第42話 祈り

 ヨセミテの事件と未然の解決は瞬く間に市井の人々へと広まっていく。

 それはレッドウッドの名声を高め、同じ場にいたクルセイダーズの活躍に市民たちの心も躍る。

 そして、風雷の名も同様に知れ渡ることになった。

 カリフォルニア州限定と付くが「日本から来た奴が」「本当に強いのか」と始まり、合いの手で貶しつつ最後は「アメリカの魂が」「素晴らしい」という文言で終わる。


 彼らにとって大事なことは、事件の解決よりも誰が活躍したのかということ。そのついでに手伝った日本人もやるじゃないかというおまけ程度。


 困ったのはエイジ。実際に手を出したわけでもないのに和樹の上に置かれ、「そうです」と言えるような性格をしていない。

 集ってくる人々が英雄譚を聞かせてくれと強請られても話せない。代わりに他の3人が事実に適当な話を追加して『エイジ・ウィンドの活躍』が作られた。


「面白い話だねー」


 太子が新聞を読みながらこぼす。


「全然面白くないです」


 対面するエイジがその言葉を否定した。

 円卓を囲むように座る珍しい組み合わせ。太子はそいつらの顔を軽く眺めると新聞を閉じて椅子の背もたれに寄りかかった。


「ほんで、クルセイダーズはわかるけどさ。なんでリードまで来てんのさ」

「たまたまだ。気にするな」

「全米ナンバー1を気にしない奴がいるか? その根が生えた脳みそで考えてみろよ」

「気にしてる奴のセリフじゃないな」


 風に吹かれても揺れることのないリードに太子は手上げてしまう。

 当人は軽口のつもりでも、外部からすれば心臓が破裂するほど緊張するやりとりだった。


 リード・ウッドマン。通称レッドウッドは樹木を揶揄した侮辱で起きた多くの噂を持つ。

 あるダイバーが目的もなくイタズラに木を切っていた時、突然現れたレッドウッドに半殺しにされ、1ヶ月入院するはめになったとか。もしくは樹木使いは弱くて使い物にならないから捨てろと言った者を半殺し。

 他にも沢山あるが、どれも被害者はきつい罰を受けている。


「それで鉄扇の話だっけ」

「はい。叔父さんなら何か知っているかと思って」

「エイジが開いてみて」


 言われた通りエイジが開くと、いつものようにふわりと風が起こる。ただし、極々弱く前髪が揺れる程度。

 それを見た太子は、顎をしゃくれさせてエイジを睨んだ。


「えっと、何かしたかな」

「何かしたじゃなくて、何もしてないからだよ。お前はジジイに何も教わらなかったのかって」

「あぁー」


 思い当たる節があったエイジは、バツが悪そうに顔を伏せてしまう。

 山奥での修行は武術だけでなく他にも教わっていた事があった。それを蔑ろにして興味のあった訓練しかしてこなかったのは自分。老師から人に見せなくても良いから定期的にやれと言われていたことを今になって思い出す。


「今からやれ」

「い、今ですか!?」

「ここにいる方々もご覧になりたいだろう」


 エイジは周りを見渡すとますます気分が落ちてしまう。

 クルセイダーズや風雷はまだしも、レッドウッドもいる。さらに、最初から黙ったままのダニエル大祭司がエイジを優しい目で見続けていたこと。


「ダニエル様の前で見せても良いのでしょうか」

「構いませんよ。私は何度か太子の舞いを見ています。非常に楽しみですね」


 ダニエルは逃げ道を塞ぐように告げる。

 彼も太子との関わりの中で必要なことだとわかっていた。ただ、少しばかりの支援は忘れない。


「もちろん太子が後で本物を見せてくれるはずです」


 太子は薄目でダニエルを見るが、特に何も言うこともなく立ち上がって外へと向かう。


 天気は良好。雲間から覗く太陽はカリフォルニアの暑さに丁度良く、海辺ということもあって風を強く感じる。

 太子は「準備をする」と言い、エイジを連れてどこかへ行ってしまった。

 待たされた者たちも、何もしていなかったわけではない。レッドウッドが出した木を使って簡易的なベンチを作ったり、過ごしやすい空間を作り出す。

 貸し与えられた場所がプライベートビーチであったため、片付けさえすれば何をしても良いと好き勝手している。


 準備を終えて戻ってきた時は、人数が増えて5人になっている。

 沙羅とラウラ、そして九鬼の3人が楽器を手にベンチの前で立ち止まると、砂浜へ直に座り込む。


「本来は楽器は使わないものだが、エイジにはあったほうがやりやすいと思って連れてきた。ジジイに教わった通りやってみろ」

「……わかりました」


 白装束を纏ったエイジが摺り足で一歩を踏み出すと砂が舞う。

 力強く踏み込むたびにズンと沈み込む足、反発した力が砂を押し上げる。

 飛び散る砂が合図となって九鬼が振り下ろした手が太鼓を鳴らし、エイジの足と太鼓の音が重なっていく。

 パレードの時みたいな日本的なリズムに限定されず、どこか異郷を思わせるような音色で、ころころとリズムが変わる。


「開け」


 太子の声に合わせて鉄扇が開かれると、エイジを中心に強い風が巻き起こる。

 観客たちが驚き喜んでいても、太子の表情は厳しいまま。

 エイジはその場でゆっくりと回転しながら、足と共に鉄扇を振り下ろす。

 太鼓だけの音に沙羅の笛が加わり、遅れてラウラのハープが綺麗な音で追従すると、徐々に早くなる音とエイジの舞。

 一定の速度に達すると、今度は動きと音がゆっくりになってくる。同じように風も弱くなり、エイジが舞いを止めた時、風もピタリと止んでしまう。

 空へ突き上げた鉄扇が終わりの合図となり、観客たちから盛大な拍手をもらって、息を切らしたエイジが軽く会釈をする。


「初めての本番は疲れるだろ。ゆっくり休んでろ」

「はぁ、はぁ……はい」


 太子はエイジに肩を貸し、観客席まで連れてくると、空いている席へと座らせた。そのままダニエルの前へやってきて太子は尋ねる。


「悪いけど、鉄扇はもう譲ったから使わないよ」

「それは残念。ですが、祈りは物に頼らずともするものですよね」

「その通り」


 太子が背を向けると、微笑ましげにエイジの舞を見ていたダニエルの表情が一気に険しくなる。

 一瞬の隙も逃さぬような気迫が他の者たちにも伝わり、何事かと焦ってしまう。

 太子とダニエルの関係はどのようなものか、勘繰ってしまうのは無粋とわかりつつ、興味が想像を沸き立ててしまう。

 それも太子の舞いが始まれば意識の外へと追いやられてしまった。


 エイジと同じ白装束、同じ一歩を踏み出しても砂は上がらない。

 次の一歩も同じように砂は吹き上がらず、砂を蹴る音すら響かない。

 滑るように歩き、全く揺れない頭に、見ていた者たちは奇妙な感覚に襲われてしまう。

 先ほどまで吹いていた風はなく、体の中から響く太鼓が勝手にリズムをとっている。


 勢いよく開いた扇子からも音はなく、風も巻き起こらない。むしろ引き込まれるように彼らの背中から熱を奪っていく。

 止まっていた波や風が、太子へ向かう。回転に合わせて、サラサラと砂が音を奏で、太子を囲うように風紋が作り上げられていく。


 最後、太子の突き上げた扇子はバタバタと旗めいて、その手から離れると空へと舞い上がっていく。

 その後ゆっくりと落ちてきた扇子は、太子の手にすっぽりと収まって、風が戻ってくる。


「良い祈りでした」


 ダニエルが声を出すと、追従するようにレッドウッドが拍手をする。

 あたりに聞こえたのはその2つだけで、他の者が声を出したり拍手をすることはない。


 太子の舞いを見たピーターは口元を押さえ、自分との対話をするだけで思考がパンクしそうになっていた。

『あれは何だ。エイジより全然強さを感じないのに負けた気分』

 ダニエルやレッドウッドみたいに、ただただ賞賛できればどれほど楽かと思ってしまう。

 隣の仲間たちはどうかと目だけ動かしてみると、ピーター以上に苦しむ様子が見て取れる。

 頭を抱えてうずくまるヘンドリック、肘を抱えるように縮こまったケイティ。

 彼らもピーターと同じ気分を味わっていることがわかり、僅かばかりの安心感を得た。得てしまったと気づいた時、レッドウッドがピーターの前に立ち睨みつけている。


「それで良いのか」


 良いわけはない。ただ、どうすれば良いのかもわからない。

 考えているうちにレッドウッドは元の場所へ戻り、近づいてくる太子を快く迎え入れる。

 不機嫌そうに抱かれる太子とピーターの目が一瞬交わると、興味を失ったように真顔に戻った太子がレッドウッドの腕を振り払ってエイジに近づいていく。


「俺は上手く使えなかったから祈りにしか使用できなかったが、エイジとは相性が良い。大事に使ってやれ」

「あの……これは一体」


 エイジが両手で持ち上げた鉄扇を見せながらも、その先の言葉を続けられない。ただ『何ですか』と言うだけなのに。

 太子は何も言わないが、代わりにダニエルが助言を与える。


「聞くのは調べてからでも遅くはない。自分のルーツを辿ってみなさい。それでも悩むなら私が聞きましょう」

「何歳まで生きるつもりですかねぇ」

「今なら150歳でも健康でいられそうです。さて、私はここで帰るとしましょう」


 ダニエルが帰り際、一度足を止めて浜辺を見ると、座っていたラウラの肩が跳ねる。

 口を開いて「元気なら良い」と、誰にも聞こえないほど小さな声で囁いて建物の中へと入っていく。


 続いて太子が移動を始めれば、演奏していた3人とレッドウッドが後に続いて去ってしまう。

 残された風雷とクルセイダーズだけになって、ようやくポツリポツリと声が出始めた。


「ピーター」

「何だ」

「俺。一度帰ることにする」

「奇遇だな。俺もヘンディーと同じこと考えていた」

「私も家族と話したくなったわ」


 クルセイダーズは疲れた顔で話し合うと、連絡方法だけ確認して別々の方向へ帰っていく。

 風雷のメンバーも帰りたい気持ちはあったが、ここでしかできないことがあると理解している。


「エイジ。ちっと単独行動させてもらうぜ」


 和樹の言葉を皮切りに、明日葉や薄葉もそれに続いて「私たちは2人でね」「だね」と別々の活動をしたいと伝えた。


「僕もお婆さんに会いにいくし、ちょっと長めに時間取ろうか。帰国の1週前まで自由行動ってことで」

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