あの時、店長に握られ大破したはずの俺の時計がだ。
針の指す時間と外の太陽を見比べてみる限り大きな狂いは無いように思われるが、これはいったいどういうことだろうかと頭を捻る。あの山道の時点で完全に再起不能であったはずだが、と俺が一人で頭を悩ませていると、すりガラスの下にあった扉がキィと音を立て、来訪者の到来を告げた。
扉の向こうから天権代理の少年は靴音を響かせて部屋に入ってきた。
「お前の意向は分かった。だが、何のためにこっち側に来る」
そう言い放った彼の言葉には重みがあった。きっと彼の重ねてきた経験、苦しみや痛みなどそのすべてが彼をせかし、俺に問いかけさせるのだろう。
なぜ、と。
なぜ楽な道を選ばずに、新たな地獄を始めようとするのだ、と。彼は俺を責めているのではない、彼なりの優しさからこう言っているのだ。
そう思えば、彼はそこまで悪いやつではないのかもしれない。性格と口が悪いことには変わりはないが。
ならば……。答えるしかないだろう。俺だけの答えを。
「失ったものを取り戻す――。いや、失った自分を取り戻すために。あの時、白い街で泣いていたはずだった自分自身を裏切らないために俺はこの道を選んだんだ」
そう、口から出た答えは本心で、髪の毛一本ほどの迷いなど、そこには存在しない。
俺は、失った自分を取り戻す。俺を取り戻して、奪われたすべてを取り戻す。
そんな俺の様子を見て少年は右の口角を釣り上げ、乾いた笑いを発した。
「ハッ。言うじゃねえか。――なら、精々頑張れよ、努力だけでやっていけるほど甘い世界じゃねえからな。どうせあのジジイも言っただろうが、本当にお前の全てを捧げる気で挑め。それが俺から出来る唯一のアドバイスだ」
そう言って警告を口にした少年は机に備え付けられた、机とは対照的に古びていた椅子に腰をかけた。
「……まあ、そういうことなら話は早い。あのジジイとお前合わせて俺達は本島行きってわけだな」
少年は少し楽しそうに語る。
「ってことは、これで俺達はめでたく同じ穴の貉ってわけだ」
「そう、ですね」
愉快に笑う少年をよそに、俺はその本島とやらに思いを巡らせる。
魔術師達の組織、その総本山。そう聞いて真っ先に思い浮かぶのは立ち込める得体の知れない霧や、緑色の炎、気持ちの悪い化け物がはびこる薄暗い土地だ。行き交う人々は丈の長いローブを着て、素顔を見せないようにフードを深く被り、家に入れば大きな鍋をかき混ぜているのだろうか。
いや、それはどちらかというと魔女のイメージか、と俺は独走気味の想像力に静止をかける。だが、実のところ魔術師とは何たるかを知らない俺には、魔女も魔術師も微々たる差もないわけだが。
「出発は明日の朝八時だ。七時頃には迎えに来るから、荷物は今日の内にまとめておけよ。まあ、そうはいってもお前の荷物なんてこれっぽっちしかねえから、そんな大がかりな準備はいらないとは思うけどよ。遅れないようにはしておいてくれ」
少年はそんな俺の想像など気にかけた様子も無く机の横にかかっていた俺のリュックをパンッと叩いてそういった。
「そうですね――。……あの、ちょっと聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
俺は独走する想像力とともに広がる漠然とした不安から目をそらすために、彼と出会ってよりこの方抱いていた疑問を口にすることにした。
「ん? ああ、別に構わないが敬語は取っていいぞ。その堅苦しいの、苦手なんだよ。グインドががみがみ言って来るところも思い出すし」
少年は聞きたくないというかのように耳を塞ぐ仕草をしてそういった。まあ、そういうことなら敬語は外して話すこととしよう、その方が殴るときの罪悪感も少しは薄れる。
「分かりまし、いや分かった。名前、君の名前を教えてくれないか。天権代理としか聞いていないから、なんて呼べばいいのか分からないんだ」
「マニングだ。ドロテシア・フォン・マニング。好きなように呼んでくれていい。お前の名づけ程度じゃ俺の格は落ちないからな」
明朗にそう答えた少年は、強調するように名づけの話を付け加えると、再び明日の出立についての念押しをして、俺が礼を言う暇も無く部屋を出て行ってしまった。
急いでいる理由が気にならないわけではないが、彼らは都市喰いとやらの排除、つまりは討伐を目的としてこの日本にやってきたのだから、それ相応の装備やらは持ち込んでいるはずだろう。
逆にこう仮説が立つと、どうやってこの争いから隔絶された国に討伐用の道具とか言ういかにも血にまみれていそうな道具を持ち込んだのかが気になるところだが、おそらく魔術とやらを用いたのだろう。
それか陰謀論よろしく、世界のトップ達はそういった常識から外れた存在を認識しており、持ち込むことを黙認していたのか。
正直なところ真相はどちらでもいい。俺にとって重要なのは都市喰いはまだ倒されておらず、全てを奪われた俺は何も変わっていないということだ。その都市喰いとやらを倒すことで俺の失われたすべてが戻るかは分からないが、少なくともこの後俺と同じ目に遭う人を減らせるだけでもいいだろう。それに、名前に都市喰いなどと丁寧に示されているじゃないか。喰うのであれば、吐き出させればいい。仮にその方法では無理でも魔術なんていう埒外の行為であれば取り戻す方法もそのうち見つかるだろう。
多少楽観的過ぎるかもしれないが、そうでもしないとやっていけない時もあるというのは、あの館と森で十分に分からされたことだ。
ひとまず、明日になってからだ。ことが動くのは。今俺に出来ることと言ったら荷物の整理と部屋を出て歩き回るくらいなものだが、下手に歩き回っていると何か言われそうではある。さりとて、ずっとこの部屋にいては退屈もするというもの。さっきマニングが来た時に聞いておけば良かったと俺は今更ながら後悔をした。
何かしら口実があればいいのだが、そんな都合よく理由なんて落ちているわけでもなく、結局俺は簡単な荷物整理をして、窓の外を眺めては寝るといったことを繰り返すしかなかった。
窓の外の景色は特段いいわけではなく、かといって悪いわけでもなかった。奥に見える山はどこにでもあるような山だったし、ぽつりぽつりと森の中に見える建物はおそらくはこの組織の施設だろう。
時々、本当に稀に道を歩く人は街で見かけるような一般人と変わらない。
ここからの眺めを見ただけなら、誰もがただの田舎の風景として捉えるだろう。
日が沈みだすと、辺りは燃えるような茜色に染まり、森や山のふもとには明かりが灯った。こんなところにまで電気を引いているのかと感心はすれど、それが確実に電気によるものだと言い切れないのがこの施設の特殊性だろう。
夜になってしまえば、人工の明かりなど殆ど無いため、夜空を埋め尽くさんとするほどに散らばる星々が代わりに夜の黒いキャンパスを彩った。
そういえば占星術も魔術の内に入るものなのだろうかと、浮かんでは消えていく疑問の一つを脳内で繰り返しながら、俺は時間が過ぎてゆくのを待っていた。
丁度夕食の頃になると、もう一人の天権代理と言われた男がトレーの上にご飯と味噌汁、そして鮭の切り身を乗せて運んできた。
純和食。館での夕食とは量質ともに大きく異なるが、正直な話、空腹状態であれば差は無いに等しい。強いて言うなら量が物足りなかったくらいだが、命を助けてもらっておいて、食糧までせがむほど俺は図太いわけではない。
そうして夕食を終えた俺は、再び窓の外を眺めながら白いベッドに横になり、新たなる門出、未だ見ぬ神秘と超常の世界に想いを馳せて床に就いたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます