暗闇


 激情に身を任せ拳を机に叩きつけてしまった。事は順調に進んでおり手下どもの気の緩みはあれど高かった士気を、一瞬で壊してしまった。まだまだ、折り返し地点くらいだと言うのに。バナンは剣呑けんのんな雰囲気をまとったまま、内心は反省していた。まぁ、手下どもは子供たちを村から出した時点で仕事の達成感を得ているのでその時点で認識に相違はあるのだが。


 ケラウのフォローもあり、出入り口の様子を見に行くよう手下どもに命令をし、自分らは奥にいる見張りの様子を見に行くこととした。頭を冷やす意味も込めて。ケラウはあの寂れた区画にいたころからの幼馴染であり、背中を預ける相棒でもある。


「子供たちをミリサちゃんと重ねているんだろ?相変わらず根っこは甘っちょろいね」

「うるせぇよ…。んなこと俺でもわかってる」


 ケラウ以外から同じようなことを言われたらすぐさま拳が飛んでいくだろうが、バナンはバツの悪そうに目線をそらす。


「ははっ。身内びいき抜きにしても可愛いかったもんね。ミリサちゃんは」

「………。」


 ――バナンには妹がいた。名はミリサ。ケラウの評価する通り、容姿や雰囲気は可憐で、繊細で、儚く、妖精のような少女であった。それこそ、王族が通れば見染められるだろう白さがその少女にはあった。しかし、彼らが住んでいた区画は、お忍びでもお偉いさんは来ないであろういわゆるスラム街であった。


 バナン、ミリサ兄妹の両親は、元々は一般的な家庭であった。父親は公的な仕事にお仕えし、母親は美人で明るく近所付き合い良好で、たまに贅沢ができる程度の普通の一家であった。しかし、阿呆ではないがお人好しの父親が、その時の仕事仲間に裏切られるカタチで借金を背負ってしまった。幸い、貯蓄と今の生活を破棄することで借金を返す目途は立ちそうであったが、周囲の信用回復は絶望的であった。そして、逃げるように寂れた区画に流れ着く。


 そこから、一家は必至であった。

 父親は家族が元のような暮らしができるよう信頼と金を貯めるために、元々は事務方であったが重労働でもなんでも引き受けた。

 母親はこの区画で子供たちが狙われないよう人脈をつくるために、元々のコミュニケーション能力を生かし時には身体も売って便宜を図ってもらえるようにした。

 兄は妹を守るため食べるため生きるために、父親とともに過酷な現場に行くこともあればモノを盗むこともあった。


 そして、新参の一家がこの寂れた区画で影響力がじわじわと広がり始めたころ、バナンはケラウと出会った。子供ながらに派閥争いのようなものがあり、新参のバナンとケラウは対立関係にあった。生きるために死地をいくつか共有したことで、敵からライバル、そして親友へと変わっていった。バナンとケラウが握手をした瞬間、寂れた区画の子供たちは一枚岩となり、バナンも妹が安心できる環境へ一歩近づいたと胸をなでおろした。


 ある日、「妹ちゃんのためにどでかいことやらないか?」とケラウに誘われた。確かに、このままだと寂れた区画の王には成れても以前の一般の生活にはまだまだ遠い。優雅な生活はいらないが、妹が不自由無く暮らせるためには一発当てる必要もあるだろう。決断は早かった。次の日には出稼ぎに行ってくると両親へ伝え区画を飛び出していた。――


 あの寂れた区画から離れて早数年、未だに妹と同じくらいの年頃の子供を相手にするとミリサが重なる。妹思いと言えば聞こえはいいが、甘いと評されることも仕方ないなと自嘲する。


「バナン」

「あぁ、わかってる」


 収容所として使っていた奥まった空間。そこから確かな違和感を感じ取っていた。

 場の人数を差し引くと見張りとしてその空間にいるのは3人のはず。話し声のひとつも無ければ、息を潜ませて獲物こちらを狙う雰囲気がこちらまで漂ってくる。


「かくれんぼは苦手なようだね。それかわざとかな?」

「はぁ。子供相手に手荒な真似はしたくないんだがな」


 そう言いながら手に握るは卓球玉くらいの小さな玉。バナンが詠唱するとその玉からパキッと音がして表面にひびが入る。そのまま、子供らを収容している奥地へと投げ込んだ。


 …。


 洞穴の奥。子供たちが収容されていた空間。


 リィラは村の広場で自分らを取り囲んだ人数を思い出そうとする。確か10人ほどだった記憶…。今しがた制圧した者は3人だ。見張りの交代に2人来るであろう。その記憶を頼りにするならば、次に来た見張りを制圧すれば半分だ。明確な目標が見えたことで、一息つくかとリィラの表情が緩む。それを見た子供たちも、つられて笑顔があふれる。囚われた空間で、少しではあるが暖かい時間が流れ始めた。


 その矢先。まさに、その瞬間。ひと時の安堵が緊張に塗り替わる。


 強者の匂いが近づいてくるのを感じ取ったリィラは、息を潜め臨戦態勢に入る。子供たちも各々術符やら道具やらを握りしめ、同じく臨戦態勢だ。


 ――コンッ!


 緊張の面持ちで、迎え撃つために広場に続く通路を見つめていた一行であるが、そんな彼らの目線よりはるか下から小さな玉が飛んできて転がっていた。

 みなが虚を突かれ気を取られたそれは、全員が再び正面に警戒を向けるタイミングで動き始めた。表面にできているひびから、勢いよく煙が噴き出した。

 そのアイテムの大きさ・挙動に見覚えのあったリィラは、子供たちに向けて叫ぶ。


「みんな伏せて!煙を吸わないで!」


 リィラの言葉に従い手で口を塞ぎうずくまる子供たち。リィラは煙を噴き出しているそれを蹴り飛ばして広場側へお返しする。


 通称「捕獲玉」と呼ばれるそれは、構造としては強力な麻酔効果を持つ薬品を固い外皮で覆っているだけのシンプルな道具だ。外皮には術式が刻まれており、トリガーとなる詠唱を行うと外皮にひびが入り、その状態で衝撃を受けると中の薬品を散布する仕組みだ。散布される薬品は吸い込むと強烈な眠気を誘い、例え眠気に対抗できたとしても筋弛緩作用もある。主に犯罪組織のアジトを一気に抑えたり、籠城する強盗を捕らえたりする時に使われている戦術的アイテムだ。


 強力な薬品といえど、吸い込まなければ影響は受けない。早めにお返ししたおかげか、幸いにもこの空間に漂う煙の量は少ない。返ってきた「捕獲玉」に焦って煙を吸ってくれれば、それこそ脱出まで一直線だ。まだ、噴出している音が聞こえるため、今でも広場側で薬品を撒いてくれているだろう。


 しかし、事態は悪い方へと進んでいく。なんと、煙の中から厳めしい仮面をつけた2人組が現れた。厳めしい仮面の口元は、浄化の術式が刻まれ、その術式を生かすため魔力が凝縮されたビンと変異材が取り付けられている。いわゆるガスマスクを着けているということは「捕獲玉」の煙に入っている予定だったのか、「捕獲玉」が返されることまで読んでいたのか。


 どうやら、脱出まではもう少しかかりそうだ。

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