ム中館 2

 日常ではまず聞くことがないような、そんな言葉とともに光の中から俺を出迎えたのは、メイド服に身を纏った二人の女性だった。

 背丈は二人とも同じくらいで、髪型はロングとボブ。

 逆光でよく見えないがロングの女性は毛先に赤色が入っているように見える。

 逆にボブのメイドは完全な黒髪だろう、ロングのメイドとは違って色が透けて見えることがない。

「――あら?」

 顔を上げたロングのメイドは俺を見ると首を傾げた。

 当たり前といえば当たり前だが、これは予想外というか。

「あなたは? 御主人様のお客様? どうしてここに来れたの?」

 突然の質問に一瞬頭がパニックになる。

「いや、俺は……。その」

「二葉、この人、困ってるわよ」

 髪の短いメイドはもう一方のロングのメイドの脇腹を肘で突いてそう言った。

「ごめんなさいね。お客様が来ることはとてもとても稀なことだから、私もちょっと驚いちゃった」

 二葉と呼ばれたロングのメイドは顔の前で手を叩くと、一呼吸おいて再び最初のように深々と一礼し、続けた。

「お客様、歓迎いたします。どうぞ、霧中館へ」

 霧中館。

 俺はそう呼ばれたこの大きな洋館の中へと、この二人のメイドに案内されるがままに入ることとなった。

 まず目に飛び込んだのは、その大きな玄関ホールだった。

 学校の教室なんて比じゃない。

 天井からは絢爛たるシャンデリアが吊り下げられ、床の上には入り口から真っすぐ、赤いカーペットが敷かれている。

 壁は白く、ホール右手の壁には大きな絵画が飾られていた。

 生憎、俺は美術に詳しくないから、あれが誰の絵であるのかは分からない。

 左右に伸びたカーペットは途中で分かれ、玄関ホールにある階段へと続いている。

 階段は曲線を描く壁に沿って曲がり、赤いカーペットとともに二階へと続いていた。

 手すりはなめらかな木製で、シャンデリアの光をうっすらと反射している。

 階段の先にある二階も、どうやらなかなかの豪華さのようで、今いるここからでも二階の天井や窓枠に施された装飾を見ることが出来た。

「お客様。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?さすがにいつまでもお客様とだけお呼びするのは申し訳ないので」

 二葉さんは玄関ホールを歩きながらそう言って、申し訳なさそうに後ろを歩く俺の方を振り向いた。

 もう一人のメイドはというと、館の中に入った際に二葉さんが「夕食とお風呂の準備を」と言って先に館の奥へと向かわせていた。

 俺としてはあちらのメイドも気になるのだけれど、それはまた後で聞くことにしよう。

「えっと……、俺は宮代巌志といいます」

 口にするたびに思うのだが、俺の名前って字面のくせに弱そうな響きだよなぁ、イワシって。

 だが、二葉さんはそんなこと気にしていないようで、軽く笑みを浮かべ口を開いた。

「まあ。素敵なお名前ですね。かしこまりました。巌志様。これより客室へとご案内いたします。本日はそこを自室としてお使いください」

 そう言った二葉さんは階段を上り、俺を二階にある客室へと案内した。

 途中で通った廊下はやはり豪華そのもの。

 天井の照明は明るく煌めき、窓枠に施された植物模様の装飾はそれを受けて明るく輝いている。

 廊下に敷かれたカーペットは端に金色のラインが加わり、白い廊下と相まってよりその豪華さに拍車をかけていた。

 部屋は他にいくつもあるようで、時々、部屋と部屋の間に小さな花台と、その上に置かれた花瓶を見ることがあった。

 しかし、花瓶の中にはどこも花が無く、唯一それだけがこの廊下で欠けているものだと感じさせられた。

「巌志様。こちらが本日巌志様にお使いいただくお部屋でございます。何かお困りのことがございましたら、そちらにある電話でお申し付けください。私は御主人様がお帰りになられた際の準備がまだ残っておりますので、これにて失礼させていただきますが、何か質問はございますか?」

 俺は一体何から尋ねたらいいんだ。

 自分が道に迷っていたから電話を貸してくれとか? それとも夕飯は貰えるのかということか? てかそれ以前に勝手に部屋なんか使わせてもらっていいのか? 

 俺が逡巡している間、二葉さんは笑顔で待っていてくれる。

 用事があると言っている彼女をあまり長くここに縛り付けるのも少し気が引ける。

「じゃあ、少しだけ。その……、俺なんかが勝手に使っていいんですか?」

「はい。私たちは御主人様から誰かがこの館を訪ねてきたら、まずそれを客人としてもてなすようにと仰せつかっておりますので。それに、部屋はたんまりと残っておりますから。というか、それ以前にですよ」

 二葉さんはそこで砕けた口調に変わり、俺の服装を指さして続けた。

「巌志様のような学生が泥だらけになって玄関前におられるのですよ? 助けない方がおかしいでしょう」

 そう言うと彼女は両手を腰に当て俺を上から下までじっくりと観察した。

「これでは先にお風呂ですね。紅ちゃんにはご飯より先にお風呂にするように伝えておきます」

 二葉さんはまるで母親が悪さをした息子を諫めるかのようにそう言った。

「はあ……、分かりました」

 俺がそう答えると、二葉さんは「では」と言って最初の時と同じように深く一礼をし、去っていった。


 室内に入る。俺に与えられた部屋はこれもまた大きく豪華なもので、さながら高級ホテルの一室を思わせるものだった。

 ベッドは一人用にしては大きすぎるし、窓際には椅子とテーブルがセットになって置かれており、そのテーブルの上には紅茶のカップが置いてある。

 カーテンは深緑色をしており、今は外の景色を遮るように閉じられていた。

 入り口を入ってすぐのところには、先ほど二葉さんが言っていた内線電話を備え付けた机が置かれており、コンセントとデスクライトも付いていた。

 床は廊下とは異なるカーペットが敷かれており、ベッドの横のカーペットの上には室内用にサンダルが置かれていた。

 これ、本当に使っていいのか? という戸惑いを感じながらも俺はリュックを下ろし、上に着ていた制服を脱いで、ベッドに横になった。

 ここに来るまで危惧していたことは今のところ一つも起きていないし、それどころか今は予想していたこととは違う方向の予想外が起きている状態だ。

 人に出会えて安心したからか、これまでの疲れとともに睡眠欲がどっと押し寄せる。

 瞼を閉じたらいつでも眠りに落ちていくことが出来るだろう。

 そうして微睡みの淵を彷徨うこと十分。コンコンと部屋の扉をノックする音が俺の耳に響いた。

「……はい」

「おきゃ――、巌志様。浴場の準備が出来ましたのでお伺いしました」

 声の感じからして呼びかけているのは二葉さんではなく、紅ちゃんと呼ばれたもう一人のメイドの方だろう。

「あ、分かりました。ちょっと、待っててください」

 俺は一旦そう答えると上体を起こし、リュックの中身を確認した。

 当然、着替えやタオルになりそうなものは無い。

 強いてあるとすれば、歯磨き道具と秋帆のプレゼントとして買ったハンドタオルだけだ。せめて今日体育があったのなら着替えが準備出来たのに。

 と、俺がそんなことを思い悩んでいると、まるで俺の考えを読んだかのように扉の向こうから声が聞こえてきた。

「巌志様。お着替えでしたらこちらで準備しております。ですので持物は必要ございません」

 はは、マジかよ。なんだこの至れり尽くせりは。後々になって変な請求来るとかやめてくれよ。

 俺はリュックを閉め、制服の上着を着なおすとドアを開け廊下へと出た。

 紅ちゃんというボブカットのメイドはドア前から一歩下がった場所でまるで人形のように立っていた。

 身長は俺より少し低い、おそらく百六十センチメートル前半くらいだろう。

 肌は少し日に焼け、肘のあたりには生まれつきのものか、白いあざがある。

 目は二重で大きい、というか全体的に顔が整っている。同級生の女子どもが見たらキャーキャー騒ぐか、いじめの標的にするか。どちらかであることは間違いないだろう。

「どうかされましたか?」

 彼女は小首をかしげながら、じっと俺を見つめて問いかけてきた。

 大きな黒い目が俺を貫くような視線を発する。俺はとっさに顔をそむけた。

 彼女は不思議そうにしながらも、俺についてくるように促し、この霧中館の大浴場へと案内すると言った。

 俺たちは一階に降りると、玄関からホールを抜けて真っすぐ進む廊下へと入った。

 こちらの廊下も大して内装は変わらない。

 窓には白いカーテンがかかっているが、その上には少し黄色がかった白色で植物模様の刺繍が施されている。床の赤いカーペットと壁の隙間からはおそらく床の本来の色と思われる緑が覗いていた。

 廊下を進み、突き当りに出ると、今度は三叉路に行き当たった。

 目の前にあるのは右に伸びている道と、右斜め前方に伸びた後、再び折れているせいでその奥が見えない道の二つである。

 大浴場へと続く道がどれかはすぐに分かった。

 なぜならその廊下の奥から二葉さんが走って俺たちの前に現れたからだ。

 彼女の足はサンダルで、いかにもついさっきまでお風呂場にいましたという感じだ。

「紅ちゃん、ごめん」

 二葉さんは俺たちの前にやってくるとパンッと手を合わせ、勢いよく頭を下げてそう言った。その様子を見るなり、さっきまで俺を案内していたメイドは声の調子を落とし一言。

「何してるの?」

 その言葉一つで彼女の感情は確実に伝わっただろう。

 二葉さんもそれを感じ取ったのか、ビクッと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げる。

「紅ちゃーん? そんなに怒らないで? ……ね?」

 二葉さんは上目遣いで目の前に立つメイドに歩み寄った。

「ちょっと。ちょっと間違えただけなの。本当にちょっと――、入浴剤と洗剤を間違えただけだから」

 は? 

 二葉さんの口から飛び出してきたのは衝撃の言葉。

 そうか彼女は今、入浴剤と洗剤を間違えたと言ったのか。うん、確かにな、似てるもんな。ものによっては見分けつかないし。ってなるわけないよね!? 

 入浴剤と洗剤だよ? 

 まあどの洗剤のことか分からないけど、普通は間違えるはずないよね。

「二葉、これで何度目? 今日はお客様もいるのに」

 何度目!? 

 つまり二葉さんはこれが初犯ではないということか。

 これってドジとかそういう次元の話ではない気も……。

 仮にドジだとしたら致命的だよ。それこそ料理の味付けに塩使おうとして砂糖ぶっかけたみたいなもんだよ。

「えーっと――三回目くらい?」

「その倍。今回のを入れれば七回目」

 食い気味に二葉さんの回答を遮ると、もう一人のメイドは衝撃の回数をさぞ当たり前のことを話すかのように口にした。

 俺は耳を疑った。

 七回目だと。そんなに間違うものか? 

 実は二葉さんは目が見えないとか、何かしらの病気を抱えているとかそういうやつじゃないのか? これ。

「うそ、そんなにやってたっけ。……てへっ」

 てへじゃねーよ。

 悪びれる様子もなくウインクをした二葉さんを見て、思わずそうツッコみそうになったが、口を出る直前でそれを飲み込み、俺は成り行きを見守った。

「はぁ。……二葉はもういい。もう一回お風呂の準備するから、そこ、どいて」

 ため息が出る気持ちはものすごく分かる。

 どういう経緯で二葉さんが入浴剤を入れようとしたのか分からないが、俺が同じ立場だったら確実に俺もため息をつくだろう。

 二葉さんはサンダルを脱いでもう一人のメイドに代わると再び深々と頭を下げた。

「申し訳ございません。巌志様。今一度、お部屋でお待ちいただけますでしょうか。あ、それとも先にお食事になさいますか?」

「いえ、そんな。お気になさらず。――じゃあ、お言葉に甘えて、先にご飯の方をいただくことにします」

 内心、さっきのやり取りに不安を感じていたが、嬉しそうに先陣を切って歩き始めた二葉さんを見て、今はそこに触れない方が得策な気がした。

 案内されたのは恐らくこの館の食卓を担っているであろう広間だった。

 木目調の床と、その上には円形の絨毯が広げられている。

 入って右手の壁には、お高そうな時計がかけられ、部屋の中央には十人が一斉に食事を取っても問題なさそうなテーブルがあった。

「こちらにかけてお待ちくださいねー」

 二葉さんは元気にそう言うと、一番手前にあった椅子を引いて俺を座らせ、自分は奥の方へと消えていった。

 五分ほどして彼女が運んできたのは、飲食店で注文できそうな一般的な料理だった。

 正直、どんなご馳走が出るのだろうかと気になっていたため少し残念に感じたが、テーブルの上に料理が並べられた瞬間、そんな思いはどこかへと消えてしまった。 まず、匂いがいい。

 今まで味わったことのないほど美味しそうな匂いで、俺の鼻孔は大きく広がっていたことだろう。

 彩りも申し分なく緑と茶色、そのどれもが偏ることなくそれぞれの料理に散りばめられている。

 それに加え、味もそのメニューからは想像できないほど美味しく、頬が落ちるとはまさにこのことかと体感することとなった。

「うふふ。巌志様は美味しそうにお食べになりますね。御主人様とは大違いです」

 料理を運び終えてから淹れたお茶をすすりながら二葉さんは向かいの席で俺を見て微笑んだ。

「巌志様は本当に面白いですね。ころころと表情が変わって飽きることがありません」

 そう言って再び彼女は手に持ったティーカップを傾けお茶を飲んだ。

 沈黙が流れる。

 俺は黙って食事を口に運んだ。その間、二葉さんはゆっくりとカップの中身を飲んで俺のそばを離れなかった。


「ごちそうさまでした」

 テーブルに出された料理を全て食べ、手を合わせて食事の終わりを告げるための儀式めいた呪文を唱える。

 その言葉を聞くと正面に座っていた二葉さんは手に持っていたカップを置き、静かに皿を奥へと運んで行った。

 少しすると、二葉さんは何か果物らしきものの入ったボウルとティーカップ、それと一緒にスプーンを持って戻ってきた。

 ちょっと待っててね、と言ってそれを置き、再び奥に行くと、今度は小さなカップに入った白い物体とはちみつを手にこちらにやってきた。

「はい、スプーン。自由に好きなだけトッピングしていいわよ」

 そう言って彼女はボウルの中の果実を数粒とって口の中に放り込み、ティーカップにお茶を注いだ。

「紅ちゃんには内緒ね」

 彼女はいたずらをする子供のように笑うと、広間の入り口を出ていった。

 その際、食べ終わったものはそのままでいいとだけ言い残して。

 彼女の消えた広間は室温がガクッと下がったように感じられた。

 テーブルの上に置かれた白い物体はヨーグルトで、ボウルの中を覗いたが、中にあった果物の名前は分からなかった。

 果肉は粒状でまるで血のような赤黒い色をしている。 興味は湧くものの、さすがにこればかりは口に入れる勇気が起きず、俺はヨーグルトにはちみつをかけて食べるというありきたりな食べ方をすることにした。

 ティーカップに注がれていたのが紅茶ではなく緑茶だったことに驚いたが、むしろこの異国のような雰囲気と異質な空間を体験した今日の出来事を振り返れば、それくらい普通の方がありがたかった。

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