第37話 馬鹿者ども

 不敵な笑みでこちらを見つめる女がいる。

 布一枚羽織ることもなく、素肌を見せつけるように近づいてくると、細い指先で頬を撫で回す。

 指先が通った後には粘度の高い液体が、ゆっくりと垂れていく。

 体は言うことを効かない。

 手首や足首、腰などはきつく締め付けられ、血の巡りが悪くなっている感覚。


 視界の外から急に現れた丸太のような腕。吸盤がいくつも張り付いていて、ウネウネと蠢きながら体を撫でていく。

 その腕が通れば肌を裂かれるような痛みと、そこから伝っていく液体の感覚が気持ち悪い。

 優しげに微笑んだ女が傷つけた痕を指先でなぞると、べったりとついた赤い液体を自身の口の中へと突っ込んで舐り回す。


「そんなにうまいか」


 あまりにも舐め回すものだから、思わず口から出てしまう。

 嬉しそうにクキックキッと笑った女は、驚いたように口元を手で塞ぐと、口をパクパクと動かして奇妙な行動をする。


「ゔぁぁあ。あ”。あーあー。これで良いかしら」

「とてもお上手」

「どうも。こんな原始的な意思伝達を続けているなんて、あなたたち面倒とは思わないの」


 文字や身振り、他にも手段はあるが、それを言っても全て同じこと。返答する意味もない。


「面白い見せ物だったから約束は守ってあげる。あともう少し、最後まで楽しませてよね」

「クズの見せ場ってわけだ。種も蒔いた。その顔が崩れる様が見れないのは残念だな」

「やっぱり私の見立て通りあの女にしなくて正解。その時が来るのをゆっくり待ってる」


 女は両腕を首の後ろに絡ませて顔を近づけると、じっと目を見て唇を近づけてくる。






 人工的な光が瞼の奥まで照らし、眩しさで太子が目を開けると、光を遮るように沙羅が顔を覗き込む。


「おはよう」

「ずいぶん遅いおはようね」


 太子は体を起こすと固まった体をほぐすため、長い伸びをする。

 肩を押そうと自分の胸に触れた時、引っかかる物を指先に感じ取る。


「包帯」

「ええ。昨日急にそこに傷ができてね。処置はしてある」

「そっか」

「会ったのね」


 太子はその言葉に答えない。

 それよりも聞きたいことがあった。


「まだ到着してないよな」

「今日中に着く予定」

「調子は良い。体も動かさないとそのまま……ふぅー。外に出よう」


 そう言って白衣を羽織ると、一歩一歩確かめながら医務室から出ていく。

 沙羅も追いかけるように後ろを着いていく。一言も話しかけず俯いたまま。


 外へ出るといつもより人が多い。

 太子が顔だけ出して潮風を感じていると、ハッチから抜き取るように抱え上げられてしまった。


「タイシ! おはよう」

「アブゥもおはよう」


 声に気づいた者たちがわらわらとやってきて、それぞれと顔を合わせるたびに挨拶を繰り返していく。


「おじさんが起きないって聞いて心配してた」

「最近忙しかったからなぁ。寝溜めしといたった」

「何それ。そうだ! もう陸地が見えてるよ! ほら」


 エイジの指す方にモヤの隙間からうっすらと陸地が見える。

 太子は何度も見てきた光景だが、メンバー以外の人が見ると、感慨深いものがあるのだろうと懐かしさを覚えた。


「俺たちも最初はそうだったなぁ」


 跳ねて喜ぶ若者たちを見ているだけで、太子の顔も綻んでいく。


「さぁ、お前らは先に帰って上陸準備を始めておけ」

「ドンキーさんたちは」

「会議の内容も伝えんといかんからな」


 それを聞いて納得した風雷と桃花のメンバーは、繋いでいた小舟へと乗り込んでいく。

 意気揚々と漕ぎ出した2槽の小舟が離れていく。

 太子の目には渡した本を見せるように手を振るサクラが見えている。


 強い風が吹くと、白衣がはためいて止めていたボタンが取れてしまった。


「うっ。色々聞く前に……ペドロ」


 ドンキーの掛け声で隠れていたペドロが姿を現すと、太子の前まで歩いてきた。


「会ったんだな」

「元気そうだったよ」


 ほがらかに言う太子とは反対にペドロとドンキーの顔は渋い。


「俺たちは少しでも近づいているのか」

「全然だね」

「参ったな。手立てが思いつかない」


 ペドロはそう言いつつも、返って清々しい気持ちさえあった。

 その表情を見た太子は、ニヤリと笑って空へと手を伸ばして、開いた手を閉じる。


「でも、ムカつくからちょっと引っ張ってやるんだ。いつだって天才を落とすのはクズの役目だと思わないかな」

「は……はっはっは! その通りだ!」


 太子も冗談で言ったつもりはないが、思っていた以上にペドロを笑わせる。

 ただ、ドンキーには面白味が伝わらなかったようだ。


「全く恐ろしい思考をしておる。私は一段でも上げられる土台でも作るとしよう」

「いや、ドンキーは跳べよ。それは凡人の役目でやんす」

「起きたばかりの癖に全開だな。ふんはっはっは」


 示し合わせたかのようにペドロとドンキーが拳を突き出してくる。

 いつもなら高い位置で手は届かないが、アブドゥラに抱えられたままの太子にはちょうど良い高さにあった。

 両腕を伸ばして2人に拳を突き合わせると、3人が同じ言葉を紡ぐ。


「「「楽しい旅を」」」


 言葉を言い終えると、ペドロは煙のように掻き消え、ドンキーは力強く跳びたって行った。

 先ほどまでモヤがかかっていた陸地も、はっきりと見えるようになっている。


「もう少し、もう少しだけ。みんなよろしく」

「テメェはそんな水臭い奴じゃない。もっと太々しくあるのが太子だろ?」


 空から降ってきた声を聞いて周りを見ると、6人ともニヤけ面で太子を見ていた。


「バカと天才は紙一重ってのは間違ってなかったみたいだ。物好きもここまでくるとバカらしくなってくる。ふっ」


 太子が鼻で笑って見下すと、珍しくアブドゥラまで眉間に皺を寄せた。


「「「「「「バカはお前だ」」」」」」

「さぁ、大陸に向けて進めー! アメーーーリカーーー!」

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