邂逅 3
二日後 日本 コミュニティ支部
目が覚めた。正直言って最悪の目覚めだ。過去一番に悪いと言ってもいい。何せ、目が覚めた瞬間手足を拘束された状態で「よう、動けるか」なんて聞かれたのだから。皮肉にもほどがある。
「あんた、誰だ」
意識の途絶える寸前、異形を顕現させていた少年を前に当然の疑問を俺は口にした。
「あ? 自己紹介してなかったか?」
いちいち癪に障るやつだな。
「いや、名前……も気になりはするけど、それじゃねえよ。お前達が何者なのかってことを聞いてるんだよ。俺は」
手足を拘束された状態でなければもう少し格好がついたかもしれないが、今は相当みすぼらしいはずだ。だがそれでも目一杯の虚勢を張ってこうして威嚇するしか俺に出来ることはない。
「ピーピーうるせえな。てめえはひな鳥かよ。一旦落ち着け」
少年は手に持ったファイルに視線を落としながら悪態をついた。よし、決めた。何が何だか分からないが、とりあえずこいつはいつか一発殴る。
「落ち着けるか。化け物を呼び出す子供に、結界やら都市喰いやら、わけが分からない。これで落ち着いていられるわけないだろう」
「――いや、落ち着けるだろ。お前はヒヨコだな」
少し考える素振りを見せた後、顔を上げてみせた少年は、馬鹿にしたような笑みを浮かべてそういった。
「俺から見たらどっちもヒヨコだけどな」
その声とともに少年の奥にあった扉が開き、白髪碧眼の男が入って来た。
「あ—―!」
俺は目を見開いた。何せたった今、少年の背後から現れたのは、俺もよく顔を知る伽藍堂の主人、その人であったからだ。
より頭が混乱してきた。なぜこの得体の知れない少年と店主が一緒にここにいる。というか、足の痛みが消えているのはなぜだ。
ここはどこだ、あの白い世界はいったいどうなった。
俺は館からの脱出時並みに思考を回転させ、頭を駆け巡るいくつもの疑問に答えを出すために推理を始める。そんな俺の様子を見て碧眼の男は同情を込めた笑い声を上げた。
「はは。混乱してますって顔だな。こいつに代わって俺が色々教えてやるよ。その方が、お前もいいだろ?」
男は俺の横に立つ少年を横目にそう言った。
「まあ、はい。そうですけど、それよりこれ、何とかなりません?」
俺は思考の回転はそのままに、手足を動かして拘束具を見せた。
「おい、天権代理。反抗する気は無さそうだし、外してやってもいいんじゃねえか?」
店長は再びファイルの最初のページに目を戻していた少年に問いかけた。
「……まあ、そうだな。逃げたら死ぬだけだし、特別に外してやる。それと、ジジイ。これがこいつに関する全てだ。少しは何か聞き出せ」
少年はそう言って手に持っていたファイルを男に手渡すと、俺の拘束具を解錠して部屋の外に出て行ってしまった。
どうやらあの少年を殴る機会はまだ先のようだ。だが、これまでの暴言は忘れていない。俺は根に持つ方だからな。
扉の向こうに消えゆく少年の背中を見ながら俺はそんなことを思った。
俺は少年の姿が完全に見えなくなると、ファイルを持った店長に顔を向けた。
自分の全て、そういわれては無性に胸がざわつくというものだ。男がファイルのページをめくるたびに、ドクンドクンと心臓が鼓膜を叩く。
あまりにも大きく聞こえるため外にも音が漏れているのではないかと心配になるほどだ。
俺が一人でそんな無用の心配に時間を割いている内に男は全てのページに目を通し終わったのか、パンッと手に持っていたものを閉じ、俺のことを見た。
「まず、何から知りたい? 何でもいいぞ。俺の名前でも、ここがどこかでも、……自分のことについてでも」
男は最後、俺のことについて言おうとしたときに少し口ごもったように見えた。こういう時はだいたい良いことがない。さらに言えば分からないことだらけな時に嫌な情報が来た暁には俺自身が参ってしまう。
で、あれば……。
俺は上体を起こし、横になっていたベットに座りなおした。
「まずは店長さんの名前から」
「そうか、俺の名前か。結構来てくれてた割にはやっぱり知らなかったか」
男はファイルをそばにあったテーブルの上に載せると改めて俺に向き直った。
「まあ、フルネームは長いし、店ではヘイルズって呼ばれてたからな。お前もそう呼んでくれ。この後の話のために自己紹介も兼ねて言っておくと、俺もアイツも魔術師だ」
一瞬、世界がガクンと音を立てて傾いた気がした。
え? 何だって? 魔術師?
マッドサイエンティストやエクソシストなど、他にも色々と候補を考えてはいたが……。
そうか、魔術師ときたか。
普通の人であればこんなもの妄言だ、と切り捨てて信じないという選択肢に真っ先に飛びつくだろうが、俺は違う。
あの山、あの館までの出来事。そして白く染まった大地。さらには気を失う直前に目にした謎の異形。ここまで日常とはかけ離れた経験を重ねてしまえば、もう元の思考になど戻れるはずもない。
つまり、俺はこのバカげた話を二つ返事で信じてしまう普通じゃない人間になってしまったということだ。
「魔術師……」
「はは、驚いたか」
男は海原を思わせる碧眼を輝かせ、楽し気に笑った。
「まあ、多少は。ただ、予想の内にはあったので」
そんな俺の反応を見て、今度は目をぱちくりとさせながら男は口を開く。
「お前、意外と面白いやつだな」
「……どうも? それで、その、さっきから気になってたんですけど……、ここ、どこなんですか? 足の痛みも無いですし、魔術と関係があるのでしょうか? あとさっきの男の子は。天権代理って言ってましたけど、どういう意味なんですか?」
「ああ、待て待て。そんなたくさん一度に聞いてくるなよ。答えきれん」
ヘイルズは頭の後ろを掻いてそう言った。
「そうだな。順番にいこう。まず、ここがどこなのかについて」
彼は両手を広げて室内を指す。
「ここは日本のコミュニティだ。コミュニティってのはまあ魔術師達が集まってできた組織だと思ってくれ。そして、その中でも日本に存在する支部に俺達は今滞在している。んで、ついでに言っておくと俺達はあの二人の天権代理の帰投に合わせて本部に連行されるんだと……」
「本部って……?」
俺がそう尋ねると、ヘイルズは続けた。
「まあ、待てよ。そんなに次を急ぐな。先に天権代理についてだ。そっちを話させろ。アイツらの話の方は本部の話と多少なり関わるところがあるからな」
そう言ってヘイルズはベット脇の窓の前まで歩いて行く。
「まず足の痛みについてはお前の見立てで間違いない。アイツらは詰まるところ、俺達魔術師の中の警察官だ。正確にいうと処刑人って表現が適切だけどな」
窓際で柔らかい陽光に照らされた均整の取れた口元が、そんな光景とは結びつくはずもない血なまぐさい単語を口にする。
それも、畏怖を込めてか先ほどの口調よりもゆっくりと、低い声で、明確に。
「天権代理ってのは基本は対象の排除が第一目的で、そのために組織された連中だ。
天権代理は執行官の中の一つのグループでしかないが、アイツらはその設立目的ゆえ、あらゆる法律に対する越法権を持っている。
ちなみに今さらっと話したが、執行官ってのがアイツら天権代理の大きなくくりだ。こいつらはこっち側の世界で言ったらさっき言ったように警察と被るな」
店長は窓の外を眺めながらさらに続ける。
「そして、そういう関わっちゃまずい連中を統括してるのが戒規省っていう機関だ。こっち側じゃ警視庁ってとこか?」
そう言って彼は小首を傾げたが、すぐに話に戻った。
「まあいい。この機関はコミュニティ本部を形成する組織の一角でな、他に監査局、学院、マーケットの計四つの組織でコミュニティは形成されている。
コミュニティ本部には、天権代理を有する戒規省の本部も置かれているからな。さっきのガキみたいな化け物連中がうようよ居るってことだ。俺達はそんな魔窟にこれから連れて行かれるわけだが……。どうだ? これが俺達の今の状況だ。分かったか?」
明確に肩を落とした店長はそう言ってこちらを見た。
分かるかと聞かれれば、完全には理解できてはいないと答えるしかないだろう。そもそも、あの子供がそれほどまでの力を有しているようには見えなかったし、その恐ろしさも俺には分からない。
でもまあ、魔術師という得体の知れない人達でさえも恐れを感じるのだと分かったのは収穫だ。いざとなったら情に訴える手を試してみるのも悪くないかもしれない。
店長は語り終えると元々立っていた場所、つまり、ベッドの足元に戻り、机の上に投げられていたファイルを手に取った。
「そこでだ。俺達には二つの道が残されているらしい。――ということを話したいんだが、その前に。お前自身の状況をお前自身が知らなさ過ぎるな。ひとまず残りの質問に答えると、足のケガについてはここの魔術師どもが治してくれた。それ以外、といってもまあ着替えくらいしかねえが、それもここにあるもんでどうにかなった。そんで、あと残すはお前の素性を知るだけなんだが、こいつがちょっと面倒なことになっててな。
……ま、そういうわけで、これからお前には二、三質問をさせてもらう。俺の中じゃ答えはもう出てるんだが、やらなきゃ俺が何されるか分からん。いいか?」
彼は机に腰かけ、ファイルを開いた。
こうして比較物があると店長の身長の高さとガタイの良さが際立つ。
あの机、俺の腰くらいの高さだろうが、店長の太もも半分過ぎほどの高さにしか至っていない。上を見れば天井は少し窮屈そうだ。店長だけがこの部屋にいれば、全てのものが一つスケールダウンしたように感じられることだろう。
今更ながらあそこまで大きな手に握られて無事だった俺の腕を褒めたくなってきた。
「おい。大丈夫か?」
店長はそう言って俺の方をじっと眺めている。
「ああ、大丈夫です。ちょっと考え事をしてました」
「そうか。まあ仕方がないさ。魔導に入るなら誰しもが一度は通る道だ」
どうやら店長は俺が情報量でパンクしているように見えたらしい。店長には悪いが、俺はそこまで要領が悪いわけではない。しかしまあ、完全に理解しきれていないのは事実なわけで。
「始めても問題無いか?」
俺を気遣う店長の碧眼は日陰に入ったせいで、雨空のような暗い色に変わって見えた。
「はい。大丈夫です」
俺はその変化に若干の不安を覚えつつも、それを払拭するように口を開いた。
「よし。じゃあまずは名前だ。お前の名前を教えてくれ。なんだかんだ言って俺もお前の名前は知らなかったからな」
店長はファイルに目を戻し、そう言った。
「名前……」
自己の内を省みる。大丈夫、名前は残っている。
「宮代巌志です」
俺は答えた。この答えには確証が持てる。あの日見たカードにも書いてあったし、自分の記憶にも、名前に関しての欠落は無い。
「おう、そうだな。問題は無い。なら次だ。お前の家族構成、そして、その中の誰か一人でも名前は思い出せるか?」
再びファイルに目を落とした店長が質問を口にした。
家族構成……。正直な話、この質問も来るだろうとは考えてはいたが、ここは欠落が激しい。というか、何も憶えていない。どれほど昔を思い出そうとしても、ある時を境にぷっつりとそれより昔が切れてしまっている。
そんな俺の様子を察してか、店長は話を次に進めた。
「憶えてない、か。まあ、それでいい」
店長はそう言ってファイルを閉じ、俺のいるベッドの上にそれを放り投げた。
「そこに書いてあるのはお前の基本情報。出生やら何やら、まあその辺だ……。だがまあ見て分かる通り――」
俺はその言葉を聞きながら、渡されたファイルのページをゆっくりと開いた。一枚、一枚、自分という存在を確たる存在者として証明するために。
一枚。自分の顔写真、名前、身長、体重。
二枚。家族構成と彼らの名前、住所の空欄。
三枚。交友関係、家族以外の血縁に関する空欄。
四枚。白紙。五枚、六枚、七枚、八枚、白紙。
どういうわけか俺の情報が記載されていると店長が語っていたそのファイルは、一ページ目を除いてめくれどめくれど俺の記憶と同じ白紙が続いているだけだ。
これを見てどう解釈するのが正解なのか。このファイルが間違っている可能性もある。俺の存在が本当はなかったものなのか、はたまた、あの館での出来事を境に俺の脳内と同じように現実が上書きされたのか。そんな疑念と妄想が、俺の脳にぽっかりと開いた大穴をさらに際立たせている。
「普通はこんなことありえないんだけどな。どういうわけか俺とお前に関しての記録、まあ俺に関して言えば爪の先程度だけどな、そういった欠落が起きている」
事の流れについていけないからか、頭からは汗が伝い、口内には唾液が湧き出している。
「お前も俺と同じ状態だろう? 空白の前は憶えている。が、どこをどう探そうと、その空白の中身が見つからない」
店長はそう言って机から腰を上げた。
「さて、ここでさっき中断した話といこう。俺達に残された二つの道についてだ」
午後の温かい日差しが差し込む部屋の中、店長は指を折りながらその選択肢について続けた。
「一つ。コミュニティに入り、魔術師として生きるためこちら側から出る。これまでのお前の生活を全て捨て、魔導の研鑽と発展、そして調和のためにお前の全てを捧げる道だ。
そしてもう一つ。本部での検査を終えた後、記憶を消して、まったく何も知らない状態から人生をやり直す。消えたお前の記憶も、失われた家族も友人も、突然未来を奪われたあらゆる全てを無かったものとしてこの先を生きてゆく道だ」
店長はそこで一呼吸置き、俺に決断を迫った。
「……さあ、お前はどちらを取る?」
「俺は――」
記憶の間隙に思いを巡らせる。何もない空白。そこにあったはずのたくさんの絵画と積み重ねられたいくつもの思い。それらすべてを無かったものとする……。
あの時、白く染まった世界を見て悲しみを感じていたであろう本当の自分すら全て忘れて。出来るのか、俺にそんなことが。
そんなことは決まっている。――出来るわけがない。 他人を忘れるなんてことは簡単だ。そんなこと、日常ではよくあることだし、そもそも人とはいつしか忘れ去られるものだ。
でも自分だけは忘れられないし、忘れてはいけない。捨てることなんか出来るわけがないのだ。
だから……、俺の答えは考えるまでもなく決まっている。
「――俺は、コミュニティに入ります」
俺のその答えを聞いて、店長は少し満足気な笑みを浮かべた。
「そうか。分かった。ならあの天権代理を呼んでくるからそこで待っとけ」
店長は弾むようにそう言って部屋を後にした。
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