第35話 能力

 ヒリついた空気の中、太子は自分で傷の治療を行っていた。

 特性の薬を鼻にかけて、肉が再生していく様子は見ていた者に衝撃を与える。


「うっわ。あんな風に治るんだ」

「エッグい」


 そんな言葉をかけられながらも、太子は治った鼻に満足して、すぐさま帰ろうとする。

 しかし、その行動が許されることはない。


「待て」

「もう用事ないでしょ」

「彼女たち。いや、チームメンバーだけにでも説明する必要はあるんじゃないか」


 九鬼に言われて、太子は考える。

 顎を撫でて、勿体ぶった態度が更に桃花のメンバーを苛立たせた。


「必要があるかと言われると……ない」

「なんだと」

「でも、良いよ。メンバーだけね」


 太子の言い方に不満はあるものの、彼女たちは『なぜ』という理由だけでも知りたかった。

 九鬼はその場で訓練を止め、解散を宣告する。

 桃花の後輩たちもNOと言える空気ではなかった。それぞれ大人しくビーチを去っていく。

 ゆっくりと話せる場所という九鬼の案で、一行は太子の知る店へと案内されることになった。

 賑やかな街並みから離れたところに立つ小さな店。その店の名前は『アルカヌム』。


 カランコロンとレトロな音を聞きながら入った店内は、薄暗くて全員が少し肌寒く感じるような温度。


「マスター。部屋は空いてるかな」

「3番が空いてるよ」

「そこで、軽食とホットドリンクを6人分」


 磨いていたグラスをキュッと鳴らすと、丁寧に棚へ戻し店の奥へ引っ込んでしまう。


「こういう店なんだ。さ、部屋に行こう」


 No.3と書かれた表札を裏返して太子が中へと入る。

 続いて九鬼たちが入っていくと、意外と広く感じる空間となっている。大柄の九鬼でも2人は縦で横になれる。


「太子はシャレた店知ってるよな」

「人と話す機会が多いからね。ここも教えてもらったんだよ」


 少し話しただけで扉のノック音が届く。

 太子が立ち上がって扉を開くと、注文したばかりの食事がもう出来上がっていた。

 湯気をたたせ、暖かそうなスープとサンドイッチ。それに上品な香りを放つ紅茶が添えられている。


「ルイズの研究所につけてください」

「かしこまりました」


 テーブルに食事が並べられると、太子は満足したように自分の席へと戻る。


「さて、初めての顔もあることだし先に自己紹介としようか。君たちから? それとも俺?」


 太子の問いに、アンズの隣に座った女性が立ち上がる。


「桃花のメンバーでアンズと一緒に前衛をしている由里香です」

「よろしく」


 その隣に座っていた女性が由里香に続いて立ち上がった。


「桃花の遊撃担当。春香」

「よろしく」


 太子が立ちあがろうとしたところ、九鬼が手で遮ってアンズに目配せ。知っているでしょと言いたげに、嫌々立ち上がったアンズが声を出した。


「桃花のリーダーをしているアンズ。主に前衛だけど他のフォローもする」


 九鬼は太子を遮ったまま立ち上がった。


「OTKサークルNo.5。陰陽師の土御門家から分派した武闘を主とする九鬼一門の

 1人。九鬼珠子」


 九鬼の紹介に驚く3人。

 OTKサークルということはこれまでの経緯で何となく推測していたが、陰陽師の家系ということは考えの端にもかからなかった。

 そんな彼女の思考を遮るように太子は立ち上がる。


「肩書きは多かったんだけど、色々辞めて今はひとつ。OTKサークルNo.1で創立者の深海太子です。よろしく」

「な……」


 アンズが言葉を続けて『なんで』という一言が出ない。これまでの経緯からOTKとの関わり深い人間。あるいはメンバーの1人ということまでは考えたことがあった。

 ただし、それは上位ではない立ち位置でのこと。

 だから今の紹介が信じられない。アンズから聞いていた由里香や春香も同様で、何度もアンズの顔へと振り返る。

 そんなアンズへ両手の指を突き出した太子が、楽しげに声を出す。


「よく言われるよ。強くなさそうとか、威厳がないとか。実際に両方ないからどうしようもないんだけどね」

「OTKのリーダーということは間違いない。メンバーのあたしが断言する」

「話をと行きたいんだけど、軽く食べせさて。お腹が減ってるんだ」


 そう言って太子はサンドイッチを頬張りながらトロけた表情になる。


「玉ちゃんも食べなよ。ここのサンドイッチはギリシャの味付けなんだ。行ったことないでしょ」

「それは気になる。う……んまー」


 サンドイッチから飛び出したポテトが独特な見た目をしている。しかし、桃花のメンバーたちは手をつけない。そんな気分にはなれなかった。


「お待たせ。で、サクラくんの話をするまえに能力についての説明が必要になる」

「なんで」

「と言いたい気持ちは今は抑えて。聞けばわかる。良いかな?」


 アンズ、由里香、春香。太子は3人の目を見て、理解したことを確認すると再び口を開く。


「能力を大別した時に、大きく分けて身体と感覚の2種類ということは知られていると思う。その先は各組織ごとに細々と分けているけれど、実際はどれか一つということは少ない。火が使えて体も強化できる者はいる。これはアクセルとは別物」


 太子は次のサンドイッチに手をかけて彼女たちへ突き出す。


「つまり、パンという体に挟み込まれた具は一つじゃないってこと。んぐ……やっぱうめぇ」


 そのままの勢いで豪快に食べ進めていくと、2つ目も数十秒で平らげてしまった。

 太子は汚れた手を布巾で拭うと、そのままアンズたちへ人差し指を突きつける。


「アンズくんは身体8と感覚2、由里香くんは身体7と感覚3、春香くんは身体4と感覚6。これは割合であって、強さの指標じゃない。この総量を蓄えられる器の大きい者が天才で、サイズによって凡才へと下がっていく。玉ちゃんは天才で俺は凡才以下」

「ふふん。あたしも由里香と同じで身体7の感覚3だ」


 九鬼が自慢げにしていると、太子はスープを持ち上げて見せる。


「この器に入っているのは才能だけじゃない。それぞれの思想も詰まっていて、器が小さいとすぐに溢れてしまう。これがオーバーフロー。器ぱんぱんに入れてしまった場合と」


 太子は置いた器からスープを掬い上げ、高く上げた腕を捻る。

 ひっくり返されたスプーンから液体が落ちると、表面のスープが跳ね返ってテーブルへ飛び散ってしまう。


「こういう場合もある。さて、ここでアンズくんに問題です。サクラくんが俺と初めて会った時はどうだったでしょう」

「いきなり……チッ。7割くらい」

「残念。すでに溢れていたよ」


 太子は寂しげな目でアンズを見やる。それに気づかないほどショックを受けていた。


「嘘! いつもと変わらなかった。信じられない」

「別に信じてもらわなくて良い」

「じゃあ聞く必要もなかったでしょ!」

「認識の確認は必要だ。今のでアンズくんがどれだけサクラくんへ固執していたかがわかる。従順で大人しいサクラくんと言ったほうがいいか」


 太子の言葉に怒ったアンズは、サンドイッチを手に取り立ち上がる。隣に座っていた由里香、さらには春香までアンズを静止するため飛び出した。

 両腕を抑えられたままだが、その力を抑えきれなかった春香は投げ飛ばされてしまう。

 テーブルに投げ出された春香が横倒しになってしまった。


「メシを台無しにするところだった」


 九鬼の両手に乗る皿を見て、アンズと由里香はテーブルへ目を落とすと、倒れている春香だけ。食器類はすべて九鬼と太子の座るソファへと移動されている。


「いててて」

「ご、ごめん」

「今思えば、こういう役割もサクラがやってたね。これ、結構きついよ」

「それは……」


 気落ちと同じように腰まで落ちたアンズは、ソファへと座り込む。


「もうやるなよ」


 そう言って九鬼が皿を返すと、皿の上にそっと潰れたサンドイッチを置く。アンズが消えたもう一つのサンドイッチに気づくことはない。


「春香くんも座って。大事なのはここからで、サクラくんはオーバーフローではない」

「じゃあ」


 由里香の言葉を太子は『待て』と言わんばかりに手で制す。


「あくまでオーバーフローは一時のこと。器の底が抜けたように常に漏れ出る状態を狂気と呼んでいる。サクラくんの変わりようを見たならわかるだろう」


 そう言って器の底をデコピンではじく。


「常に漏れ出る水の中で器を修復することは困難。だから作り変える。しかも、それができるのは初期の段階までで、穴が大きくなった器は」


 太子は器を持つような動作をしながら、それを壁に投げた。


「処分……」

「ダイバーの各組織に定期的に現れる赤い依頼はソレ」

「サクラちゃんがそうなっていた可能性が」

「ない。カイリからそれとなく言われていた。だから俺も注意深く見ていたし、天友会で気付けるのは彼女くらいだ。だからドンキーはカイリを重宝しているし、彼女がいなくなったら終わり。君たちのところも結構綱渡りだよ」


 太子は残っていたスープを一気に流し込むと、スープも絶賛する。

 九鬼は空になった器を4つも重ねて頷いている。


「この狂気も『誰かが勝手に』2つに分けた。利益を与えるか奪うか。奪う方は処分して、与える方は利用方法を考える。もちろん俺は与える方」

「サクラちゃんはどちらになりますか」

「今は与える方になるように道を示している」

「よかった」


 太子は由里香の返答に不満げな顔をして、口の前でバッテンを作って見せる。


「全然良くない。利益ってのは誰かが儲ければ誰かが損する仕組みだよ。だから敵から常に狙われることになる。物交が順調になってきた時、新都大学を作った時、かなり命を狙われた。サクラくんが与える方になっても、いずれそういうことは起きるだろうね」

「どうすればいいの」

「アンズくんもいい顔になってきた」

「茶化さないで」


 太子は手帳の紙をちぎって、箇条書きを3つ作ると、テーブルの上を滑らせてアンズに渡す。


「1つは信頼。身分役職問わず、裏切らないと確信できるような人物を味方につける」

「2つ目は力。それぞれ単独でダンジョンの最新部まで行ける」

「3つ目は目標。最終目標は大まかにしつつ、チームで相談しながら短期目標で少しずつ高めていく」


 項目は3つだけなのにと、アンズの頭がずんずん下がっていく。

 横から覗いていた由里香と春香も表情が暗くなっていた。


「1と2ね」


 アンズの言葉に頷く太子。


「これが大変なんだけど、由里香と春香は」

「待て待て」


 頷いていた太子が驚いて話しかけた。


「大変なのは3つ目の目標だ」

「なんでよ! 信頼できる相手も力もそんな簡単に手に入らない」

「そんなの目標に到達できたら達成だろ。目標が低いとそこにすら至らないことに気づけって」

「じゃあ参考にするからあんたの目標教えて」


 アンズの発言に太子が答えることはない。

 由里香と春香も額に手を当てて顔を伏せてしまった。


「お・ま・え・は! 太子の話聞いてなかったのか!」


 九鬼の振り下ろした拳骨がアンズの頭頂部へ落ちると、そのままの勢いでテーブルに激突して気絶してしまった。


「さて、話は以上。俺はそろそろ行くけど、テーブルの修理代は玉ちゃん持ちね」

「おい! さっき研究所がどうとか言ってただろ」

「それは席料と食事の代金のこと。壊したのは玉ちゃんだから払って当然だよね。そろそろ手加減も覚えなさいよ。そんなんだから」


 太子はその先を言わないが、九鬼にはしっかりと伝わる。「ダンジョンをソロ攻略できないんだ」と。

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